2026年9月2日水曜日

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【24時間後に偶然発見?】まつゆき尾翼回収の矛盾 - 【日航ジャンボ機墜落事故】調べ疲れた人のための羅針盤

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【24時間後に偶然発見?】まつゆき尾翼回収の矛盾

まつゆきの反論、もう一つの焦点

真殿知彦氏は著書『日航123便墜落「撃墜説」の真相』で、護衛艦まつゆきの運用記録をもとにミサイル撃墜説・標的機説を否定しています。前回の記事「【物理的に不可能?】まつゆき試験日程の謎」は、まつゆきが1985年11月21日に11種類の試験実施について検証しました。

今回は、まつゆきが123便の垂直尾翼を発見した経緯そのものに残る疑問を取り上げます。

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護衛艦まつゆき2012年の写真

「JAL123便事故究明の会」とは何なのか

今回引用する証言は、「JAL123便事故究明の会」が2025年7月28日に開催したシンポジウムでのものです。

なでしこアクションとの関係

事故究明の会の事務局を務める山本優美子氏は、従軍慰安婦問題を「歴史の歪曲」と位置づけ、国内外の慰安婦像・慰安婦碑の設置に抗議する団体「なでしこアクション」の代表でもあります。事故究明の会が発表する公開質問状(青山透子氏、森永卓郎氏、全国学校図書館協議会宛てなど)やシンポジウムの告知・記録は、いずれもなでしこアクションのウェブサイト上で公開されており、両団体は事実上、同じ事務局体制で運営されています。

活動目的をめぐる発言

会は自らの活動目的を「1985年8月12日の日航123便事故の事実を後世に正しく伝え、当時の関係者及び自衛官の名誉を守ること」と説明。シンポジウム参加者からの質問への回答の中では、さらに踏み込んで「当会の活動目的は、『当時の関係者及び自衛官の名誉を守る』ことであり、事故原因の究明は目的にはしておりません」とも明言しているのです。

「事故究明の会」という名称にもかかわらず、事故原因そのものの解明は目的の範囲外だとしている点には注意が必要ではないでしょうか。
登壇者の構成は以下の通りです。

シンポジウム登壇者と「JAL123便事故究明の会」の関係
氏名 登壇時の肩書 会との関わり
岡部俊哉氏 元陸上幕僚長 会長(中核運営陣)
山本優美子氏 事務局長 事務局(中核運営陣、なでしこアクション代表兼務)
空花正人氏 ファシリテーター(元日本航空社員) 会員(中核運営陣)
亀田康平氏 機関長予定(元まつゆき艤装員) パネリスト(公式な会員かは公開情報から確認できず)
鎗光和博氏 補給長予定(元まつゆき艤装員) パネリスト(公式な会員かは公開情報から確認できず)
織田邦男氏 元空将 パネリスト(公式な会員かは公開情報から確認できず)
渡辺修三氏 元戦闘機操縦士 パネリスト(公式な会員かは公開情報から確認できず)
南尚志氏 元戦闘機操縦士 パネリスト/シンポジウム後のQ&Aでも「回答者」として関与
小川清史氏 元西部方面総監 パネリスト/シンポジウム後のQ&Aでも「回答者」として関与

証言を行った亀田氏・鎗光氏ら元まつゆき艤装員、織田氏、渡辺氏・南氏、小川氏は、当時の当事者として貴重な一次証言を持つ「パネリスト」として登壇した人物であり、会の公式な会員かどうかは公開情報からは確認できません。ただし小川氏・南氏は、シンポジウム後の参加者アンケートへの回答でも「回答者」としてクレジットされており、証言の場を超えて会の情報発信に関わり続けています。

また、参加者から寄せられた「ボイスレコーダーの再分析をお願いしたい」という要望に対し、会は「ボイスレコードの解析については、事故調査報告書においてすでに終了しております。自衛隊によるミサイル等誤射の嫌疑が晴れ、事件性がないことが確定しているので、陰謀説に引き摺られた形での再調査、ボイスレコード公開は考えられません」と回答事実解明のための追加公開そのものに否定的な姿勢を示している点も、この会の性格をうかがわせます

