2026年3月30日月曜日

アリの集団はエサをどう分配している?…「助け合い」の可視化に成功、農業や環境保全に応用の可能性 : 読売新聞

アリの集団はエサをどう分配している?…「助け合い」の可視化に成功、農業や環境保全に応用の可能性 : 読売新聞

アリの集団はエサをどう分配している?…「助け合い」の可視化に成功、農業や環境保全に応用の可能性

 量子科学技術研究開発機構の高崎量子技術基盤研究所(群馬県高崎市)などは、アリが仲間と栄養を分ける助け合いを追跡・可視化することに成功したと発表した。放射性ナトリウムを活用した技術を用いることで、従来とは異なり定量的な把握も可能となった。この手法は今後、農業や環境保全の分野でも応用できる可能性があるという。

 アリは、子を産む女王と、エサ集めや子育てなどの働き手に分かれる「社会性昆虫」とされる。特別な司令塔がいなくても分業が成立し、集団として秩序ある行動ができるのが特徴だ。今回の研究は、アリが集めたエサがグループ内でどう分配されるかに注目した。

 分析には、放射性同位元素(RI)を用いた「RIイメージング」という手法を使った。人のがん診断や、植物内の栄養の動きの把握にも使われており、エサの動きを継続して追跡できる特長がある。今までは、エサを与えたアリを集団に戻しても観察に限界があり、エサに色素を混ぜた場合も、確認には腹部をつぶす必要があった。

 今回の研究では、微量の放射性ナトリウムを混ぜたエサをアリに与えた。放出された放射線が体外からでも検出できることを生かし、どのアリがどれぐらいのエサをどの相手に渡したかを特定できるようになった。

 この手法で、100匹規模のアリ集団3グループで、エサの分配の様子を追跡することに世界で初めて成功。追跡画像の解析から、群れにエサが広がる時間や程度も判明した。2グループは20分ほどでエサが行き渡ったのに対し、残る一つは行き渡らなかった。グループ間でのエサ集めや世話役といった、アリの割合の違いが影響したとみられている。

 今後はエサを変えた実験も検討している。群馬県庁で記者会見した河地 有木なおき プロジェクトリーダー(放射線計測)は、外来生物のヒアリを例に挙げて「虫をいかに根本的に退治するかという研究につながる」と述べ、生態保全や農業分野での活用の可能性を示唆した。エサの流れが分かり、効果的な駆除方法の開発が期待される。複数の巣を使って一部ルートを遮断する実験などを通して、人の社会では実験が難しい、物流面の解析に生かせるとの考えも示した。

 2023~25年度に行った研究成果は26日、科学誌サイエンティフィック・リポーツ(電子版)に掲載された。

2026年3月29日日曜日

トマス・ミュンツァー - Thomas Müntzer 1489~1525

トマス・ミュンツァー - Wikipedia
トマス・ミュンツァー - Thomas Müntzer 1489~1525

4:2:①~④


34(序論⑧),324,338,355①,356①,358(4:2:②),362(4:2:②),363③,365③,366③,367④,412

トマス・ミュンツァー

生涯

ハルツ山地のシュトルベルク村 (Stolberg) に生まれる。1506年ライプツィヒフランクフルト・アム・マインで神学を研究し、1519年マルティン・ルターと知り合い信奉者となる。ルターの推薦でツヴィッカウの説教者となり、そこでアナバプテストの労働者と接触し、その後行動をともにするようになる。ヨハネス・タウラーJohannes Tauler)やエレミヤ書に関するフィオーレのヨアキムの注釈などの神秘主義思想家の著作を研究し、聖職者と金持ちを攻撃し天国の到来を説き、財産の共有を基礎にした社会秩序の改革を訴えたために、ツヴィッカウを追放されプラハノルトハウゼンをへてアルシュテットAllstedt)に落ち着き、原始共産主義的な生活の集落をつくり、説教活動の中心地とした。彼の説教は農業や林業で暮らす労働者に強い反響を呼び、ミュンツァーは次第に、下層階級の要求を弾圧し、諸侯に妥協しているルターの姿勢を批判するようになる。ルターの側もミュンツァーを〈アルシュテットの悪魔〉と呼びつらい、ザクセンの諸侯を煽動したが、諸侯はミュンツァーの影響力をはばかり、あえて暴力的方策がとれなかったという。

