2026年6月15日月曜日

日航123便墜落事件 垂直尾翼を破壊したのは無人標的機ファイアービー(1) | ISF独立言論フォーラム

日航123便墜落事件 垂直尾翼を破壊したのは無人標的機ファイアービー(1) | ISF独立言論フォーラム

日航123便墜落事件 垂直尾翼を破壊したのは無人標的機ファイアービー(1)

123便の垂直尾翼を破壊したのは無人標的機ファイアービー

圧力隔壁の破壊に伴う与圧空気の噴出によって123便の垂直尾翼と機体後部が破壊されたという事故調の公式見解については、2026年3月3日の記事(https://isfweb.org/post-71357/)で問題点を指摘しています。そして圧力隔壁の破壊をもたらしたとされる「修理ミス」については、発見した「修理ミス」の内容が後に変更になっていたことや、米国調査団の説明に矛盾が多いことから、「修理ミス」は捏造であった可能性が高いことを2026年4月16日の記事(https://isfweb.org/post-73479/)で指摘しています。

では相模湾上空で123便の垂直尾翼および機体最後部が破壊された原因は何だったのかということになりますが、それは海上自衛隊が試験のために飛ばしていた無人標的機ファイアービー(BQM-34A)で間違いないと考えます。実はこの説は墜落当初に複数の航空評論家が指摘しており「陰謀説」でも何でもありません。ファイアービー衝突と確信する科学的かつ合理的な根拠がありますので4回に分けて説明します。

国会の議事録にあるファイアービー損失に関する発言

以下は昭和61年10月17日の第107回国会参議院決算委員会における会計検査院 事務総局 秋本勝彦次長の高速標的機(無人標的機)損失に関する発言からの抜粋です。

「...海上自衛隊におきまして、高速標的機一機一億一千八百七十万が性能試験実施中に墜落、海没したと、そういうような報告が来ているわけでございます。」

秋本次長はこの損失について会計検査院が1985年11月~1986年10月に「受理した」報告によるものとしています。そして1機1億1870万円は当時のファイアービー調達金額とおおむね一致しており「高速標的機」はファイアービー(BQM-34A)であったと思われます。さらに「性能試験実施中」とありますので、射撃訓練中に発生した事案ではなく、護衛艦などの海上公試の際に発生した事案と思われます。そしてこの時期(1985~1986年)に確実に海上公試つまり性能試験を行っていた護衛艦*まつゆきでした。

*正確には海上自衛隊への引き渡し前なので護衛艦ではなく民間船。まつゆき以外で同時期に海上公試を行っていた可能性があるのが”やまゆき”と”せとゆき”。

実は墜落当初からあった無人標的機衝突説

一般の国民にはほとんど知られていなかったようですが、実は自衛隊の無人標的機衝突を疑う説は墜落当初からありました。しかも複数の航空専門家が指摘していたのです。しかしいつの間にかその話には「触れてはいけない」となり、言論統制でもされたかのように専門家もメディアもその話を一切しなくなっていきました。

まず、航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。以下は楢林氏の発言について週刊宝石の記事からの抜粋です。

「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」

また、当時航空機事故解説の第一人者とされており、著書に「日本の航空事故」がある関川栄一郎氏も墜落直後のテレビ番組で無人標的機衝突の可能性を指摘していました。

さらに、作家の吉原公一郎氏も自衛隊への疑惑について触れていました。以下は週刊ポスト1985年9月20日号の記事からの抜粋です。

 「事故発生当初一部でささやかれた自衛隊に対する疑惑は一向に消えそうにもない。いや、それどころか、この疑惑はますます深まるばかりである」

 

週刊ポストの記事にあるオレンジ色の金属片

 前述の週刊ポスト1985年9月20日号の記事に、墜落現場で発見されたとされるオレンジ色の金属片に関して書かれています。以下はその記事からの要約です。

・墜落現場における捜索活動を録画したビデオに、日航機の機体破片とは思えないオレンジ色の金属片が写っていた。

・金属片は垂直尾翼と水平尾翼が発見された現場で発見された。

・金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmで、3列にわたってリベットの穴がびっしりと並んでいた。

