https://youtu.be/q-TL5vgiD60?si=usejENdhMDRldIHK
昨日とあと今日ほやほやの話もしてます。食べ物関係は。ということで、ま、あの早速、え、本題に早速じゃない。もう17分経ってます。えっと第1部、え、こんな話から始めます。え、個人をしと、え、いうことで、もう本当に今年、えっと、周りの方がすごくあの、よくしていただいた方がなくなって、あの、特に僕はあんまり取材関係者とは関係性をつめないっていうのをつ、ま、あの、自の中で公平性を保つためってあったんですけど、ま、何人かの方々とは、ま、あの、よくさせていただいて、それは向こうの方からもそういうアプローチもあったので、ま、それを断るっていうのもね、あれですから、ま、自分から、ま、近づいて、ってことは極力その取材関係者しないっていう風にはあったんですけど、ま、そういう中でも関係性を作らせていただいた方々が、ま、愛でなくなってしまったということで、ま、ちょっとその、え、変なの二方の話をちょっとしてみたいと思うんですけど、ま、人はもう仲代達矢さん、え、でございまして、ま、この11月にも亡くなりになったんですけども、これが初めてお会いした時なんですね。え、初めてお会いした時で、これ2000年、え、14年ですねのだからもう14年前になるんですね。え、でございますけど、これあの名熟のあれなんですよ。あの稽古場でしてね。あので初めて覚いしたの塾の稽古場でこれあの机と椅子があのポンポンとまいてあ、そう。今あの先に今色々とあれです。
あのコメント欄に質問来てますけど一旦ちょっとあの質問はあのお待ちください。あの、後で、あの、特にコメント欄の質問は見落としちゃうことがあるので、あの、コメント欄に質問をまとめて書いていただく時間を設けますので、あの、今書いてくださった方、ちょっとお待ちください。その後でもう回もしよろしければ、あの、なされてしまいますので、下に、あの、ちょっとお待ちください。あの、第2部が終わったところでその時間儲けますので、あの、少しお待ちください。
で、もう1回話も、その中さんと初めてお会いしたのは、その無名の稽古場だったんですね。で、ま、その段階からすごくもう中い立と会うってこと緊張してって行った時にそのお目の稽古場が当時行ってものすごい巨大な、ま、実際にすごい広いとこなんですよ。で、あの、それこそ公園もそこでやったりして、お客さんも入れてやったりするもあるぐらい大きなとこなんですよね。板りの、ま、まさにこういう感じで、この上に中台さんの歴代のポスターがあってます。た、もう中上から見下ろされて前にもいるみたいな状況なんですけど。で、先に我々が行くとその大きな稽古場にこんな感じでテーブル個と椅子が個置いてあるんですよ。この巨大な空間の真ん中で人、仲代脱人みたいな。で、周りその名人の方々とその出版社に囲んでる。うわ、すごいなんかあれだなっていう。これはすごい状況だなと思って。で、僕のこののとこでここでま、立って待ってる。そうすると、え、中さん入りますってバーっと入ってきた時にもう本当にごがさしてるよりもなんかあれです。もうあのラ王とか大門にジャキみたいな感じでもなんかト期でうわーっていうなんかもうあのよくそのよくまああの機で喋るのはそれなんですけどあの激画とかで超大物が出てくる時に後ろにバーンとかドガーンみたいな言葉書く時ありますけどあああれが見えるんですみたいなでかとでその人がま目の前にいてやれんのかなと思いながらでももうこうなったら逃げ場はないしやるしかないなっていうことでやらしてもらったらなんか結構本当に普いい意味で普通にあのインタビューやらしていただいたんですよね。うん。それはすごく覚えてて、あの、特にね、こん時最初のインタビューで印象的だったのはなんかちょっと、ま、この後も続いてくんでな、なんだ、よくあるインタビューだなっては思われたくなかったっていうのがあって、あの、いつも多普通だったら仲代さんに最初から聞いてく場合もあるでしょうし、それから、ま、黒沢明の話が入る人も多いだろう。それから、ま、人間の条件から入る人も多いだろう。ま、その辺ぐらいかなとは思ったんで、それはちょっと避けようと思った。ありきたりなところは。で、なんかか春カが大地ラスタは出せないかなと思って、そん時にあの僕のやっぱキャリアのスタートはどこだったかって言うと、あの映像京都って結局男撮影上が作ったあのプロダクションがあるんで、そこの現場を取材させてもらってですね、彼らの仕事の素晴らしさをしてあのこの仕事をやろうっていう風になって立つのが元々あったんで、ここでそれで行こうと。