山本氏はこのボイスレコーダー非公開の立場について、別の動画出演時にも説明の一貫性を欠く発言をしており、「【逆効果?】空花・山本氏動画に疑問噴出」で詳しく検証。

証言の場そのものが、あらかじめ「自衛隊の名誉を守る」という結論を掲げた団体によって主催・進行されている以上、この会の結論をそのまま受け取ってよいかは別問題。証言は他の記録(事故調査報告書、当時の報道など)と個別に照合したうえで評価する必要があり、これは他の記事同様、本稿でも行っている検証作業です。

第二回JAL123便墜落事故から40年 現場からの証言

尾翼発見の「偶然」をどう見るか

真殿氏はまつゆきが事故の約24時間後に垂直尾翼の残骸を回収した海域について「特段不審な点はない」としています。

これに対しKM氏は、事故調査報告書の記述をもとに

・海上保安庁は人員161名、巡視船艇6隻、航空機3機を投入し、8月13日午前2時半から大規模な捜索を行っていた

・その海保の捜索でも発見できなかった尾翼の残骸(小型ボート程度の大きさ)を、捜索活動をしていなかったまつゆきの艤装員が、事故からほぼ丸1日後の8月13日夕方に発見したことになっている


大規模な公的捜索でも発見できなかったものを、捜索目的ではない船が偶然発見したという経緯について、KM氏は「常識的に考えてあり得ない」と主張。真殿氏の「特段不審な点はない」という判断とは対照的な見方を示しています。

KM氏はさらに、まつゆきの艤装員だった鎗光和博氏(補給長予定)が2025年7月28日のシンポジウムで語った発見・揚収の経緯そのものにも、具体的な矛盾点を指摘。なお、同じシンポジウムに登壇した亀田康平氏(機関長予定)本人は、「まつゆきが8月12日に豊洲に係留されており相模湾にいなかった」という点と「事故は帰寮後の夜のニュースで知った」という点のみを証言しており、出航時刻や発見・揚収の詳細を語ったのは鎗光氏です。

・揚収時刻が資料によって食い違う:鎗光氏は「16時過ぎに揚収作業を終了した」と証言。事故調査報告書は「18時55分頃揚収」。当時の報道は「18時10分発見」。公開された写真の暗さからみて、実際は18時~19時台とみるのが自然

・残骸の移動距離:尾翼に異常が発生した地点から発見場所まで、残骸は約40km移動したことになる

・航路の不自然さ:鎗光氏は13日朝7時50分にIHI豊洲を出港し、羽田空港沖を通過したと証言。発見場所までの距離を踏まえると、寄り道なしなら3~3.5時間で着くはずが、実際の発見は夕方。発見場所は東京湾-大島間の通常航路から北西に10~20kmずれている

・揚収後の速度:16時過ぎに揚収を終え館山沖へ向かい20時過ぎに館山湾入港と証言。約20海里の距離に4時間かかった計算になり、速度はわずか5ノット(時速約9km)

・引渡し場所の食い違い:当時の報道は「横浜港」で引き渡しとしているが、鎗光氏は「館山湾沖の洋上で、海上保安庁の船に引き渡した」と証言。港での引き渡しですらなく、洋上での船対船の受け渡しだったことになる

・航泊日誌は非公開のまま:まつゆきは2021年4月に除籍済みで開示に支障はないはずだが、経緯を裏付ける資料は示されていない


これらの矛盾がある以上、鎗光氏の証言単体を「特段不審な点はない」の根拠として扱うのは早計だ、というのがKM氏の立場。KM氏は仮説として、もし実際の発見がもっと早い時間帯だったとすれば、待ち構えていたかのような回収になる可能性にも言及していますが、これはあくまで仮説であり、確定した事実として示されているわけではありません。