1524年、西南ドイツに波及した農民一揆に呼応して、ミュンツァーは支持者たちに民衆を圧迫する暴力を倒壊しつつある、世界の変化が近づいていると告げた。テューリンゲン地方のミュールハウゼンドイツ語版英語版市に行き、その地の民主主義者ハインリッヒ・プファイファー(Heinrich Pfeiffer)と結んで秘密結社をつくり、新政府の樹立をはかったが、ルターの書簡が市におくられて彼ら2人は説教を禁じられた。ルターに対する公開討論を望んでニュルンベルクへ赴き、その後ドイツとスイスの国境でドイツ農民戦争の最初の兆しを目撃した。南ドイツに滞在して旧約聖書に基づいた農業改革について説教し、反乱はもはや猶予されるべきでないとの信念を固めた。テューリンゲンマンスフェルトMansfeld)で革命を組織するためにミュールハウゼンに戻るが、ザクセン・ブラウンシュヴァイクヘッセン諸侯の連合軍に敗れ(フランケンハウゼンの戦いドイツ語版英語版)、捕らわれてプファイファーとともに斬首された。

人物

  • ミュンツァーは宗教改革の最左翼、ルターの穏健派に対し過激派を代表した神学者である。聖書研究にとどまらず、聖書の言葉を階級闘争に翻訳し、農民大衆を理想社会建設へ導こうとした。
  • 彼は体躯矮小にして、顔は浅黒く、髪は黒く、眼は炎のごとく、弁舌は粗野で民衆的かつ熱烈、内的衝動にしたがって行動し、組織の人というよりは独立不羈・傍若無人の人柄といわれる。

トーマス・ミュエンツァー(映画)

トーマス・ミュエンツァーは、1956年制作の東ドイツ映画で、16世紀のプロテスタント神学者であり農民指導者であるトーマス・ミュエンツァーの生涯を題材に、マーティン・ヘルベルクが監督しました。

プロット

1519年、マルティン・ルターの教えはドイツの諸公国に広がりました。彼らは農民たちに歓迎されており、新しい教義が貴族や裁判官の抑圧的な枷から解放してくれることを期待しています。若き牧師トーマス・ミュンツァーはルーテル主義を受け入れていますが、農民への支援においてはより過激です。

1523年、ミュンツァーはアルステットに到着し、地元の牧師の職務を引き受ける。地元の村人が、妹を強姦しようとした監督者を襲ったとして逮捕された際、司祭が彼の脱出を助けました。彼はラテン語ではなくドイツ語で最初のミサを執り行い、地元の礼拝堂で全ての聖像を破壊するよう信徒に説教し、これは異端的であるとみなす。人々はそれを焼き払いました。地元のバロンは、村を破壊することで報復します。司祭は、暴力を控えるよう呼びかけたルターの信者でなくなったことに、今や悟っています。彼はドイツ南部へ逃れ、そこで友人のハインリッヒ・ファイファーとともにミュールハウゼン市を占領し、農民反乱軍を結成して、人々を解放する意図でした。しかし、裏切りと貴族の策謀がフランケンハウゼンの戦いにおける彼らの敗北をもたらす。ムエンツァーは捕らえられ、拷問を受ける中、宗教的教義を否定することを拒み、そして処刑された。

選択されたキャスト

生産

東ドイツの共産主義指導部は、国民のために統一された物語を創り出す試みの中で、土地の歴史を規則に従って展開した一連の出来事として描こうとしました。マルクス・レーニン主義は、不可避的に国家における社会主義権力の統合へと導く。トーマス・ミュンツァー牧師という人物は、共産主義の前兆とみなされた急進的な神学と、彼の認識により、体制の目に特に重要な地位を有していました。フリードリヒ・エンゲルスは、彼を革命的指導者と見なしていた――エンゲルスの著書『ドイツにおける農民戦争』に記されているように。[1]

その映画は、13本の「ヘリテージ映画」のうちの1本で、...によって制作されました。1950年代に制作されたDEFAスタジオは、ジョハネス・ケプラーゲオルク・ブエヒナーなど、国家が重要と認めた遺産を持つ重要な歴史的人物について制作しました。[2]作家フリードリヒ・ウルフは1940年代後半にシナリオの制作を開始し、監督ヘルベルグは1952年にDEFA委員会に対し、ミュンツァーに関する映画の制作許可を要請しました。[3]200人の俳優と2000人のエキストラ(後者は主に兵舎警察の兵士と見習い)が、町で撮影に関与しました。クエドリンバーグこの写真はAgfacolorリールを使用して撮影されました。[4]