だからで別に最初の段階で仲代さんがすごいのその後もそうなんですけど今日は何喋るってこと伝えない。伝えてないんですよ。で、もうその場で喋るっていう人なので、あの、バッと育てて僕は何を喋るかて言ったら、あの、大英の話から始めさせてくれてことで、で、大英と中さんの最初の作品が炎上なんで、だから仲代さんの市場多炎上から入ることなかったと思うんですけど。で、炎上の話をして、えっと、次なんだったかな?人切りがあって、で、ザ当一のゲストもそういう話伺ってったんですよね。で、そん時にあ、はと思ったのがカさの話とがどうしても出るんだけども、あ、で、このがちょうど天才活心の翌年なんですけど、うわ、天才勝神たの中で俺思いっきり黒沢のあれだよなとか勝信がで書いちゃってるよなってのがあってそれに気づいてたので影ム者の話を触れないです。中でそしたら中さんの方からお話くださって影者の天末話をあご自身から言うにはそれは良かったなて思ってとにかく僕が点数だから仲代さん側にその僕のプロフィールを送る時も前の年それ出して売れてシもいくつも飲みされてたりしてる本なんだけどもだ本当普通だとそれをそれを書いた数がですよって普通んだけどもうあえてプロフィールから送してたんですよさんが送る時にっていうのがあって、でも長崎さんもそれ喋ってくれてあ、良かったななんて向こうから喋ってくださってよかったななんて思ってだからとにかくでもこのインタビューが終わるまではその仲代さんのあのことはあのあのあの勝とかその僕が勝ちの本書いたということは伝えないでおこうっていうことはあの思ってたんですね。っていう風に、ま、思ってて、で、しばらくしてその翌年都市かななんかにその竹直さんのラジオに出させてもらって、それで竹中さんが勝の本読んだよて言って、ありがとうございますって話で、いや、あまりにも面白いからね、こな間だ中さん、その読んですぐ中さんにお会いして、仲代さんに渡して、もうすぐ仲代さん読んでくれたんだよって言って、だ、俺、これ俺と会う前の話なんですよ。読んだのが仲代さんもうすでに読んでるんですよ。だからだそこがね、でも奥にも出さずになんかあなたの本書いた人でしょうみたいなみたいこと言わないていたあので僕も活人間ですわなかったっていう。それがすごくスタートで後から聞いたら僕に交換持ってくださったっていうなんかそその辺の気の気の使い方っていうんですかね。そういうのがあって、で、その後インタビューずっとするんですけど、こな間だ中さんのお矢があって、あのおと北別機行かしてもらったんですけど、ここでやったんですよ。さんにこのあの稽古場でやった時にあの布団を持って国別を終わった後ま中さんの出荷があってで名塾の人たちとか名塾の大人たちがまその仮場に一緒に向かわかわれたんですけどま、あのの人は残ったんですけど僕ちょっとせっかくせっかくってあれなのでその何お手伝いしたいなと思ってその国別式の色々と片付けちょっと手伝したかなったんですけどその時にここずっと歩いててあのアランドした中で思ったのがあその時、仲代さんの待ってる時、ものすごい広い空間に感じたんですよ。本当に巨大な中にポツンと自がいて、そこから東海長さんが来たような感覚でいたのが結果的にその空間見ると狭い感じるんです。あれ、こんな狭いとこだったのかっていう不思議な感じですね。
だからやっぱりあの時の緊張感であったり、中達也っていう人の存在であったりとかそういったものがこの空間を広く見せてたのかなっていうのはあの思ってまとは言いながらもま列の椅子があってあのおつややれるぐらいのあの場所ではあったんですけどねあのおの時ちなみに僕の前の前にた役所さんでしたけどあずっと役所さんだと思いながら役所さんがいてまみたいな席した前はそんな責任したで、その後中井さんとはその個人的なお付き合いをさせていただくことになるんですけど、そのきっかけはなんだかったことなんか中さんがすごく僕のことをなぜか気に入てくださってでその時に度ほど取材が終わった後お酒誘われたんですけどもうとにかく中さんにかけるとま基本的にその取材関係者とは近づかないと思てましさんとそういうことやてまましなのかっていう記憶があってで回だったんですよ。