現時点で言えること

尾翼発見の経緯の不自然さについては、真殿氏・KM氏いずれの側からも、具体的な一次資料に基づく決着はついていません。真殿氏は「特段不審な点はない」と述べるにとどまり、鎗光氏の証言に残る揚収時刻・航路・速度の矛盾そのものへの説明は、今のところ示されていません。

まつゆきの反論をめぐる最後の論点、無人標的機の損失を示す国会答弁の記録については、次の記事で検証します。

参考・出典

真殿知彦『撃墜説の真相』

日航123便墜落事件 まつゆきに関する重大な疑惑(ISF独立言論フォーラム)
日航機123便墜落④ まつゆきの疑惑(市民記者KM氏YouTube動画)
なでしこアクションについて(なでしこアクション公式サイト)
シンポジウム参加者 感想・意見・質問への回答(なでしこアクション/JAL123便事故究明の会)
日航機墜落に関与指摘の護衛艦、事故当日は東京湾に係留 乗員が証言 陰謀説の立脚点が…(産経新聞)

2026年8月31日月曜日

日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論! | ISF独立言論フォーラム

日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論! | ISF独立言論フォーラム

関川栄一郎氏の「無人標的機衝突」発言を「根拠なし」と主張!

この記事で、真殿氏は「無人標的機衝突説」を「全くのデタラメ」として、

発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。

としています。「ある航空評論家」とは関川栄一郎氏以外にあり得ません。真殿氏は関川氏が「何の根拠も示さなかった」と主張していますが、関川氏のテレビでの発言を確認したのでしょうか?ISFの記事で何度か引用していますが、“まつゆき”によって揚収された123便の垂直尾翼残骸(垂直安定板)の写真(図1)を見れば、内部が破壊されておらず上部の左側のみが破壊されており、外部から破壊されていたことは一目瞭然です。関川氏のような航空評論家が何の根拠もなく「無人標的機衝突」発言をしたとは考えにくく、ご自身でこの垂直尾翼残骸を見たか、あるいは残骸を見た人と話していた可能性は十分あります。当時航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し、「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。楢林氏の発言は以下のとおりです。

「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」

https://isfweb.org/post-81539/

日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論!

今月8月12日で日航機123便墜落から41年が経ちました。オールドメディアのみならずYouTubeでも「反陰謀論」的な論調の記事や番組が目立ったという印象ですが、とくに積極的に発信していたのが元海上自衛隊最高幹部の真殿知彦氏です。今回の記事では真殿氏が出演したワタナベケンタロウ氏の日航機墜落事故202「疑惑のFCS試験とは?」、と真殿氏が書いた週刊新潮の2つの記事「拾った財布を届けたら泥棒扱い―日航123便の垂直尾翼を回収した「護衛艦まつゆき」元乗員の怒り」「日航機墜落の陰謀論を作り出したのは誰か 存在しない「オレンジエアー」に執着したジャーナリストの名前」に対して反論します。

まず、ワタナベケンタロウ氏の日航機墜落事故動画202「疑惑のFCS試験とは?」では私の2026年3月10日のISF記事「日航123便墜落事件 まつゆきに関する重大な疑惑」(https://isfweb.org/post-71632/)における疑惑を取り上げています。

11月21日の試験について

2026年3月10日の記事では、真殿氏の著書にある海上運転実績の1985年11月21日の試験内容を見ると1日で下の11種類の試験を行ったことになっていますが、

FCS対空目標追尾試験、FCS目標指示捕捉試験、味方識別標識別試験、対空レーダー探知試験、FCS総合試験、TDS対空実目標追尾試験(予行)、方位盤整合試験、鉄砲/水雷・誘導武器耐震試験、鉄砲/水雷・誘導武器傾斜旋回試験、消磁旋回試験、鉄砲方位盤総合試験

これら全てを1日で行うことは物理的に不可能であり、別の日に実施した試験をこの日の実績として記録していた疑いが濃厚だと指摘しています。”まつゆき”が豊洲を出港して試験を実施する相模湾に出るまでに4~5時間かかります。日帰りで豊洲に帰るのであれば海上で試験をできる時間は1~2時間程度です。真殿氏がこの海上運転実績を正当化したいのであれば、きわめて短時間で11種類の試験を全て完了できたことを証明しなければなりません。

真殿氏は網羅的な説明をせず!

