2026年8月31日月曜日

日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論! | ISF独立言論フォーラム

日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論! | ISF独立言論フォーラム

関川栄一郎氏の「無人標的機衝突」発言を「根拠なし」と主張!

この記事で、真殿氏は「無人標的機衝突説」を「全くのデタラメ」として、

発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。

としています。「ある航空評論家」とは関川栄一郎氏以外にあり得ません。真殿氏は関川氏が「何の根拠も示さなかった」と主張していますが、関川氏のテレビでの発言を確認したのでしょうか?ISFの記事で何度か引用していますが、“まつゆき”によって揚収された123便の垂直尾翼残骸(垂直安定板)の写真(図1)を見れば、内部が破壊されておらず上部の左側のみが破壊されており、外部から破壊されていたことは一目瞭然です。関川氏のような航空評論家が何の根拠もなく「無人標的機衝突」発言をしたとは考えにくく、ご自身でこの垂直尾翼残骸を見たか、あるいは残骸を見た人と話していた可能性は十分あります。当時航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し、「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。楢林氏の発言は以下のとおりです。

「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」

https://isfweb.org/post-81539/

日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論!

今月8月12日で日航機123便墜落から41年が経ちました。オールドメディアのみならずYouTubeでも「反陰謀論」的な論調の記事や番組が目立ったという印象ですが、とくに積極的に発信していたのが元海上自衛隊最高幹部の真殿知彦氏です。今回の記事では真殿氏が出演したワタナベケンタロウ氏の日航機墜落事故202「疑惑のFCS試験とは?」、と真殿氏が書いた週刊新潮の2つの記事「拾った財布を届けたら泥棒扱い―日航123便の垂直尾翼を回収した「護衛艦まつゆき」元乗員の怒り」「日航機墜落の陰謀論を作り出したのは誰か 存在しない「オレンジエアー」に執着したジャーナリストの名前」に対して反論します。

まず、ワタナベケンタロウ氏の日航機墜落事故動画202「疑惑のFCS試験とは?」では私の2026年3月10日のISF記事「日航123便墜落事件 まつゆきに関する重大な疑惑」(https://isfweb.org/post-71632/)における疑惑を取り上げています。

11月21日の試験について

2026年3月10日の記事では、真殿氏の著書にある海上運転実績の1985年11月21日の試験内容を見ると1日で下の11種類の試験を行ったことになっていますが、

FCS対空目標追尾試験、FCS目標指示捕捉試験、味方識別標識別試験、対空レーダー探知試験、FCS総合試験、TDS対空実目標追尾試験(予行)、方位盤整合試験、鉄砲/水雷・誘導武器耐震試験、鉄砲/水雷・誘導武器傾斜旋回試験、消磁旋回試験、鉄砲方位盤総合試験

これら全てを1日で行うことは物理的に不可能であり、別の日に実施した試験をこの日の実績として記録していた疑いが濃厚だと指摘しています。”まつゆき”が豊洲を出港して試験を実施する相模湾に出るまでに4~5時間かかります。日帰りで豊洲に帰るのであれば海上で試験をできる時間は1~2時間程度です。真殿氏がこの海上運転実績を正当化したいのであれば、きわめて短時間で11種類の試験を全て完了できたことを証明しなければなりません。

真殿氏は網羅的な説明をせず!

11種類の試験における作業項目一覧とそれぞれの作業にかかる時間を一つ一つ示せばその証明はできますが、動画内でそういった網羅的な説明はされていません。真殿氏は11ある試験のうち6つの試験(FCS対空目標追尾試験、FCS目標指示捕捉試験、味方識別標識別試験、対空レーダー探知試験、FCS総合試験、TDS対空実目標追尾試験(予行))について2時間程度で終わるとしていますが詳細な説明はありません。レーダーや通信に関わる性能は、艦の揺れ(横揺れおよび縦揺れ)や海面の状態に大きく依存するとされています。艦の揺れや海面が異なる状態で試験をすることは重要であり、何日かかけて試験をする必要があったと考えられますが、真殿氏はその説明をしていません。真殿氏は試験に必要な日数について以下のように発言しています。

この試験は30日も40日もかかりますよっていうのはどんな思考過程になってるのかなってちょっとわからなくて。多分、ファクトは何もないと思います...