で、回断ってで、回目でも回目もしあったとしたら回通ったらもう多ないだなくなるだろうなと思ったんでさすがに回目誘われたら何があっても行こうと思っててでその時たまたま何だったんだろう。なんかで僕が博多あの九州に旅行行くっていう話だったんですよね。で、その時に中さんも福岡であの民族公演があったんですよね。で、そのことを中さんがなぜか知ってたんだよな。で、僕に連絡があって、あの、笠さん、あの、何日から、あの、あれですよねって、あの、旅行されるらしい。なんで知ってんだ?多どっかで書、ブロック中で書いたんでしょうけど。で、こっちこ、あの、中さんのそのお月の方がで、中台もあの博多で公園があってですので、あのな、あの、夜一緒に飲みたいと言ってますって言われて、かりましたことで、わかん。初めて仲代さんと思うんだ博多なんですよ。博多のなんかね、生牛のね、あの池と池島のイ牛を出すステーキアでしたね。そこに名宿の若い人たちもいて、で、中さんがいて、で、ちょうどそれはね、あ、なんか年か赤んやらが出た直後だったんですよね。で、赤んやら中に渡そうと思って思ってって、それからあれだったんだよな。その時ちょうど手元にあの赤いのでも出てきますけど、あの誤射秀監督が使った企流員のあの撮影台本が手元にあってあこれももあの中谷さんにお見せしようと思って持ってってそれで初めて飲ましてもらったのが最初であんやつがすごい喜んでくださったりとかそので撮影台本バット開けた時に中さん最初どこ読むかななんて思ったらあの台本ってバッと開けてあのページ目ぐらいのとこにキャスティング評名が書いてあって役者の名前が書いてあって出演シーンの順番番号が書いてあるっていうそういう表があるんですけどそれを仲代さん最初に開いてで最初の段階だとそれって名前がね入ってないこと多いんですよねなんだけどパッと見たら確かにそこのところ他の役所の名前は空ラなのに中さんの名前だけ入ってんですよ。それ見てすごく仲代さん喜ばれましてね。要するに東映でしかもザの親の役だから当然自は誰かの大薬だと思ってたっていう。だから、あの、例えば高倉健であったりとか、和歌山本三郎であったりとか、鶴田浩司であったり、そういう人たちにキャスティングがいて、断られたから自のどこに来たんだっていう風に中さんずっと思ってたっていう話で、そこが開いたら他の誰よりも先に中さんだけ印刷されてるっていう状態だったんで、あ、僕が第希望だったんだって初めて知って、いや、僕も実に書いてあるんですけど、元々この客は中さんありきで、中さんとバータでご利用なんですよっていう話をしで、それであ、そうなんだみたいなことで、う、で、
そん時にね、覚えてるのが、あの、その直前にあの映画で人類資金って映画があった貨物順ので、それを死者で見てたんですね。で、これがものすごいつまんないんですよ。で、中さんが見て出てらっしゃるんですけど、そのラスボスの役で。そ、くっそつまんない。本当につま、こんなつまんないからこんなあんな感じぐらいつまんなかったですよね。もう坂本寺のある時期から全部つまんなかったりするけど、その中でももうびっくりするしてたんですよ。あまりのつまらなさのに。で、あん時もその主の主室出る時に最初はあのその宣伝の人が終わった後感想聞かしてくださいねて言われてあ、はい。なんて言ってたずっとエンドロール感想が文字も出てこないっていう。ああ、終わる。あ、エンドロール終わるわ。終わった。も出てこないて言って、で、どうですかて言ってあ、すいませんって書いてあったんですけど、で、それ見た後、ちょ、本当直後なんですよ。で、ああ、気まずいななんて思って、で、
13:00
仲代さんとその飲んでる時に、そしたら仲代さんが、春日さんは『人類資金』見ましたか。ああ、来た、ああ、来たとなって、ま、見てないとも言えないしなと思って、で、そん時にな、何て言ろうか思ったんですね。で、つあるわけですよ。正直に言うっていう選択肢ともうつはオベンチャラを言うていうつあって、そん時で思ったのがここでお弁チャラを行って喜ぶ中に立がもしいたとする。あるいは批判した僕の正直な意見を言って送る中だったんですよ。す、僕からするともうどっちもやだなと思ったんですよ。あったら正直に言おうっておベンチャラ言う正直に言ってそれで不快感をもし示すようだったらもうこの人と付き合わなければいいんだっていう風に思ってもうあんな映画あんなつまらない映画を褒められてあるいは批判されてのその表面的なもので感情を動くような人だったらあもうがかりだなったからそれで正直言ったんですこんなあんなつまらない絵がなかったですって話したらお月の人とねハ立したんすよね。ほれでよく言ってくれたって言って僕もずっとそう思ってたんだけど周りでみんなが褒めるんだよって。だ、僕は間違ってるのかななんて思ってね、ずっとほっとしたのと同時にああ、この人とお付き合いしていこうと思ったっていうのがあって、