11種類の試験における作業項目一覧とそれぞれの作業にかかる時間を一つ一つ示せばその証明はできますが、動画内でそういった網羅的な説明はされていません。真殿氏は11ある試験のうち6つの試験(FCS対空目標追尾試験、FCS目標指示捕捉試験、味方識別標識別試験、対空レーダー探知試験、FCS総合試験、TDS対空実目標追尾試験(予行))について2時間程度で終わるとしていますが詳細な説明はありません。レーダーや通信に関わる性能は、艦の揺れ(横揺れおよび縦揺れ)や海面の状態に大きく依存するとされています。艦の揺れや海面が異なる状態で試験をすることは重要であり、何日かかけて試験をする必要があったと考えられますが、真殿氏はその説明をしていません。真殿氏は試験に必要な日数について以下のように発言しています。

この試験は30日も40日もかかりますよっていうのはどんな思考過程になってるのかなってちょっとわからなくて。多分、ファクトは何もないと思います...

どうやったらFCS試験が数十日もかかるなんて情報が出てくるのか?わからない。全くのデタラメだと私が自信を持って言います。

さっきの話聞いて、40日って言ってるというのが、ちょっと、いや、まあ重症ですね本当に...

真殿氏が主張する「試験に30~40日」や「FCS試験に数十日」がどこから来たのか不明ですが、私が2026年3月10日のISFの記事に書いたのは以下のとおりです。

いくつかの異なるAIで調べましたが、これらの試験を全て行うには実働で10日間(~30日間)は必要という結果となりました。

真殿氏が「無人標的機説」を否定した理由

無人標的機では試験ができない理由として、真殿氏は、「敵味方識別装置とレーダーを積んでいないこと」を挙げています。以下は真殿氏とワタナベ氏のやりとりです。

「FCS対空目標追尾試験とか目標指示捕捉試験っていうのはどうやってやるかっていうと、まず、飛行機飛ばさないと試験できないんですよ。これは。つまり標的機じゃダメなんです。なぜかというと敵味方の識別装置とか積んでないし、レーダーも積んでないんで、試験にならないんですよね。

ワタナベ「陰謀論者が唱えている無人標的機説はこれで消滅しました。」

しかし、敵味方識別装置が関係するのは味方識別標識別試験のみであり、私が疑っている多目標追尾試験については敵味方識別装置やレーダーの有無は関係ないと思われます。

真殿氏は「多目標追尾試験」に言及せず

“はつゆき”型護衛艦には複数の飛翔体を同時に追尾する「多目標追尾」機能があったとされており、私は過去の記事で「多目標追尾試験」について言及してきました。123便にファイアービーを当ててしまった可能性があると考える試験は、複数の目標を同時にレーダーと戦術情報処理装置(TDS)で追尾する「多目標追尾試験」です。オランダのSienceDirect*の説明では、大きな飛行機に隠れるように小さな飛行機を飛ばしたときに”Track Swap”つまり「目標の入れ替わり」が起きやすいとのことで、この確認のためにレーダーから見て123便の背後にファイアービーを飛ばそうとしていた可能性があると考えています。この動画で真殿氏は「多目標追尾試験」についての説明をしていません。

*ScienceDirectは、オランダの出版社Elsevierによって運営され、1997年に開始されたウェブサイトで、2,500誌以上の査読済みジャーナルと40,000冊以上の書籍チャプターや参考図書にアクセスできるプラットフォーム