どうやったらFCS試験が数十日もかかるなんて情報が出てくるのか?わからない。全くのデタラメだと私が自信を持って言います。

さっきの話聞いて、40日って言ってるというのが、ちょっと、いや、まあ重症ですね本当に...

真殿氏が主張する「試験に30~40日」や「FCS試験に数十日」がどこから来たのか不明ですが、私が2026年3月10日のISFの記事に書いたのは以下のとおりです。

いくつかの異なるAIで調べましたが、これらの試験を全て行うには実働で10日間(~30日間)は必要という結果となりました。

真殿氏が「無人標的機説」を否定した理由

無人標的機では試験ができない理由として、真殿氏は、「敵味方識別装置とレーダーを積んでいないこと」を挙げています。以下は真殿氏とワタナベ氏のやりとりです。

「FCS対空目標追尾試験とか目標指示捕捉試験っていうのはどうやってやるかっていうと、まず、飛行機飛ばさないと試験できないんですよ。これは。つまり標的機じゃダメなんです。なぜかというと敵味方の識別装置とか積んでないし、レーダーも積んでないんで、試験にならないんですよね。

ワタナベ「陰謀論者が唱えている無人標的機説はこれで消滅しました。」

しかし、敵味方識別装置が関係するのは味方識別標識別試験のみであり、私が疑っている多目標追尾試験については敵味方識別装置やレーダーの有無は関係ないと思われます。

真殿氏は「多目標追尾試験」に言及せず

“はつゆき”型護衛艦には複数の飛翔体を同時に追尾する「多目標追尾」機能があったとされており、私は過去の記事で「多目標追尾試験」について言及してきました。123便にファイアービーを当ててしまった可能性があると考える試験は、複数の目標を同時にレーダーと戦術情報処理装置(TDS)で追尾する「多目標追尾試験」です。オランダのSienceDirect*の説明では、大きな飛行機に隠れるように小さな飛行機を飛ばしたときに”Track Swap”つまり「目標の入れ替わり」が起きやすいとのことで、この確認のためにレーダーから見て123便の背後にファイアービーを飛ばそうとしていた可能性があると考えています。この動画で真殿氏は「多目標追尾試験」についての説明をしていません。

*ScienceDirectは、オランダの出版社Elsevierによって運営され、1997年に開始されたウェブサイトで、2,500誌以上の査読済みジャーナルと40,000冊以上の書籍チャプターや参考図書にアクセスできるプラットフォーム

真殿氏は対艦ミサイルの探知試験に言及せず

真殿氏はレーダーの試験について、過去に自身が試験協力のために飛んだ経験、つまり低高度から高高度を飛ぶ航空機の探知の説明しかしていません。レーダーの試験に時間がかかる理由の1つとして護衛艦にとって最大の脅威である海面から数メートル(~十数メートル)の超低高度を飛んでくる対艦ミサイルの探知があるとのことです。超低高度の探知は海面から受けるレーダーの反射(クラッタ―)に大きく依存するので海面の状態が異なる条件で試験をしないといけません。よって試験が1日で終了せず、複数日にわたることがあるとのことです。

次に、デイリー新潮の8月12日配信の記事「拾った財布を届けたら泥棒扱い―日航123便の垂直尾翼を回収した「護衛艦まつゆき」元乗員の怒り」についてです。

元海上自衛隊 亀田康平氏の手書き資料

この記事で、真殿氏は “まつゆき”の艤装員だった亀田氏と鎗光氏にインタビューをしています。亀田氏は手書きの資料を残しており、8月12日に出港していないこと、8月12日の時点では二次艤装員として約30名しか配員されておらず、その中にレーダーやミサイルを担当する隊員はいなかったこと、など重要な事実が記されていたとしています。そして造船所が作成した青刷り印刷の資料もすべて残されていたとのことです。亀田氏は昨年7月28日のシンポジウムで「“まつゆき”は8月12日に相模湾にいなかった」と証言していましたが、出港時刻や当日搭乗した人数を詳細に説明しており、何らかの資料を見て話していたという印象がありましたが、やはり資料が残っていたようです。真殿氏は以下のように記述しています。