・白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上をひきずったようについていた。

・日航機の他の残骸と違って、機体の位置を示す荷札がついていなかった。

・この金属片について、現場検証に立ち会った記者の誰も目撃しなかった(現場検証の段階でなぜかなくなっていた)。

このオレンジ色の金属片の発見場所は左右主翼から500m以上離れていて、機体に赤い塗装がされた残骸は存在しない場所でした(図1)。そしてこのオレンジ色の金属片の大きさはファイアービー(BQM-34A)の主翼と一致します(図2)。

図1オレンジ色の金属片の発見場所

図2 ファイアービー(BQM-34A)の寸法

ファイアービー衝突説を火消ししたタイミング

図3は墜落原因に関する発表や報道についての時系列ですが、日本政府は週刊誌報道などでファイアービー衝突説が世間に広まる前に火消しをしたかったのではないでしょうか。時系列で考えると米国側(NTSB、FAA、ボーイング)の方が日本政府に協力的だったように思えます。米国側が墜落原因を偽装する「圧力隔壁修理ミス」のシナリオを作り、それをNTSBがニューヨーク・タイムスにリークするという強硬手段に出たため、日本の事故調が渋々それを受け入れたのではないかというのが私の推測です。米国側としては当時世界で約600機飛んでいたB-747の欠陥が疑われることを懸念し、B-747に問題がないことを(実際に問題はなかったので)一刻も早く公表したかったという事情もあったのかもしれません。テレビや新聞などのオールドメディアが政府に全面的に協力し、ファイアービー衝突説については国民にほとんど知られずに隠蔽に成功してきました。そしてオールドメディアに加えて、週刊誌、SNS、インフルエンサー、ネットメディアなども総動員して41年経った現在も隠蔽は継続中です。

図3 墜落原因に関する発表および報道についての時系列

【日航ジャンボ機墜落事故】墜落直前のファントム目撃情報。9つの目撃時刻と場所の時系列検証https://youtu.be/2W3HsmJVR4w?si=qR9Qs4mk6yTGjVQp

検事正の驚愕暴露話「不起訴はボーイングのため」?ムリ筋『急減圧』生存者の証言ガン無視の卑劣さ。ヤル気なさすぎ海底捜索やったフリ。稚拙で支離滅裂な... https://youtu.be/cj1tBX_SDgw?si=oxQkKWHJTLvrfaqq

柄谷行人インタビュー 「戦争の時代」に考える 『力と交換様式』文庫化で大幅に改訂|じんぶん堂

柄谷行人インタビュー 「戦争の時代」に考える 『力と交換様式』文庫化で大幅に改訂|じんぶん堂

柄谷行人インタビュー 「戦争の時代」に考える 『力と交換様式』文庫化で大幅に改訂

自宅近くにあるお気に入りの散歩コースで。日課として歩き続けている
自宅近くにあるお気に入りの散歩コースで。日課として歩き続けている

――柄谷さんは、繰り返し戦争の危機を訴えてきました。例えば、2010年のインタビューでは、こう発言しています。「自分の国あるいは国民の生活がよくなったら、ほかの国はどうなってもよい。そういうことでやっていくと、その行き詰まりには何が出てくるか。戦争です」(「平和の実現こそが世界革命」『柄谷行人インタビューズ2002-2013』)。まさにその通りになってしまったように思えます。

柄谷 当時はみんな本気にしなかった。また大袈裟なことを言って、という反応でした。

――おそらく、世界的な戦争の時代への危機感は、2022年のロシアによるウクライナ侵攻で自覚した人が多かったのではないでしょうか。その後、イスラエルとハマスの戦争が起き、米国がベネズエラを攻撃、さらに米国とイスラエルによるイランへの攻撃と続いています。

柄谷 冷戦が崩壊したとき、戦争の時代に入ったと思いました。19世紀の帝国主義戦争の再来になる、と。多くの人は、国の境界が薄れていき平和な世界が訪れるだろうと予測したけれど。ただ、いざこういう状況になってみると、茫然とするほかない。3、4年前までは怒ってばかりいましたが、いまは絶望で無気力になっています。老年性の鬱かとも思いましたが、時局によるところが大きい。

