マルクス
経済学批判より
ヒュームの学徒は、マケドニア、エシプト、小アジアの征服の結果として古代ローマに起こった物価勝貴をこのんで引合いにだすが、これはまったく見当ちがいである。古代世界に特有な、貯めこまれた蓄蔵貨幣の一国から他国への、突然で強力的な移転、略奪という単純な過程による貴金属の生産費の一定の国にとっての一時的減少は、たとえばエシブトやシチリアの殺物をローマで無償で分配したことが、殺物価格を規制する一般的法則に影響するものではないのと同じように、貨幣流通の内在的法則に影響するものではない。貨幣流通の詳細な観察に必要な材料、すなわち一方では商品価格のよく吟味された歴史、他方では流通媒介物の膨張と収縮、貴金属の流入と流出等についての公式の連続的な統計、一般に銀行制度が十分に発展してはじめて生じてくる材料は、ヒュームも、一八世紀のすべての著述家も、もっていなかったのである。ヒュームの流通理論を要約すれば、決の命題になる。
(1)一国の諸商品の価格は、その国に存在する(現実的または象徴的)貨幣の量によって規定される。(二)一国に流通している貨幣は、その国に存在するすべての商品を代理する。代理者、すなわち貨幣の数量が増減するのに比例して、代理される物が個々の代理者に割り当てられる最が増減する。(三)商品が増加すれば、それらの価格が下落し、つまり貨幣の価値が上昇する。貨幣が増加すれば、逆に諸商品の価格が勝費して、貨幣の価値が低下する。
*ヒュームは、彼の原理には一致しなかったけれども、この平衡化がゆっくりしたものであることをともかくも認めている。デーヴィット・ヒューム「若干の論題にかんする試論と論述」、ロンドン、一七七七年、第一巻、三〇〇ページを参照。
**ステュアート、前掲書、第一巻、三九四1四〇〇ページを参照。
ヒュームは言う。
「貨幣が過剰なためにあらゆる物が高価であることは、すべての既存の商業にとって不利益である。なぜならば、そのために貧乏な国々がすべての外国市場で富んだ国々より安く売ることができるようになるからである。」「もしわれわれが一国民をそれだけとして考察するならば、商品を計算したり代理したりするための鋳貨が多いか少ないかは、よいにせよわるいにせよ、なんの影響をも及ぼしえない。それはちょうど、商人が記帳にさいして、わずかな数字しか必要としないアラビア式記数法のかわりに、多くの数字を必要とするローマ式記数法を用いても、彼の帳尻になんの違いもないのと同じである。いやそれどころか、貨幣の量が多いのは、ローマ数字と同じように、むしろ不便であって、その保管と輸送により多くの手数がかかるのである。」
※デーヴィット・ヒューム、前掲書、三〇〇ページ。
**デーヴィット・ヒューム、前掲書、三〇三ベージ。
[マルクス(13)138]
岩波文庫旧版?214
が下落する、あるいは貨幣の価値が藤貴する。貨幣が増加すれば、逆に諸商品の価格が騰して、貨幣の価値が下落する。
(112)ヒュームは、かれの原理には合致しなかったけれども、ともかくこの過程がゆっくりしたものであることをみとめている。デイヴィット・ヒューム『若干の問題についての論集』、ロンドン版、一七七七年、第一巻、三〇〇頁をみよ。
(113) ステュアート『経済学の階原理にかんする研究』、第一巻、三九四1四〇〇真を参照。
ヒュームはいう、「貨略の過剰のためにものが高価になることは、すべての既存の商業にとって不利益である、というのは、そのために、貧乏な国々はすべての外国市場で、富んだ国々よりもやすく売れるようになるからでおる。
もしわれわれが一国民をそれだけで考察するならば、商品を計算したり代表したりするための鋳貨が多いか少ないかは、よいにせよ悪いにせよ、なんの影響もおよぼさない、それはちょうど、商人が記帳をするのに、わずかな数字しか必要でないアラビア数字法のかわりに、たくさんの数字が必要なローマ数字法を用いても、その帳尻になんのちがいも生じないのと同じである。
いな、貨幣の量の多いのは、ローマ数字と同じように不便であって、その保管と運搬により多くの手数がかかるのでお誕。」およそなにかを証明するためには、ヒュームはあるあたえられた数字法のもとで、使われる数字の数が数値の大きさによるのではなく、逆に数値の大きさが使われる文字の数によるものであることを示さなくてはならなかったであろう。商品価値を価値の下落した金なり銀なりで評価または「計算」しても、なんの利益にもならないということは、まったくそのとおりである。だから、諸国民は、流通する商品の価
ヒューム「若干の問題についての論集」、ロンドン版、一七七七年、第一巻、300頁
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“The dearness of everything,” says Hume, “from plenty of money, is a disadvantage, which attends anPg 223established commerce, and sets bounds to it in every country, by enabling the poorer states to undersell the richer in all foreign markets.”119
“Where coin is in greater plenty; as a greater quantity of it is required to represent the same quantity of goods; it can have no effect, either good or bad, taking a nation within itself; any more than it would make an alteration on a merchant’s books, if, instead of the Arabian method of notation, which requires few characters, he should make use of the Roman, which requires a great many. Nay, the greater quantity of money, like the Roman characters, is rather inconvenient, and requires greater trouble both to keep and transport it.”120
「あらゆる物価の高騰は」とヒュームは言う、「貨幣の過剰によるものであり、これは確立された通商に伴う弊害であり、貧しい国々があらゆる海外市場において豊かな国々よりも安く販売することを可能にすることで、どの国においてもその通商に制限を課すものである。」 119
「貨幣がより豊富にあるところでは、同じ量の商品を表すのにより多くの貨幣が必要となるため、一国を単独で見た場合、それが良い効果であれ悪い効果であれ、何の影響も及ぼさない。それは、記号の数が少ないアラビア式の表記法ではなく、記号の数が非常に多いローマ式表記法を用いても、商人の帳簿に何の変化も生じないのと同じことである。いや、貨幣の量が増えることは、ローマ数字と同様にむしろ不便であり、その保管や輸送にはより大きな労力を要する。」120
[117]この過程の遅さはヒューム自身も認めていたが、それは彼の原則とはほとんど一致しない。デヴィッド・ヒューム『諸主題に関する随筆と論考』(ロンドン、1777年、第1巻、300ページ)を参照。
[118]ステュアート、前掲書、第1巻、394-400頁を参照。
[119]デヴィッド・ヒューム、前掲書、300頁。
[120]デヴィッド・ヒューム、前掲書、303頁。[120]
[121]デヴィッド・ヒューム、前掲書、303頁。
[122]デヴィッド・ヒューム、前掲書、307、308、303頁: 「物価は、一国にある商品や貨幣の絶対的な量に依存するよりも、市場に出回ることのできる、あるいは出回る可能性のある商品の量、および流通している貨幣の量に依存していることは明らかである。もし貨幣が金庫に閉じ込められているならば、物価に関して言えば、それはあたかも貨幣が存在しないのと同じことである。」
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