亀田氏がつけていた直筆のメモや記録は、非常に重要な一次史料だ。このようなメモや日記の類は、裁判等でも有力な証拠として採用され得る。私は亀田氏から託されたこれらの貴重な史料の解析を進め、今後もまつゆきの潔白と陰謀論者たちの責任を追及していくつもりだ。

手書きメモや記録および造船所が作成した資料が重要な証拠であることは当然のことと思います。ここで疑問なのは何故それらの資料を昨年のシンポジウムや今回の記事で提示しなかったのでしょうか?それらは決定的な証拠となる可能性がありますが、該当箇所をそのまま見せられない理由があるのでしょうか?

さらに、海上保安庁が人員161名、巡視船艇6隻、航空機3機を投入して午前2時半から海上を捜索しており、海保が大規模な捜索しても発見できなかった123便の垂直尾翼残骸(約5×1.5m-小型ボートくらいの大きさ)を、捜索すらしていなかった”まつゆき”の艤装員が、墜落からほぼ1日経った18時に発見したことについて、この偶然は常識的にあり得ません。この点について真殿氏は一切説明をしていません。

最後に、デイリー新潮の8月12日配信の記事「日航機墜落の陰謀論を作り出したのは誰か 存在しない「オレンジエアー」に執着したジャーナリストの名前」についてです。

関川栄一郎氏の「無人標的機衝突」発言を「根拠なし」と主張!

この記事で、真殿氏は「無人標的機衝突説」を「全くのデタラメ」として、

発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。

としています。「ある航空評論家」とは関川栄一郎氏以外にあり得ません。真殿氏は関川氏が「何の根拠も示さなかった」と主張していますが、関川氏のテレビでの発言を確認したのでしょうか?ISFの記事で何度か引用していますが、“まつゆき”によって揚収された123便の垂直尾翼残骸(垂直安定板)の写真(図1)を見れば、内部が破壊されておらず上部の左側のみが破壊されており、外部から破壊されていたことは一目瞭然です。関川氏のような航空評論家が何の根拠もなく「無人標的機衝突」発言をしたとは考えにくく、ご自身でこの垂直尾翼残骸を見たか、あるいは残骸を見た人と話していた可能性は十分あります。当時航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し、「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。楢林氏の発言は以下のとおりです。

「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」

墜落直後、「外部飛翔体衝突の可能性」を主張する専門家が複数いたことは間違いないようです。事故調査報告書(2.15.1.3)にも垂直安定板の状態に関する記述があります。

「垂直尾翼フォワード・トルクボックスのFS395より上方の相模湾から回収された部分は、ハニカム構造の外板の一部はがれ及び頂上部の損傷はあるものの、フロント・スパー・コード及び同ウェブには損傷も少なく全体としてはボックス 構造が保持されていた」

とあり垂直安定板の内部が破壊されていなかったとしています。また、事故調査報告書付録4 付図4(d)のグラフを見ると、垂直尾翼とボディーの接続部(ドーサルフィン)のシール部が差圧2psiで損壊するため、垂直尾翼前部の内圧は2.6psiにしか上がりません。垂直尾翼安定板付近の内圧は構造上も上がらないのです。要するに、垂直安定板に関しては事故調査報告書が内圧による破壊を否定しています。真殿氏は関川氏の発言について「根拠なし」としていますが、垂直尾翼安定板が外部から破壊されていたことは明白であったため、関川氏は自衛隊の無人標的機の可能性を疑ったということではないでしょうか。

図1.“まつゆき”によって発見され揚収された123便の垂直尾翼残骸の写真

(北村行孝/鶴岡憲一著、「日航機事故の謎は解けたか」、花伝社より)

吉原公一郎氏の記事を「防衛庁が一瞬で論破」と主張!