 正直に言えば、現在の情勢について、細かく追ったり積極的な発言をしたりする心境ではなくなっています。昔から情勢論をいうタイプではありませんでしたが、もう何も言う気が起きない。ただ、あきらめてはいません。交換様式論について考え続けているのも、そのためです。

《「交換様式論」は、柄谷さんが独自に作り上げた理論。社会のシステムを「交換」の観点から見ることで、四つの交換様式を見いだした。A=贈与と返礼の互酬、B=支配と保護による略取と再分配、C=貨幣と商品による商品交換。そして、Dは、Aを高次元で回復したもので、自由と平等を担保した未来社会の原理。四つの交換様式は同時に存在していて、どの交換様式が支配的かによって、社会のありようが決まってくる。Aならば氏族社会、Bであれば国家、Cの場合は資本制社会がその代表例。Dが支配的な社会は実現したことがない、という》

資本は国家=ネーションを動員する

柄谷 いまの世界は、資本(C)が支配的ですが、それは国家(B)、ネーション(A)と強固に結びついています。私はこれらの結合体を、資本=ネーション=国家と呼んでいます。「国民国家(ネーション国家)」に「資本」を接合した用語です。

 マルクスは『資本論』で、資本が自らの存続のために、絶えず「差異」を追求してきたことを指摘しました。利益は、常に差異から生まれるから。

――国や地域による賃金や価格の違いだとか、技術革新による時間的な先取りだとか、そういった「差異」ですね。

柄谷 差異を生み出すのは容易ではないので、資本は絶えず危機に見舞われますが、それで資本主義が滅びることはありません。是が非でも新しい差異を作り、手詰まりになれば、国家=ネーションが動員されます。国家政策を変えたり、ナショナリズムを称揚したり、戦争を起こしたりといった形で。資本=ネーション=国家の体制が続く限り、戦争は起こる。

――柄谷さんの交換様式論は、戦争や恐慌をもたらす資本=ネーション=国家の複合的な体制をいかに乗り越えるか、ということが出発点でした。

柄谷 それは今も同じです。そのためにはまず交換様式を認識することが必要です。社会も個人も、どれほど深く資本=ネーション=国家に浸透されているかを理解するためです。そうでないと、現状を変えようとしても、そのシステムの内をぐるぐる回るだけで終わりかねない。私は、交換様式は、概念というより事実だと思っています。

――国家=ネーション=資本を超える希望として「D」が置かれてきたと思います。Dもまた事実なのでしょうか。

柄谷 Dについては、事実と言ってはいけないと思う。でも、ただの仮説だとも言いたくない。とりあえず、A、B、Cから推論されるものだと言っておきましょう。原始・初期キリスト教や社会主義思想など、Dの実在を感じさせるような運動が、歴史のなかに繰り返し出現してきた。だけどそれは長くは続かない。キリスト教は国家や資本と結託したし、社会主義は国家権力になってしまった。

「Dなんていらない」? 交換様式の「力点」が移った理由

『定本 力と交換様式』(岩波現代文庫)
『定本 力と交換様式』(岩波現代文庫)

――柄谷さんは今年3月、理論的な著作としては最新作にあたる『力と交換様式』(2022年)を大幅に改訂し、「定本」として文庫化しました。多くの部分で記述がより整理されていますが、大きな論点としては、Dについての記述があると思います。より具体的に言えば、これまで「Aの高次元での回復」といった表現にとどまっていたDとAの関係が明確化された。「Dの実現にとって交換様式Aが不可欠」「人がDについて何かを知りうるとすれば、それはAを通してだけである」と書かれました。

柄谷 Aというのは、新しい社会システムとかプログラムではない。最近気づいたことですが、ドゥルーズのいう「逃走」は、Aのイメージに近い。システムの網目をぬって抜け穴をつき、小さな自由を見つけ出していく。それらが共振して広がっていき、思いもかけなかったような展開が生まれる。世界戦争の時代には、国家(B)と資本(C)が最高度に強化されます。そこで正面から国家や資本に抵抗しても、つぶされるだけです。私が交換様式論の力点をDからAに移動させたことには、このような背景がある。Dを掲げて権力に立ち向かうことが有効なときもある。でも、いまはAに焦点を当てるときです。

――柄谷さんは、Aの実践として、協同組合や社会運動を例に挙げてきました。いずれも地道にやっていかないといけないものですね。これだけ事態が逼迫すると、一足飛びにDの到来をなんとか実現できないか、と思ってしまう部分もあります。

柄谷 実は、『力と交換様式』の単行本を脱稿した後、「Dなんて最悪だ。Aが大切だ」と言い始めて、周りを当惑させました。交換様式論にDはもういらない、と思ったこともあるくらいです。

――それは衝撃的ですね。なぜですか?