真殿氏は対艦ミサイルの探知試験に言及せず

真殿氏はレーダーの試験について、過去に自身が試験協力のために飛んだ経験、つまり低高度から高高度を飛ぶ航空機の探知の説明しかしていません。レーダーの試験に時間がかかる理由の1つとして護衛艦にとって最大の脅威である海面から数メートル(~十数メートル)の超低高度を飛んでくる対艦ミサイルの探知があるとのことです。超低高度の探知は海面から受けるレーダーの反射(クラッタ―)に大きく依存するので海面の状態が異なる条件で試験をしないといけません。よって試験が1日で終了せず、複数日にわたることがあるとのことです。

次に、デイリー新潮の8月12日配信の記事「拾った財布を届けたら泥棒扱い―日航123便の垂直尾翼を回収した「護衛艦まつゆき」元乗員の怒り」についてです。

元海上自衛隊 亀田康平氏の手書き資料

この記事で、真殿氏は “まつゆき”の艤装員だった亀田氏と鎗光氏にインタビューをしています。亀田氏は手書きの資料を残しており、8月12日に出港していないこと、8月12日の時点では二次艤装員として約30名しか配員されておらず、その中にレーダーやミサイルを担当する隊員はいなかったこと、など重要な事実が記されていたとしています。そして造船所が作成した青刷り印刷の資料もすべて残されていたとのことです。亀田氏は昨年7月28日のシンポジウムで「“まつゆき”は8月12日に相模湾にいなかった」と証言していましたが、出港時刻や当日搭乗した人数を詳細に説明しており、何らかの資料を見て話していたという印象がありましたが、やはり資料が残っていたようです。真殿氏は以下のように記述しています。

亀田氏がつけていた直筆のメモや記録は、非常に重要な一次史料だ。このようなメモや日記の類は、裁判等でも有力な証拠として採用され得る。私は亀田氏から託されたこれらの貴重な史料の解析を進め、今後もまつゆきの潔白と陰謀論者たちの責任を追及していくつもりだ。

手書きメモや記録および造船所が作成した資料が重要な証拠であることは当然のことと思います。ここで疑問なのは何故それらの資料を昨年のシンポジウムや今回の記事で提示しなかったのでしょうか?それらは決定的な証拠となる可能性がありますが、該当箇所をそのまま見せられない理由があるのでしょうか?

さらに、海上保安庁が人員161名、巡視船艇6隻、航空機3機を投入して午前2時半から海上を捜索しており、海保が大規模な捜索しても発見できなかった123便の垂直尾翼残骸(約5×1.5m-小型ボートくらいの大きさ)を、捜索すらしていなかった”まつゆき”の艤装員が、墜落からほぼ1日経った18時に発見したことについて、この偶然は常識的にあり得ません。この点について真殿氏は一切説明をしていません。

最後に、デイリー新潮の8月12日配信の記事「日航機墜落の陰謀論を作り出したのは誰か 存在しない「オレンジエアー」に執着したジャーナリストの名前」についてです。

関川栄一郎氏の「無人標的機衝突」発言を「根拠なし」と主張!

この記事で、真殿氏は「無人標的機衝突説」を「全くのデタラメ」として、

発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。

としています。「ある航空評論家」とは関川栄一郎氏以外にあり得ません。真殿氏は関川氏が「何の根拠も示さなかった」と主張していますが、関川氏のテレビでの発言を確認したのでしょうか?ISFの記事で何度か引用していますが、“まつゆき”によって揚収された123便の垂直尾翼残骸(垂直安定板)の写真(図1)を見れば、内部が破壊されておらず上部の左側のみが破壊されており、外部から破壊されていたことは一目瞭然です。関川氏のような航空評論家が何の根拠もなく「無人標的機衝突」発言をしたとは考えにくく、ご自身でこの垂直尾翼残骸を見たか、あるいは残骸を見た人と話していた可能性は十分あります。当時航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し、「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。楢林氏の発言は以下のとおりです。

「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」

墜落直後、「外部飛翔体衝突の可能性」を主張する専門家が複数いたことは間違いないようです。事故調査報告書(2.15.1.3)にも垂直安定板の状態に関する記述があります。