あのその前にその初めて仲代さんとお会いする時にあのフジテレビ僕がずっとお世話になってるその本平作ってたフジテレビの野村プロデューサーが僕のゴッドファーザー的存在なんですけど仲代さんの京都の時代って全部野村さんのプロデュースなんですね。で、野村さんに、あの、ま、大体役者さんのインタビューやる前に野村さんって仕事ある人たら蛍光と対策聞いてたんです。あの、本当アル・パチーノがマーロン・ブランドで聞くような感じですよ。で、村さんに電話して、あの、中さんとお会いすることになったんですけどって言ったら、とにかく仲代さんはこの業界では珍しいぐらい、あの、いい意味で普通の人だっていう。だからみんな役者っていうか、スターの人はやっぱおんチラされて褒められて嬉しくなる人だけど、中さんそういう人じゃないとは言ってたんですね。だから普通の人だから普通に向けえばちゃんと返してくれる人だっていうか、そのちゃんとした常識人としての感覚を持ってる唯一といていいさってことをおっしゃってて、あ、そうなんだって思って、ま、だからそのつもりが元々はあったんだけれども本当にそうなんだなっていうのがあって、ま、そっから俺に触れてお酒飲ましていただいたりとかあって、
あの、ま、舞台とかあの、拝見しても、ま、終わった後楽屋とかあの、連れてていただいたりと、あの、合わせてもらったりですけど、その時でも仲代さん何がすごいかって言うと、あのやっぱ求めてないですよね。その、ま、舞台の終わった後、あの、楽屋に行くって、ま、多招待されたり関係者やっぱやらざる得ないんですけど、あれ本当に嫌なんですよ。褒めないといけないじゃないですか。で、映画だったらもう例えば出演した人たちももう半年前、年前、年前だから、ま、時間経ってるから、ま、多少の意見に対さあるだけど、舞台ってやりでほやほやだから役者たちはもう気持ちよくなってるわけですよ。そこにあん時の芝居はねみたこと言うとあれじゃないですか、やっぱり気持ちよくないってのがあるから、ま、基本的に褒めるんですよ。あの、大体それで僕が呼ばれる時って誰とは言わないけど、あの、アイドル出身の人とか若い人、若い女性が多いん仕事で共演した、あの、仕事したで、そういう人たちしか呼ばれていくと、ま、大体くらない間の芝居が多いわけですよ。で、学行って、うん、ま、ちょっとしょうもねえなと思いながらも、ま、いいとこだけも無理やり褒めて、ま、行ったりとか、あとも本当めんどくさい時はもう朝忙しいて帰って、あとメだけ送るとかもやってたんですけど、ま、中さんの時は本当に毎回毎回あの、お抜きで素晴らしいんですね。で、やっぱり何がすごいって、仲代さんはもう過ぎってずっとやってても、その新しい演技ができないかとか、ま、今の社会だったらこういうメッセージが伝えられないかとか、それを演技を通してやれないか、あれ、お客さんとこういう見方をした。ある時はそのもうあ、自の役者として納得したことがそれがお客さんにもう媚びるのをやめようと思うっていう時期があってその時はもうあえてお客さんにからない芝居をやってみようと思うなって時期もあった結構試されるんですよね。で、今年その月に木玉を喉でやった時もその去年の年末に中屋さんと飲ましてもらったんですけど、そん時も、ま、年が開けてその木玉のあの稽古が始まる。あの、半年稽古しますからね、ノメ塾って。で、その稽古が始まる時に若手のその人たち、名塾の熟生たちと、ま、顔合わせをする。その時の発目の声出しの芝居をこういうことやろうと思ってる。今まで自はやったことないこの演技スタイルで若いやつだがそれを見てどういうリアクションするかが楽しみだとかそういう考えの方でもう本当に過ぎても新しい演技のアプローチっていうのをすごい試してく人だったりとかっていうことで全然そこにあまんじない人なんですよ。それは本当にすごくて、もう中達也が舞台に立って演技してるだけでもこっちはもうありがたいとこあるわけじゃないですか。生中い達の芝居が見られるっていうだけで。でも本はそれじゃ不満でもっと何かできないか新しいことができないか何か試せないかってずっと考え続けてしかもそれ自己満足でやってるようになくて実際にやってけちゃうんですよね。だからすごく印象的だったのはマリモアっていうそのあの鳥バルのおじいさんですね。がその最後のリチャード3世の舞台に望む時の楽屋でのプロンプターとのやり取りっていう部隊が芝居が人芝居があんですよ。ま、プロンプタの人は後ろから声をあの声だけで戦でですけどね。さんが実際に人であるんですけど、それいつか選に見させてもらったのは、あの、19じゃない、