柄谷 そもそもDは、定義はもちろん表象すらできない。だから、「Dを目指す」などと軽々しく言うべきではないのです。自分がDの代理人だと思うことは、暴力につながる。言いかえれば、人を強制するとか権力を得ようとすることに。

――確かに、理想を掲げていたはずの社会主義国家や宗教が逆に人々を苦しめた歴史もあります。ただ、D抜きの交換様式論は、現状の分析にはなっても、体制を乗り越えることからは遠のくのではないでしょうか。

柄谷 もちろんそうです。ただ、Dは目指すことも呼び寄せることもできない。二年近く前から新約聖書について考えてきたのですが、そのなかでAとDの関係がだいぶん整理されました。3月に出た『力と交換様式』の文庫は、それをふまえて全面的に改稿したものです。

いまこそ「贈与と返礼」

――一方で、今回ポジティブに捉え直されているAですが、例えば、家族や地域共同体では、内の人々は束縛し、外の人間は排除する部分がありますね。国家と結びつくと、ナショナリズムも生み出します。

柄谷 それもその通りなんです。それでもAが重要です。Aというのは互酬(贈与―返礼)ですが、ここには二つの可能性があります。まずはB、Cのもとでそれらの下請けのようになること。もう一つは、Dに向かうこと。Aの中には、人を純粋贈与に駆り立てる要素がある。純粋贈与というと、自己犠牲とか無償の愛とかいうふうに解釈されがちですが、そういう説教くさくて深刻ぶったものではない。Aは、倫理とか宗教的理想とは違う。そういうものはほとんどの場合、ていのいい支配の手段です。純粋贈与への衝動は、向こうからくる力――私はDの力だと考えていますが――に駆り立てられることによって、自然に起こるものなのです。この力はあらゆる人に働きかけているのですが、資本・国家の力があまりにも強いため、それに埋もれて見えなくなっている。

――人が純粋贈与をせまる力に駆り立てられる、というのはどんなことでしょう。

柄谷 科学的に証明できるような事柄ではありませんが、経験的には感じ取れるはずです。簡単な例をあげれば、自分が損をしてまで人を助けようとするのは、案外ありふれた行為で、特別に立派な人がそうするということでもなく、広く見られるものでしょう?

――Aの実践で、国家や資本を乗り越えることは出来るのでしょうか。

柄谷 BやCを完全に斥けるのは、当然不可能です。現在の世界は、それらの力で成立しているからです。だけど、B、Cから比較的自由なモメント(要素)が、実は結構ある。それらを見出して表面化させていくことはできる。そうして意識的にB、Cから距離を置くことで、Aの力が働く余地が生まれます。こういうことは、図式的に言っていると退屈だし実感が湧きにくいです。その意味でも、交換様式を新約聖書と原始キリスト教に即して再考することは有意義だと思っています。

――最後に。デモもAの一種と考えられるのでしょうか。

柄谷 そうですね。いま再び注目されている日本国憲法9条は、Dの促しによってできたものだとも考えられます。個々人の意思を超えて出現したものであることは確かです。一度失われれば、どうあがいてもとりもどすことは不可能に近いでしょう。悔やんでも、もう手遅れです。いま私たちにできるのは、小さな力に見えても、やはりAの実践しかありません。デモもその一つですが、それ以外にも権力(B)や金銭(C)に毒されていないものがあちこちに潜んでいる。それを見つけて育てるのは、楽ではないけれど創造的で楽しいことでもあるんじゃないか、そう思います。