作家の吉原公一郎氏が週刊ポスト1985年9月20日号に「オレンジ色のミステリー」という記事を書いて、123便に自衛隊の無人標的機が衝突した可能性を指摘していました。以下は吉原氏の記事にある「オレンジ色の残骸」に関する部分の要約です。

・墜落現場における捜索活動を録画したビデオに、日航機の機体破片とは思えないオレンジ色の金属片が写っていた。

・垂直尾翼と水平尾翼が発見された現場で発見された。

・金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmで、3列にわたってリベットの穴がびっしりと並んでいた。

・白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上をひきずったようについていた。

・日航機の他の残骸と違って、機体の位置を示す荷札がついていなかった。

・この金属片について、現場検証に立ち会った記者の誰も目撃しなかった(現場検証の段階でなぜかなくなっていた)。

これに対して真殿氏は「防衛庁が一瞬で論破」として以下のように記述しています。

しかし、防衛庁(当時)がすぐに「ファイアービーは海上自衛隊の訓練支援艦あづまより発射されるもので、8月11日から21日までは呉基地に在泊中でした。もちろん、12日も訓練は行っておりません」と反論した。

「論破」の根拠は裏付けもない防衛庁の簡単な説明のみであり、“あづま”の数か月分の航泊日誌が提示されていたわけではありません。吉原氏について、真殿氏は以下のように続けています。

すると、吉原氏も翌週の週刊ポスト(85年9月27日号)では「今回の垂直尾翼破壊が『外部衝突』によるものでなければ幸いだが」とトーンダウンした。にもかかわらず、その後も吉原氏は標的機の可能性を完全には捨てず、著書『ジャンボ墜落』(人間の科学社、2004年)に「オレンジ色の物体」のカラー写真を掲載している。

吉原氏がトーンダウンした理由は、防衛庁の説明に納得したからではなく、9月6日にニューヨーク・タイムス紙が「圧力隔壁修理ミス」を記事にしたこと。それが国内で大きく報じられ、墜落原因と関係があると信じられるようになったからではないでしょうか。

吉原氏の著書にあるオレンジ色の残骸を「123便の胴体の一部」と主張!

図2は吉原氏の著書にある、墜落現場で発見されたとする「オレンジ色の残骸」の写真です。週刊ポスト1985年9月20日号の記事によると金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmとありファイアービーの主翼(縦190cm、横52cm)と一致します。この写真では補助翼があったと思われる部分がはっきりと分かります。

図2. 墜落現場で発見されたオレンジ色の金属片

図3の右側は2007年2月24日にアメリカのデスバレーで撮影された白い塗装のファイアービーが墜落した後に撮影された写真です。吉原氏の著書にある残骸と並べて比較すると塗装の剥げ方やリベット間隔が酷似しています。墜落当時、この右側の写真があれば、吉原氏の写真は決定的な証拠となっていた可能性があります。

図3. 墜落現場で発見されたオレンジ色の金属片(左側)と2007年にアメリカのデスバレーで撮影されたファイアービー墜落後の主翼の残骸(右側)

**https://joeidoni.smugmug.com/Aircraft-Crash-Sites/BQM-34A

一方、真殿氏はこの残骸について以下のように主張しています。

その物体は、全体の数%程度に黄色っぽい部分が見えるものの全体としては白であり、ファイアービーなどの標的機とは明らかに色が違う。大きさも色も、墜落した123便(ボーイング747)の胴体部分の外板の一部と見て何の矛盾もない。黄色に見える部分は、プライマー(下塗り塗料)の可能性が最も高い。

しかし、墜落現場の写真で123便の胴体部分の残骸の塗装を見るとほとんど剥げていないことが分かります。一方、吉原氏の著書にある残骸は擦れたように塗装が剥げています。また123便の胴体部分の残骸は、吉原氏の著書にある残骸のように断片になっていません。ちなみに吉原氏の記事によると、オレンジ色の残骸が発見された場所は「水平尾翼や垂直尾翼が発見された場所」とされており、胴体部分が発見された場所からは数百メートル離れています。真殿氏はこの残骸が具体的に123便の「胴体部分」のどこだったのか、何故数百メートル離れた場所に落下していたのかを説明するべきではないでしょうか。