14:47
仲代さん、80歳ぐらい、87歳の時の舞台見て、それも素晴らしかった。で、そん時はあの、A君通って警部させてもらったんですけど、で、昨年年、昨年か年ぐらい前にもう回やったんですよ、そのバムを。それ見てもうドキ抜かれまして、この人その84歳でやった芝居を90歳になって乗りあの更新してきたっていううわって思ってそれでもうなんかもう体初って良くなっちゃってで楽屋いた時その赤田さんが恐ろしいのはそういう時に自信がないです。終わった後自に対してだからどうでしたかなって聞く時にあのどうでしたかっていう時って役者さんの前もうそれって普通スターさんとかそのどうでしたっていう時みんな同じやつ褒めてっていうことなんですよね。あのまよく言うそのま、ま、これとよく言ですけど女性の人とかがあの男性と洋服買る時これ似合うって聞いて似合わないっていうことは求めてないじゃないですか。似合うって言って欲しいっていうためのあの寄び水するってそれのパターンってあんですけど高さんそうじゃないです本当にどこだったか気になってるっていうのがあってそれで正直にこっちがあの歳の舞台に更新してここのところが特にすごかったって言ったら本当にほっとした顔されるんですよ。で、お月の人に聞くと何かって言うと、もうあれがないっていう、その中さんはあの本番、その本番が終わったら次の本番が始まるまでずっと反省してるっていう。だから僕なんかが言って一言言ってくれないとお月の人が困るぐらいその反省するっていう。でもやっぱそのぐらいまだやれるはず、もっとやれるはずって思ってる人なんですけどね。だから行った時も元で舞台拝見してで終わった後、ま、ノって駅からで笠さんどうやって帰るのって言ったらあの元中島まの駅まであるぐらいあるんですけど前夜の公園になった時は本当に真っ暗で一応俺田のしたことがあったんですけどあのそのぐらい真っ暗のかまその日は昼の公演だったんでまだ夕方だったからあの中所まで歩いて行って電車で帰りますって言ったらあじゃああの車乗せてくよって言ってくださってでお月の方が運転してでお付きの方が運転して仲代さんが僕後ろに触らしてもな、中さん前俺後ろってすごいなと思いながら仲代さんずっとそのどうだったどうだったってもうマイクいやだから素晴らしかでまたしばらくどうだったみたいなでその顔が本当にえなんか不安げななんかの乃木た人みたいな顔で振り返るも振り返った顔中西さんですからねみたいなのがあってうんそこも思い出深いなっていうのがあったりとかあとなんかねすご仕事聞いってくださって僕まだから僕はも個人でインスタやってて関係者だけ見せてるのがあるんですけどまそれでま大体こう元に行く時はあの枕で同じ宿泊まってるんですよね。だから今回もまあ事前に枕が止まってから舞台行きますって言った。ま、その時は仲代飲んだりとかなんかできるうではなかったんですけどあのあれなんですよ。んだっけ?あの、僕の誕生日だった、その日は。あの、で、月日誕生日で日の舞台のに行く予定で、人でその枕の宿泊まったらガチャっと開けたら叫びが本置いたんですよ。で、どうして中井さんは、あ、そ、そう、あの、説明忘れましたけど、あの、先ほど長谷達さんいらっしゃって、あの、このお酒置いてきました。なんで俺溜まったことしてんだよと思うんですけど、あ、ありがとう。うおと思ってで、ま、ちょうど金沢駅で色々と刺身と買ってきてたんで、で、あの、仲代さんのお付き合の一会してLINEやってたんですぐ、あの、ありがとうございますって言んで、あの、一応お酒持ってのトワンパックになんかこうやって、あの、酒飲んでる写真送ってみたいな感じで、あの、やらしてもらったりとかね。なんかそんなのもあったし。ある時はあれでしたね。その七尾のところに道の駅とか海の駅ってのがあって、そのなんか漁行で色々と食べられるあの道の駅みたいなとこあるんですけどそこにま、およく行くんですよ。