※柄谷さんが生まれてから現在までの歩みを語ったじんぶん堂での連載『私の謎 柄谷行人回想録』が単行本化しました。講談社から発売中です。

2026年6月14日日曜日

ダウン症

 日本人の科学者が、ダウン症の原因となる余分な染色体の除去に成功


https://x.com/turningpointjpn/status/2066012219696173063?s=61


三重大学の橋詰良太郎博士のチームが開発したのは「アレル特異的編集」技術。


ダウン症の原因は「21番染色体が1本多い」こと。


その余分な染色体を、CRISPRで丸ごと削除することに成功。


3本ある染色体のうち、余分な1本だけをピンポイントで狙い撃ちする。健康な2本には触れない。


余分な染色体が消えた細胞は炎症や代謝に関わる過剰な遺伝子が静まり、脳の発達に関わる遺伝子が活性化し、細胞の分裂速度も正常化した。


ダウン症は700人に1人の割合で生まれる。これまでの治療は「症状の管理」だけだった。


原因そのものに手をつけたのは、これが世界で初めて。


“The video was generated using AI(Grok)”

Formation of Brain

 


https://x.com/science_techtv/status/2066243704843649420?s=61


A simplified overview of brain functions



https://x.com/interestingstem/status/2065759580064264693?s=61



2026年6月13日土曜日

多重質問の誤謬 - Wikipedia

多重質問の誤謬 - Wikipedia

多重質問の誤謬

多重質問の誤謬(たじゅうしつもんのごびゅう、: loaded question, complex question fallacy)は誤謬の一つである。「多問の虚偽」[1]や「複問の虚偽」[2]とも。

多重質問(たじゅうしつもん、: complex question, trick question, multiple question, : plurium interrogationum)は、議論に関わる人々が受け入れていない、あるいは証明されていない前提に基づく質問。多重尋問(たじゅうじんもん)とも。それに起因する誤謬を多重質問の誤謬という[3] 。たとえば「あなたはまだ妻を虐待しているのか?」といった質問がある。この質問に対しては「はい」と答えようが「いいえ」と答えようが、「あなた」には妻がいて過去に虐待したことがあるということを認めたことになる。つまりこれらの事実が質問の「前提」とされたため、相手は多重質問の誤謬の罠にかけられ、一つの答えしかできない状況に追い込まれる[3]。質問者は修辞的にこのような質問を行い、特に返答を期待していないことが多い[3]

もう少しわかりにくい例としては、「なぜ人を殺してはいけないのか?」や「なぜ宇宙があるのか?」といった質問が考えられる。前者は「(すべての)人を殺してはいけない」という前提を含んでいるが、死刑存廃問題を考えると、たとえば死刑囚を殺してはいけないかどうかは自明でない問題である。ところが、「なぜ」と問われると人々は質問に自明でない前提が含まれていることに気づかず(質問自体が擬似問題である可能性があるにもかかわらず)、誤りかもしれない前提を正当化する理由を無批判に考えてしまう傾向にある(これは確証バイアスと呼ばれる)。後者の質問は「宇宙が存在する」という前提を含んでいる。この前提はほとんどすべての場合明らかに正しいと考えられるが、哲学的な存在論的虚無主義の立場では否定される。

このような質問が誤謬かどうかは文脈に依存している。質問が単に何らかの前提を含んでいるというだけでは、誤謬とはみなされない。その前提が自明でないものである場合のみ、この質問が誤謬となる[3]

関連する誤謬として論点先取がある[4]。これは、結論が前提として使われている論証形式である[5]

誤解を招く会話形式として、質問に明示的に言及されないことを暗示するというものがある。たとえば「ジョーンズさんには軍人の兄弟がいるんですか?」という質問は、そのような事実を主張しているわけではないが、少なくともそう思われる徴候があることを示唆しており、さもなくばこのような質問がされることもないだろう[6]。このような質問をしている人は嘘の主張をしているわけではないが、暗黙の複合的質問(単純に「はい」や「いいえ」で答えると誤解を生むような質問)を含意している。この質問自体は誤謬ではないが、この質問を聞いた人々が質問の前提を裏付ける証拠があるのだろうと仮定することに誤謬が存在する。ここで挙げた例はどうということはないが、たとえば「ジョーンズさんには監獄に兄弟がいるんですか?」ではどうだろうか。