ちなみに、堀越豊裕氏の著書「日航機123便墜落 最後の証言」(平凡社)には「オレンジ色の残骸」について事故調査委員会キャップだった藤原洋氏の説明が載っています。下は藤原氏の発言ですが「右主翼下面の日の丸」としており、真殿氏とは異なる見解を示しています。

「事故機の右主翼下面の一部。ちょうど日の丸が描かれていた場所で、(墜落現場直前の尾根にある)U字溝に右主翼が接触した際、こすれた。色がミサイルに似ていると言うが、右主翼のどの部分かも確認できている」

自衛隊関与説について「言論の暴力」であり「人権侵害」と主張!

 真殿氏は123便の墜落および墜落現場の証拠隠滅に自衛隊が関与したとするいわゆる「陰謀説」について以下のように主張しています。

ずさんな調査と事実誤認による主張が書籍やネットで拡散し、元自衛官たちがあたかも大量殺人の加害者であるかの如く描写され、印象付けられたことはまさに「言論の暴力」であり、「人権侵害」以外の何物でもない。この責任を一体誰が取るのかが、今問われている。

元自衛官の方々への配慮はするべきと思いますが、墜落後の自衛隊の行動には不可解な点が多く、疑われてもやむを得ないと言わざるを得ません。例えば、自衛隊本部は墜落現場についてTACANデータともレーダー消失地点とも無関係で約9kmも離れた「御座山」と発表し続けて早朝まで訂正しなかったこと、21時過ぎの米陸軍ヘリの救助を断わりそれを公表しなかったこと、23時半の長野県警の「御座山は墜落現場ではない」という発表を無視したこと、現場特定の切り札となる偵察型ファントムRF-4Eを飛ばしたのが公式には午前6時前だったこと、救助活動の切り札となる第一空挺団の墜落現場への降下が翌朝9時前になったこと、第一空挺団が降下を完了してから生存者をヘリで救出するまで3時間半もかかったことが挙げられます。「言論の暴力」、「人権侵害」と主張する前にこれらの疑問に対して十分な説明をするべきではないでしょうか。そして墜落原因について様々な説が流されている一番の原因は事故調査報告書がデタラメであったことです。相模湾から回収された垂直安定板には外部から破壊された形跡があり、「圧力隔壁破壊説」には無理があります。自衛隊は墜落には関係ないことを証明したいのであれば、まずはCVR音声を公開し、相模湾の残骸を引き揚げ、そして再調査をすることではないでしょうか。真殿氏も「圧力隔壁破壊説」について否定的であり、この意見に賛同されるものと考えます。

市民記者募集のお知らせ

2026年8月30日日曜日

酒に酔って暴れて、物音に叫んで怯えて―― 元日本兵の父との壮絶な日々 旧日本軍がタブー視した兵士のPTSD #きおくをつなごう #戦争の記憶【n... https://youtu.be/iV2A0kcwTHw?si=tNdwfXOHYFKkYH-o 浅井病院

【全編配信】日本が81年隠してきた「戦争トラウマ」戦場のストレスで「幻覚」心を病んだ兵士は戦後、家族に虐待・性暴力 父親の“足跡”をたどる娘の思... https://youtu.be/P94tQsUnyUM?si=Vq72kVABNhPM_GHw 藤岡三千代

戦後81年 証言聞けない時代が目前に 今集める戦傷病者の声 | NHKニュース

戦後81年 証言聞けない時代が目前に 今集める戦傷病者の声 | NHKニュース

戦後81年 証言聞けない時代が目前に 今集める戦傷病者の声


炭鉱の掘削作業中に…

小野茂さん(左)と娘の壽子さん(右)