で、朝行って行くとトレ立ての魚が並んでて、で、その魚屋さんでこれとこれとこれって言ったらその場でさばいてくれて、あの、パッく、あの、あのサポシロールのですけど、船みたいに持ってくれて、それで食べて、で、喉のおにぎりとあと、ま、お土産用のワンカップの自酒があったりしてそれ飲んだりしたのが朝そこそこんですけど、あの、舞台見に行く前とかあるみたい。なんかはあのそんなのやっててで気持ちいいからそれをなんかSNSあげたらあのであげてしばらくしてもうあ、あのそんな電車がないから尾から電車に乗って金沢向かって電車乗ったぐらいだな。七尾を出発した時にまだお月の人からねってさん今どこいますか?って言われてあ尾から今ちょうど神向かいましたけどて言ったら今ちょうど泣中台向かってるとこだったんですって言われてガさんと一緒になんか朝飲みたいってああそうだったですかすいませんみたいななんかそんな感じでお付き合いさせていただいてるええ感じでまやっ何が番やっぱりこう恐縮と同時に嬉しかったのはあれですねあのイベントやらしてもらうとまさんやる時、もうご指名いただくんですよ。もうカスが来て出ってあのいうのが出た。去年そのやらせてもらったと岡崎去年やった時なんかはあのここでやああのイベントがあるから本当は文芸がやりたいっていう日に僕無理だったと思ってでなんかあの文芸座側ももうの話だ僕もあのまああの聞きでたくさんいますからやれる人あの僕じゃなくてもいいですよってじゃ文芸さんもそうしますって言ったら中さんが春じゃないと出ないって話になっていやでどここもうもうお客さん入決まってるらしいさどうしようみたいなことになってたら文芸作と話し合ってじゃあ前の人にしようということで前のにしてもらうともう俺俺ありきしかも大阪のでみたいなうん。なんかそんな感じででもそん時も毎回こうやる時に仲代さんがこうあのご挨拶する時必ず親友のカが大事さんでて言うんですよ。いや、もう中台さんに親友って言われたらね、もうどうします?っていうね。な、なんてね、あの、年齢倍違いますからね。よくキャリアも違うし。でもなんかそこが嬉しいというか、あの、ただです友達の少ない人間ですけど僕は。でも少なくても人で大きい人いるからもう人ぐらいじゃないですか、仲代さん人で。あ、もうそれでよくね、友達人できるかななんて言いますけど。人もいらないけど中達が人ってすごいよって。だからそれすごく励みになるというか。うん。なんか僕の中でもやっぱ僕のことを悪くと批判する人いる色々いるけどいつでも中さんに評価してもらってるんだよってのは自の勇気になると同時にま、下手な仕事もできないよなってずっと思ってたりとか。あと嬉しかったのもう個嬉しかったのはあの鬼の筆橋本さん出した時に冒頭でその橋本慎しぶさんと書いたあの鬼についての仕があるんですけど中さんそこすごくそれ気に入ってくださってあの最初こな間だもあの再放送流れましたけどNHKラジオで仲代さんがあのレギュラーコーナー持ってんですけど朝に月かなんかでそこで朗読してくださったんですよね。いや、ま、橋本さんの書いた文章とは言っても自の本から抜粋して中たちが朗読するってなかなかないのですごい感動してあの確保で取ってあるんですけどでその後あれでしたあのイベントなあの橋本し信映画祭文芸仲代さんにやらしていただいてやった時も冒頭でイベントでお客さんの前であのその本のおの冒頭目の前で読んでくれただったんですよ。いや、もう俺帰っていいやと思って、もういや、俺やだよ。こんな聞きてやるのなんてと思ってね、そのぐらいうん。完激したと覚えてますね。
で、最後はあのやり取りしたのはもう朝も今年の9月9日なんですよ。あの、なんでかって言うと僕の誕生日なんですけど、ま、そのお月の人とやってるLINEで起きたら音声ファイルを届いてですよね。で、開いたら何かあったら中さんが僕にバースデーソングだってください。ハッピーバースデーいう中さんの声でいや、もう高方ですよね。うん。ていうのがあって、だから本当に突然だから本当に僕は何にも知らなかったんで突然だったんですよ。で、あのなんならもう来年旅行しましょうとか話してたぐらいでもうそんな感じだったんですよね。