受付

その映画は1956年5月17日に初公開され、DEFAの創立10周年にあたります。[5]翌日に商業的にリリースされました。そのDer Spiegelの映画批評家は、その映像が「16世紀の偶像破壊者をウォルター・ウルブリヒトのイデオロギー的前身として描くことを意図した」と書き、そのプロットは「完全な混乱」に至ったと記しています。[4]西ドイツのカトリック映画サービスは、それを「壮大な作品...歴史の浅薄で偏った解釈...高額な群衆シーンがあるにもかかわらず、貧血である」と表現した。[6]1970年、ドイツ映画研究所のレビューでは、不確かな理由により、マーティン・ルターが映画に全く映っていないことが指摘されました。[7]

2005年に、その映像はIcestorm Entertainment社によってDVD形式で発売されました。新刊の13分間の特別付録において、歴史家スザンヌ・ギャリーはプロットのいくつかの不正確さを指摘しました。ムンツァーは拷問の下で信念を固執していたと示されていますが、実際には処刑前にそれを否定することに同意していました。フランケンハウゼンの戦いにおける農民の敗北は、軍隊の弱さによるものではなく、裏切りと破壊工作に起因するとされています。ギャリーは、その陰謀が政府のイデオロギー的傾向の影響を受けていると信じていた。[8]

参考文献

  1. ロバート・ワリンスキー=キール.歴史、政治、そして東ドイツ映画:トーマス・ミュンツァー(1956)社会主義叙事詩中欧史(2006)、アメリカ歴史協会中欧史会議グループ第39巻、30〜55ページ。抜粋をご覧ください
  2. Julian Preece, Frank Finlay, Ruth J.オーウェン。新ドイツ文学:人生執筆と芸術との対話ピーター・ラング (2007)ISBN 978-3-03911-384-2.ページ79。
  3. トーマス・ハイマン。DEFA、アーティスト、そしてSED文化政策。Vistas(1994)ISBN 978-3-89158-112-4.ページ350。
  4. Der Spiegel に関するレビュー、1956年7月11日。
  5. トーマス・ミュンツァー(DEFA財団のウェブサイト上)
  6. "批評家、film-zeit.deで引用された"元のページは2016年3月4日にアーカイブされました。取得日 2011-05-05normal
  7. 映画科学研究所DEFAのゲーム映画は批判の領域にあります。ヘンシェル・ヴェルラグ(1970)ASIN B0040ZY5FW.ページ124。
  8. icestorm.de の DVD 版。サプリメントは拡張パッケージに入っています。

外部リンク

IMDbトーマス・ミュエンツァー

Nicht-さんによるXでのポスト

Nicht-さんによるXでのポスト ルサンチマン ニーチェ デューリング

 
 
Nicht-
⁦‪@kappamama1‬⁩
@7Hmugn 少し込み入った話をすると
「ルサンチマンressentiment」という言葉は、モンテーニュの『エセー』第2巻第27章で用いられており、17世紀初め頃にはフランス語ressentimentからドイツ語Ressentimentに移入されて、「(心理的な)傷つきやすさ」のほかに「不満」「憤懣」「憎悪」という意味も持っていた。
 
2024/03/18 20:36
 
 

 
 
Nicht-
⁦‪@kappamama1‬⁩
@7Hmugn この語をはじめてニーチェが用いたのは、1875年夏に書かれたデューリングKarl Eugen Dühringの『生の価値 Der Wert des Lebens im Sinne einer heroischen Lebensauffassung』に関するノートのなかの、「正義感はルサンチマンであり、復讐と結びついている。彼岸における公正という観念も復讐
 
2024/03/18 20:40
 
 

 
 
Nicht-
⁦‪@kappamama1‬⁩
@7Hmugn 感情に由来するものである」という一節においてで、形而上学の本質は、地上における不正に対して「神の裁き」によって補いをつけ、「復讐心を超越的に満足させること」にあるとしている。この頃すでに後年のルサンチマン論の萌芽が見られるが〔遺稿1.5.334f.〕
 
2024/03/18 20:45
 
 

ペシミズムの時代とニーチェ - 株式会社昭和堂


第5章 禁欲主義と力への意志
    ――ニーチェとオイゲン・デューリングの対決
      (アルド・ヴェントゥレッリ/井西弘樹訳・解題)
http://www.showado-kyoto.jp/book/b673239.html