この夏、取材に応じてくれたのが、都内の特別養護老人ホームで暮らす小野茂さん(左)。

小野さんは太平洋戦争開戦前の1940年、当時の満州、現在の中国東北部を拠点としていた関東軍に入隊。

その後、現地で国策会社の南満州鉄道に移り、炭鉱の掘削に携わっていました。

記者
「戦争のこと、戦後のことについて、お話聞けますか」
小野茂さん
「戦争のこと、もうずいぶん古いわね。うーん…、なんか思い出せないね」
娘の壽子さん
「少なくとも5、6年前だったら、今よりはもうちょっと受け答えができたかな」

戦後、小野さんが国に提出した資料に、事故の状況が克明に記されていました。

「応急の血止めを施されたが、出血多量のため意識不明」

当時、日本軍は、不足していた燃料の増産を最重要課題とし、小野さんが勤務していた南満州鉄道の「撫順炭鉱」では、時間外勤務が常態化。

安全管理が不十分な労働環境の中、別の作業員の不注意で貨物車両にひかれたのです。

同僚の輸血でなんとか一命を取り止めたものの、24歳の若さで両足を失いました。

戦傷病者となった小野さんは、戦後、障害に苦労しながらプレス工として生計を立ててきました。

父から、戦時中のことは多くを聞かされませんでした。

娘の壽子さん
「やっぱり大変だったろうなと。よくここまで育ててくれたという感謝ですね」

証言の難しさ増すなかで…

戦後80年余りが経過し、小野さんのような戦争の悲惨さを直接知る「戦傷病者」の声は集めにくくなっています。

東京 千代田区にある国の史料館「しょうけい館」です。

20年前(2006年)に開館し、障害が残るなどした戦傷病者の証言や資料を集めてきました。

国が手帳を交付した戦傷病者の数は、2024年度に全国で1560人と、ピーク時の15万人余りと比べて100分の1ほどに減少しています。

また、東京都によりますと、都内ではことし(2026年)3月末の時点でわずか17人となっているということです。

7年前から証言の収集を担当していますが、この5年間、1人もインタビュー収録ができていません。

西尾拓海 学芸員
「ご存命でもなかなかお話を聞くことは難しい状況です。それでもやはり、可能性が一つでもあるなら残していかないと、永遠に失われてしまう情報があります」。

証言可能な戦傷病者が・・・

西尾さんはことし7月、戦傷病者の情報を知って埼玉県東松山市を訪れました。

満州で終戦を迎え、その後、シベリアに抑留されました。

マイナス50度にも及んだ極寒の中でも木の伐採作業などに従事し、凍傷のため右足の親指の一部を失いました。

西尾さんは史料館として記録に残すため、インタビューができる体力があるか、記憶が鮮明かを確認していきました。

関根忠良さん
「(シベリアで足を)切断することになったんですけど。歩いていて足をつまづくと、頭の芯まで(痛みが)響くんですね。兵隊とかよりも、シベリア抑留が一番つらかった」

西尾拓海 学芸員
「関根さんにとって、戦争というのはどういうものですか」
関根忠良さん
「もう、兵隊に行けば戦死すればいいんだ、と。戦争に行けば結局死ぬんだ、って。本当に命がけだったですね」

西尾さんは今しか語れない言葉を映像で残したいと感じました。

西尾拓海 学芸員
「自分が望まなかったところに連れて行かれてしまった、そのつらさをかなり感じ取れました。文字だけでは伝わらない情報が映像として残す資料の中にはありますので、証言を残していく意味があると思っています」