「垂直尾翼フォワード・トルクボックスのFS395より上方の相模湾から回収された部分は、ハニカム構造の外板の一部はがれ及び頂上部の損傷はあるものの、フロント・スパー・コード及び同ウェブには損傷も少なく全体としてはボックス 構造が保持されていた」

とあり垂直安定板の内部が破壊されていなかったとしています。また、事故調査報告書付録4 付図4(d)のグラフを見ると、垂直尾翼とボディーの接続部(ドーサルフィン)のシール部が差圧2psiで損壊するため、垂直尾翼前部の内圧は2.6psiにしか上がりません。垂直尾翼安定板付近の内圧は構造上も上がらないのです。要するに、垂直安定板に関しては事故調査報告書が内圧による破壊を否定しています。真殿氏は関川氏の発言について「根拠なし」としていますが、垂直尾翼安定板が外部から破壊されていたことは明白であったため、関川氏は自衛隊の無人標的機の可能性を疑ったということではないでしょうか。

図1.“まつゆき”によって発見され揚収された123便の垂直尾翼残骸の写真

(北村行孝/鶴岡憲一著、「日航機事故の謎は解けたか」、花伝社より)

吉原公一郎氏の記事を「防衛庁が一瞬で論破」と主張!

作家の吉原公一郎氏が週刊ポスト1985年9月20日号に「オレンジ色のミステリー」という記事を書いて、123便に自衛隊の無人標的機が衝突した可能性を指摘していました。以下は吉原氏の記事にある「オレンジ色の残骸」に関する部分の要約です。

・墜落現場における捜索活動を録画したビデオに、日航機の機体破片とは思えないオレンジ色の金属片が写っていた。

・垂直尾翼と水平尾翼が発見された現場で発見された。

・金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmで、3列にわたってリベットの穴がびっしりと並んでいた。

・白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上をひきずったようについていた。

・日航機の他の残骸と違って、機体の位置を示す荷札がついていなかった。

・この金属片について、現場検証に立ち会った記者の誰も目撃しなかった(現場検証の段階でなぜかなくなっていた)。

これに対して真殿氏は「防衛庁が一瞬で論破」として以下のように記述しています。

しかし、防衛庁(当時)がすぐに「ファイアービーは海上自衛隊の訓練支援艦あづまより発射されるもので、8月11日から21日までは呉基地に在泊中でした。もちろん、12日も訓練は行っておりません」と反論した。

「論破」の根拠は裏付けもない防衛庁の簡単な説明のみであり、“あづま”の数か月分の航泊日誌が提示されていたわけではありません。吉原氏について、真殿氏は以下のように続けています。

すると、吉原氏も翌週の週刊ポスト(85年9月27日号)では「今回の垂直尾翼破壊が『外部衝突』によるものでなければ幸いだが」とトーンダウンした。にもかかわらず、その後も吉原氏は標的機の可能性を完全には捨てず、著書『ジャンボ墜落』(人間の科学社、2004年)に「オレンジ色の物体」のカラー写真を掲載している。

吉原氏がトーンダウンした理由は、防衛庁の説明に納得したからではなく、9月6日にニューヨーク・タイムス紙が「圧力隔壁修理ミス」を記事にしたこと。それが国内で大きく報じられ、墜落原因と関係があると信じられるようになったからではないでしょうか。

吉原氏の著書にあるオレンジ色の残骸を「123便の胴体の一部」と主張!

図2は吉原氏の著書にある、墜落現場で発見されたとする「オレンジ色の残骸」の写真です。週刊ポスト1985年9月20日号の記事によると金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmとありファイアービーの主翼(縦190cm、横52cm)と一致します。この写真では補助翼があったと思われる部分がはっきりと分かります。

図2. 墜落現場で発見されたオレンジ色の金属片

図3の右側は2007年2月24日にアメリカのデスバレーで撮影された白い塗装のファイアービーが墜落した後に撮影された写真です。吉原氏の著書にある残骸と並べて比較すると塗装の剥げ方やリベット間隔が酷似しています。墜落当時、この右側の写真があれば、吉原氏の写真は決定的な証拠となっていた可能性があります。