【イラン攻撃1か月】攻撃後“初”ホルムズ海峡を通らないタンカーが日本に…原油高騰の影響は農家にも【ニュース ジグザグ】

https://youtu.be/7VdSQLzz4zM?si=pzW2BcPjYZdVOxSP

山上徹也被告 NHKの文書での取材に応じる 安倍晋三元首相銃撃事件 | NHKニュース | 安倍晋三元首相銃撃事件、旧統一教会、奈良県

山上徹也被告 NHKの文書での取材に応じる 安倍晋三元首相銃撃事件 | NHKニュース | 安倍晋三元首相銃撃事件、旧統一教会、奈良県

山上徹也被告 NHKの文書での取材に応じる 安倍元首相銃撃事件

安倍元総理大臣を銃撃したとして殺人などの罪に問われ、1審で無期懲役の判決を受けた山上徹也被告が、文書での取材に応じました。どんな支援制度があれば状況が変わったか問うたところ、「そんなものはない。統一教会が無ければそもそも起こり得なかった」と答えました。

山上徹也被告(45)は、2022年7月、奈良市で参議院選挙の応援演説中だった安倍元総理大臣を手製の銃で銃撃して殺害したとして、ことし1月、奈良地方裁判所で無期懲役を言い渡され、判決を不服として控訴しています。

判決から1か月余りたった3月上旬、被告がNHKの取材に文書で応じました。

山上被告がつづった書面

山上被告が文書で取材に応じた内容の詳細です。4枚にわたってつづられていました。

生い立ちについて

裁判で、山上被告は、母親の旧統一教会への信仰や多額の献金によって家庭が崩壊したと説明していました。

被告には、まず、母親の入信の前後で家庭内にどのような変化があったかを尋ねました。

これについて被告は、「入信と高額献金の発覚の前後で劇的に家庭環境が悪化」としたうえで「親への信頼の根本的喪失」と答えました。

また、母親がしきりに、「道端で寝るような事になっても献金をしなければ」と話していたことも明かしました。

"兄の敵討ち"について

被告が旧統一教会への復しゅうを決意するきっかけとされたのが、母親の信仰に反発していた兄の自殺でした。

事件について、「兄の敵討ちのつもりだった」という趣旨の発言を弁護士にしていたことも、これまでの取材でわかっています。

このことばの真意を問うと、「兄は生前、教会へ苦情、談判に行くも追い返される。通夜での教団儀式の強行。その後の母と教団の呵責の無さ、開き直り、何事もなかったかのよう」などと回答しました。

試射現場は "原風景"

銃撃を決意した被告は、銃の製造を始め、奈良市内の山中で試し撃ちを繰り返しました。

その時の心境を問うと、「試射自体に高いリスクがあり、他の事を考えている余裕はなかった」としたうえで、注意していたこととして「火薬の暴発、銃の破損による負傷、発砲音や偶然による第三者への発覚・遭遇、クマ・ハチなどの対策」を挙げました。

さらに、「ああいった山中の荒れ地、殺伐とした風景は小学生ぐらいの頃に祖父が休日などにドライブがてら仕事現場の見回りに兄と私を連れて行く事があり、ある意味原風景ではある」ともつづっていました。

"教団の公認 安倍氏通して完成の域に"

被告は当初、教団幹部の襲撃を計画していましたが、その後、安倍元総理大臣が教団の関連団体に寄せたビデオメッセージを見て、標的を徐々に変えていったことが裁判で明らかになりました。

ビデオメッセージを見た時のことを聞くと、「教団の公認、社会的承認の獲得が安倍氏を通して完成の域に達しつつあった」などと記しました。

裁判では、「安倍元総理が殺害されなければならなかったのは、間違いだったと思う」と述べ、遺族に対して「自分に弁解の余地はない。非常に申し訳ないと思っています」と謝罪のことばを口にしていました。

事件は防げなかったのか

山上被告は裁判で、事件を起こしたことについて「このような結果になってしまい、大変ご迷惑をかけている」と受け止めていました。

社会にどのような支援制度などがあれば状況が変わったか問うと、「そんなものはない。統一教会が無ければそもそも起こり得なかった。あのままで統一教会が問題視される事は絶対になかった」と答えました。