取材後記

学芸員の西尾さんが「関根さんにとって戦争とは何か」と尋ねた際、私は、関根さんから教訓のようなことばが返ってくるのかと予期しました。

しかし、関根さんは「戦争とは死ぬこと」と短く語りました。

これも戦地を実際に踏んだ元兵士の今しか聞けない「証言」だと感じました。

戦争の前線を知り、その後も後遺症や差別などに苦しんできた戦傷病者の証言は、戦争の悲惨さを現実のものとして私たちに突きつけてきます。

そうした肉声を直接聞ける可能性が残された最後の時代に私たちはいるのだと改めて感じました。

首都圏局 記者
兼清光太郎
2015年入局 札幌、帯広、前橋の各放送局を経て2025年より現職

【海外の反応】「日本は1945年から学んでないじゃないか!」「日本とのパートナーシップは本当に”ゲームチェンジャー”だった」USスチールが日本製... 1945年から学んでいないのはアメリカ。日本を叩きすぎて必要以上にソ連、中国の台頭を許した。

https://youtu.be/iqW8HCyed-c?si=nRvIbvlpUNxDGrEn 1945年から学んでいないのはアメリカ。日本を叩きすぎて必要以上にソ連、中国の台頭を許した。

社会福祉士のお勉強 -その2・心理学編🌸ー | 更生のための刑事弁護を目指す弁護士西谷裕子のホームページ

社会福祉士のお勉強 -その2・心理学編🌸ー | 更生のための刑事弁護を目指す弁護士西谷裕子のホームページ

社会福祉士のお勉強 -その2・心理学編🌸ー

社会福祉士の試験科目で、2番目にくるのが、「心理学」。

刑事弁護の中では、臨床心理士さんに心理分析や治療でお世話になる機会が多く、好きな科目でしたが、きちんと体系的に勉強したことはありませんでした。

社会福祉士の勉強では、広く、浅くしかやらないのですが、
エリクソンの発達段階とか、マズローの欲求5段階説とか、
あのとき、臨床心理士さんが言っていたけど、いまいちよくわからなかったことが、
「ああ、これのことだったのか」とわかって、よかったです。

特に、印象に残ったのは、「防衛機制」。

社会福祉士の試験でも、頻出問題とされているようですが、初めて教科書で読んだ時、
「万引きのあの被告人(知的障害)は、この防衛機制が働いていたのではないか…」と思いました。

刑事事件や刑事裁判にもすごく関係があるように感じるのですが、普段、刑事事件をやっていても、「防衛機制」なんて言葉は全然聞きませんよね。

あまり理解されていないのではないかと感じました。

例えば、「退行」というのがあって、実際の年齢より幼い行動や表現をすることで、不安や強いストレスを緩和させることをいうのですが、裁判の場でも、それを思わせる出来事がありました。

2回あったのですが、どちらの例も、少年を思わせるような若年成人、若しくは、年齢は少し上がっているけど、内面的には若年成人と同じというタイプの被告人でした。

1人目は、昨日まで、接見室で、私の前では、自分のことを「俺」と呼んで、しっかりした口調で話していたのに、

法廷に出た途端、自分のことを「おいら」と言い始め、子どものような話し方をし始めたのです。

接見室との変わりように、えー???と、私はびっくり!!

自分の主張を強くしていた被告人だっただけに、幼く見てもらって、刑を軽くしたいのだろうか?と意外に感じて、その時は理解できませんでした。

二人三脚で頑張ってきただけに、悔しい!という思いがしたのも事実です。

そして、2人目の20代前半の被告人も、接見室では、彼なりにしっかりしゃべっていたのに、

法廷で、裁判官の前に出た途端、まるで子どものような話し方を始めたのです。

否認事件だったので、「もっとしっかりしゃべれ!(だって、昨日までしゃべれていましたから)」と、つい怒ってしまったのですが、(彼は傷ついてしまったかもしれません)、

あとで、それが防衛機制の「退行」現象だったと気づきました。

どちらの被告人も、子どもの頃、虐待を受けていて、少年院送致になった経験がありました。

1人は、児童養護施設で育った子どもでした。

裁判官の前に出て話すということは、彼らにとっては、すごく強いストレスで、自然と退行することで、心を守っているのだとわかりました。

これは、裁判手続きの中で現れた退行現象ですが、
事件のまさにその時に、退行以外のものも含めて、防衛機制が働いている場面は、意外に多いのではないかと思っています。

今後は、心理学の勉強も進めていきたいなと思っています。

BSスペシャル 戦争トラウマ実態調査~苦しみの連鎖を断てるのか~ - 動画配信