で、近もうって話もしてたりとかそれでもう次の舞台あのどん底今度やることになっててそのどん底のもうセリフの読み合せも始めてる状況だったんでね本当に急なことで僕もなんかネットでバーっと見てたらネットニュースが流れて最初なんかの間違だろうと思ってそれでましばらくしてそのお月の方に連絡したらもう泣かれてたねああ本当なんだなっていうのがあってびっくりしましたね本当になんかで、その何日の風にお次と国別機かしていただいて、ま、自の中でまだ全然整理もしきれてないしうん。なんですけどね、まあ色々と今取材も受けたりと、ま、不思議な感じなんですよ。から僕は取材者で取材する側だし、中さんについての、ま、ツイトも書かしていただいているんだけど、最近受けてる取材とか求められてるものって何かって言ったら、中台さんの晩年を知ってる友人枠になっちゃって、それえってのが、なんかもうすごいびっくりしてる。その枠でいいのか俺はって思うんだけどでも中さんからその枠に入れていただいたからにはその責任でやるのも自の役割だろうと思ってまやってくるってのなんですけども結果的にその中さんの果相時代機が年にあってそれはもうクランクインからクランクアップまでずっと僕を付き合いさせていただいたんですよね。うん。あのそれも印象的でしたね。で、何人か終わりの辺になってくると、ちょ、マスコミ読んでコミ取材ってやるんですけど、それと東京からみんなライターとか呼んできて、ま、あの、知ってる先輩ライダー結構あさんいつ来たんですかみたいなことをね、いや、俺番汚さんいつ来たんですかみたいな業界人トークみたいやりたがるみたいなのがあって、いつ来た?何も、俺は週間でいますよみたいなこと。ま、言っちゃうんですね。また俺本人にや週間前までいましたね。て、え、何さん足でしょって言って、俺自で来てますから全然近います。得られるものがって話してで、匠取材で革命取材でその別のライド、あれ、かさん匠取材行かないんですか?て言ったら、あ、もうそのぐらいの情報全部得てますから。ま、言うんだよね、俺が。うん。言わなきゃいいのに言うか嫌われんですよね。うん。だからも募集中書かれるわけだけど。ま、それはさてきで終わって革命して終わって中さんかと思っててほっととした顔でいやあ嘘ついてきたねてはい皆さん嘘の現稿書いてるわけですよなんていうことまほの先のためにねあのほ映画の宣伝のためにそういうことおっしゃってたわけですけどまそんなこともあってでも
終わった後もずっとお酒飲んで義で飲んだりとかしてると義で飲んだとかずっとちょっと歩いてみたいて言ってあの何かで歩いてそうするとここの宿に白川沿にここの宿ずっと止まってたんだよ。あ、そうなんですね。て言って、その白川に小さい橋が変わってんですけど、あの積極の時ここに止まってて、で、前の番金之助さんと喧嘩してで、宿ん出されて止まれなくて、この石、あの橋の上で寝てたんで、で、そこに小地のあの俳優部の人が迎えに来たら中さんが起きてくださいて、ここで俺は起きて潜伏の現場にいたみたいな話されてたりとか、うわ、すげえの引いたななんていうのがうん。あったりもしましたね。本当に懐かしい。あ、そ、コメントにも来てますけど。
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そうですね。あ、あれ2018年なんだ。2018年に池神翔太郎記念文庫であのウさんのあのそうさんも亡くなったんだよな。と鬼関さんとトークやらしくてもらって、あの鬼平犯科帳の、ま、舞台裏みたいな形で、その実際に鬼さんのお弟さんたちとあのその場で盾をつけながらあの鬼兵の盾、見学障害の盾みたいなやってて目の前で盾をつけながらその賞をや、賞というかあの盾をやってもらってその盾はどういう糸なのかってのウさんに解説してもらうっていうすごい贅沢なあのやったんですよ。さん、
そのちょっと前仲代さんから連絡がありましてね、僕も見たいって言い出して、わかりましたっていうことで、もう台東区にも連絡して、仲代さん来ますということで、で、鬼さんには言わないでおこうと思って気使うからと思ってでうん。それで、ま、色々動線も考えて、ま、やったんですけど、で、なんとなく僕の中でちょっといたずら心が芽生えて、それでウさん、ウ関さんは元々三船に認められて、あの、映画館に入って殺陣師になってた人で、あの、つ木三十郎で三船があの、人切りバーってやってますけど、あれ切られる人だったりとか、あの、赤ひげで三にもどんばん、投げられるチンキラいましたけど、あれさんなんですけど、その、ま、津木三郎に切られてですお兄さんので、