北海道大学 櫻井義秀特任教授

これについて、宗教社会学者で、被告と10時間以上面会している北海道大学の櫻井義秀特任教授は次のように分析しています。

北海道大学 櫻井義秀特任教授
「現在であれば宗教2世が教団に対して責任を問う訴訟があるが、被告が強烈な怒りや恨みを持った10年前には手段がなかった。自分がなぜこういう判断をしたのかを当時の状況の中で理解してほしいという、彼の叫びが出ていると思う」

判決は、「合法的な手段による解決を模索せず、殺人を実行した」と指摘しました。

この判決内容に対する受け止めを尋ねると、山上被告は「すでに弁連=全国霊感商法対策弁護士連絡会や、キリスト教牧師、被害者の会の活動などを見聞きしており、それらに対する統一教会の妨害なども知っている」として「一個人に解決など期待できるわけがない」などと反論しています。

一方、判決は、「旧統一教会やその関係者に激しい怒りを抱いたとしても他者の生命を奪うことを決意し、そのために銃の製造を計画して実行したことには大きな飛躍がある」とも指摘しています。

旧統一教会への解散命令について

事件のあと、高額献金や霊感商法の問題が改めて注目され、3月4日、東京高等裁判所が教団に解散を命じ、教団の清算手続きが始まっています。

高裁の判断について、被告は「ホッとした」としたうえで、「ある程度は解決になるし、区切りではある」とつづりました。

また、「制度として解散か放置かの両極端ではなく、中間的な規制があれば深刻な問題にはならないのではないか」としています。

これについて櫻井特任教授は、次のように指摘しています。

北海道大学 櫻井義秀特任教授
「霊感商法の被害は1980年代からあり、この段階で問題が緩和されていれば、宗教的な被害はなく、今回の事件もなかったとして、『なぜもっと早くこまめに手を打ってくれなかったのか』ということを言いたいのではないか。被告が旧統一教会を潰したいと思っていたことは確かで、解散命令という形で実現されたことで、生きる意味が達成されたと考えている部分があると思う。ただ、そのために人の命を奪ったことに対する反省や内省は今後、詰めてもらわなければならないと思っている。被告にはもう一度、『人の命を奪う以外の手段がなかったのか』と問いかけざるをえない。これを言っていかないと、暴力によって問題の解決を図ろうという人が今後も出てくるかもしれない。事件の背景に何があるのか、問題の解決はどうなされるべきであったのか社会が十分分析し、反省する必要がある」


事件や裁判の経緯

山上被告は、2022年に奈良市の近鉄・大和西大寺駅前で参議院選挙の応援演説中だった安倍元総理大臣を銃撃し、その場で逮捕されました。

警察の調べに対して、「母親が旧統一教会にのめり込み多額の寄付をするなどして家庭生活が崩壊した」という趣旨の話をし、安倍元総理大臣を狙った理由については、「教団と近しい関係にあると思った」などと供述しました。

その後、殺人などの罪で起訴され、2025年10月に始まった裁判で、「すべて私がしたことで間違いない」と述べ、起訴された内容を認めました。

裁判には、被告の母親や妹が証人として出廷しました。

このうち母親は、夫の自殺や長男の病気を苦に旧統一教会に入信しておよそ1億円を献金したと説明したうえで、「私が加害者だと思う。私がちゃんとしていたら、こんな事件は起こらなかった」などと述べました。

妹は、母親の献金について、「相談する窓口は見つけられず、合法的な方法ではどうすることもできなかった」と証言しました。

山上被告本人への質問も5回にわたって行われました。

被告は、母の献金で経済的に困窮した生活を送り、その後、信仰に反対していた兄の自殺をきっかけに教団への復しゅう心を強めていったいきさつを話しました。

また、安倍元総理大臣が旧統一教会の関連団体に寄せたビデオメッセージについて、「教会がどんどん社会的に認められて、問題のない団体として認識されるのではないかと思った。被害を被った側からすると、非常に悔しく受け入れがたい」と述べました。

裁判では、こうした被告の境遇を刑の重さにどの程度考慮するかが大きな争点となりましたが、奈良地方裁判所は「不遇な生い立ちが大きく影響したとは認められない」として、求刑どおり無期懲役を言い渡しました。

被告側はこの判決を不服として控訴しています。

この事件のあと、親から信仰を強要され進学などを諦めたという「宗教2世」たちが声を上げ、被害者の救済を図るための新たな法律の成立につながりました。