図3. 墜落現場で発見されたオレンジ色の金属片(左側)と2007年にアメリカのデスバレーで撮影されたファイアービー墜落後の主翼の残骸(右側)

**https://joeidoni.smugmug.com/Aircraft-Crash-Sites/BQM-34A

一方、真殿氏はこの残骸について以下のように主張しています。

その物体は、全体の数%程度に黄色っぽい部分が見えるものの全体としては白であり、ファイアービーなどの標的機とは明らかに色が違う。大きさも色も、墜落した123便(ボーイング747)の胴体部分の外板の一部と見て何の矛盾もない。黄色に見える部分は、プライマー(下塗り塗料)の可能性が最も高い。

しかし、墜落現場の写真で123便の胴体部分の残骸の塗装を見るとほとんど剥げていないことが分かります。一方、吉原氏の著書にある残骸は擦れたように塗装が剥げています。また123便の胴体部分の残骸は、吉原氏の著書にある残骸のように断片になっていません。ちなみに吉原氏の記事によると、オレンジ色の残骸が発見された場所は「水平尾翼や垂直尾翼が発見された場所」とされており、胴体部分が発見された場所からは数百メートル離れています。真殿氏はこの残骸が具体的に123便の「胴体部分」のどこだったのか、何故数百メートル離れた場所に落下していたのかを説明するべきではないでしょうか。

ちなみに、堀越豊裕氏の著書「日航機123便墜落 最後の証言」(平凡社)には「オレンジ色の残骸」について事故調査委員会キャップだった藤原洋氏の説明が載っています。下は藤原氏の発言ですが「右主翼下面の日の丸」としており、真殿氏とは異なる見解を示しています。

「事故機の右主翼下面の一部。ちょうど日の丸が描かれていた場所で、(墜落現場直前の尾根にある)U字溝に右主翼が接触した際、こすれた。色がミサイルに似ていると言うが、右主翼のどの部分かも確認できている」

自衛隊関与説について「言論の暴力」であり「人権侵害」と主張!

 真殿氏は123便の墜落および墜落現場の証拠隠滅に自衛隊が関与したとするいわゆる「陰謀説」について以下のように主張しています。

ずさんな調査と事実誤認による主張が書籍やネットで拡散し、元自衛官たちがあたかも大量殺人の加害者であるかの如く描写され、印象付けられたことはまさに「言論の暴力」であり、「人権侵害」以外の何物でもない。この責任を一体誰が取るのかが、今問われている。

元自衛官の方々への配慮はするべきと思いますが、墜落後の自衛隊の行動には不可解な点が多く、疑われてもやむを得ないと言わざるを得ません。例えば、自衛隊本部は墜落現場についてTACANデータともレーダー消失地点とも無関係で約9kmも離れた「御座山」と発表し続けて早朝まで訂正しなかったこと、21時過ぎの米陸軍ヘリの救助を断わりそれを公表しなかったこと、23時半の長野県警の「御座山は墜落現場ではない」という発表を無視したこと、現場特定の切り札となる偵察型ファントムRF-4Eを飛ばしたのが公式には午前6時前だったこと、救助活動の切り札となる第一空挺団の墜落現場への降下が翌朝9時前になったこと、第一空挺団が降下を完了してから生存者をヘリで救出するまで3時間半もかかったことが挙げられます。「言論の暴力」、「人権侵害」と主張する前にこれらの疑問に対して十分な説明をするべきではないでしょうか。そして墜落原因について様々な説が流されている一番の原因は事故調査報告書がデタラメであったことです。相模湾から回収された垂直安定板には外部から破壊された形跡があり、「圧力隔壁破壊説」には無理があります。自衛隊は墜落には関係ないことを証明したいのであれば、まずはCVR音声を公開し、相模湾の残骸を引き揚げ、そして再調査をすることではないでしょうか。真殿氏も「圧力隔壁破壊説」について否定的であり、この意見に賛同されるものと考えます。

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