最後終わりの時に、あの、実はお兄さんお客さんに、あの、今の日本の映画界には椿三十郎に斬られた人が二人現役でいますと。人さんですと。で、今日実は会場にもう人つ木さんで切られた人が来てますっていうことで、あの、すいません。もし切られた方もしよろしかったら壇上にいらっしゃげますかっていうことでその紹介で仲代さんを私は言うたわけですけどで仲代さんき出していただいてウさんと久々に再開してあの仲代さんのその野村さんとやってきた時代劇も鬼さんが盾だったのでいやもうさんには色々と厳しくしていただいたいみたいなして
お兄さんがちょうど癌を患直前にすごい体調悪くされて本当は難しかったんですよね。ほんまやるも。でもあの春日と約束したからっていうことで、あのわざわざ朝様にやらしていただいたんですけど、そん時になんか僕の中でうさの感謝を決めたいし、仲代さんにも感謝になるんじゃないかと思ってお客様うーっと盛り上がりましたよ。うん、ていうので人がこう抱き男で終わったあってね。あれも楽しかったな。
ああいう人たちと出会えたっていうのは本当に僕の宝だし、今あのノートの方であのあの連載始めたんですけどあの思ったんす結局僕自身が歴史の証言者の方々に聞いて回ってそれを書きめるってのは僕の仕事だと思ったんですけども結果的に僕自身が本当に例えば中谷さんだりウさんであり野村さんであったりもいろんな人たちの現場だったりとかこうお付き合いさせていただいてまさに今そう課題さんご自身との付き合いがどうだったかの取材を受けるようになってるっていう状況で、あ、そうなんだなっていうその映画のあの時代機の撮影現場もそうなんですけど、もう今の撮影現場とかにはないわけですよ。そういう人たちはいないし、撮影の仕方も違ってるしってのがあるので、フィルムで昔映画のすごかった時代からやってる俳優さんスタッフがいる中であのやってた現場をその場で最初から最後まで取材してる人間って考えてみたら後にも先にも僕しかいないんですよね。それやってきた人間って。だから今すごい取材してる人はたくさんいるけども、あくまでもインタリューって取材で現場は見てないで、僕もインタビューはしてきてるけど、もう個同時に現場を見てきてるってのがこの現場を見てきたっていう経験はそうだ、僕自身の時代の証言者なんだっていうことに最近あの自でも気づいたところがあって、だからそれをちょっと書きめていこうというあの忘れないうちにと思ってそれで今あのノートの方にはあのあれも年間の時にかなあもっと前だ。年か年ぐらいのその三国連れ連太郎さんが鬼平にゲストに出る時になった時のまあ日の話書いて今全回けでまだ僕は三さんが会ってないんですけど回か回だで次来週更新しますけどここで中村基ちゃ対その三国レン太郎の現場話します書きますけどねなんかそういうことをやってくるのが僕の仕事もう個仕事があるなということで今思っている次第でえございますで、いますね。あの時真後ろに中達さんがいて紹介されるまで気づかなかったと。ああ、すごい聞いた人いるんですね。ああ、いらっしゃいますね。え、ああ、そう、そう。あ、そうすね。あ、いらっしゃった方サプライズゲスト中さんが来た、見た時思ったのがすんげえでかいなということで、え、勝さにでかいと思いましたと。そうなんです。当期ってやっぱね、本当にラボットだじゃなくて同じ感じでね、大きく見えるもんなんですよね。うん。そのあのクラスになるということで、あ、もう結構時間経っちゃってるな。まあ、いいや。え、中さんのお話を、ま、させていただきました。で、もう回一方やはり亡くなったのが、え、菅原俊戸さんですね。私の、え、菅原さんが今年お亡くなりになって、あの菅原さんとはここではやってないから、その前にあのロフトプラスウェエストで年ほどかな出していただいて色々盾の話とか、え、させていただいて、その話の一部はあの私のYouTubeチャンネルでも上がってますので、あの是非ご覧いただけると、ま、すごい気策な方で、で、菅僕は本当に京都のスタッフさんとも基本的にはあんまり仲良くしないようにはしてきたんですけども、あの、菅原さんはすごくなんか気に入ってくださてなんだったんだろう最初は。あ、最初は神やらの取材でま、始まってでそれが終わった後あれだったんだな。あの香軍の里市一の取材で菅原さんに聞いてうん。あれで、ま、菅原さんがある人の覚悟を持って批判周りから批判されるのを覚悟でこれは受けたっていう。でもカトレシがこれだけ頑張った。そのことだけを確めて欲



