【阿波で読解く】神域 眉山の秘密・誓約の謎編(徳島県) 神社ねこ
https://rekishi-love-history.blogspot.com/2024/02/blog-post_76.html
全日本人の常識が覆る〝阿波・起源説〟がヤバすぎる!?古事記の内容は全て「徳島」だった可能性があります。 https://youtu.be/twdMicJpoK4?si=Nl2FwQw2nNnx3ysK @YouTubeより
【阿波で読解く】神域 眉山の秘密・誓約の謎編(徳島県) 神社ねこ
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全日本人の常識が覆る〝阿波・起源説〟がヤバすぎる!?古事記の内容は全て「徳島」だった可能性があります。 https://youtu.be/twdMicJpoK4?si=Nl2FwQw2nNnx3ysK @YouTubeより
ある日、お客様からお問い合わせがありました。
「名筆五体般若心経」の中に、中ほどを過ぎたあたりの「遠離一切顚倒夢想」(一切の顚倒せる夢想を遠離し)が「遠離顚倒夢想」(顚倒せる夢想を遠離し)になっているものがあるのはなぜですか?
で、思い出しました。
かつて比田井南谷が空海の字を集めて般若心経を作っていたとき、「遠離一切顚倒夢想」の「一切」を入れるべきかどうか迷っていたことを。
通常、読経や写経に用いられる般若心経には、この「一切」が入っています。
しかし、書の名品として伝えられる般若心経の中に、「一切」が入っていないものもあります。
どういうことなのでしょう。
調べてみました。
般若心経を最初に翻訳したのは鳩摩羅什(くまらじゅう)で、402年頃とされています。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は629年にインドに旅立ち、たいへんな困難を乗り越えて645年に帰国しました。
おびただしい数のサンスクリット語経典を持ち帰りましたが、その漢訳事業を称えて建てられたのが「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」碑(672年)です。
唐の太宗が敬愛していた王羲之の筆跡を集めて作られています。
行書を学ぶためになくてはならない古典です。
末尾に般若心経が刻されていますが、「一切」は入っていません。
日本ではどうでしょう。
日本で書かれた般若心経の中で、もっとも古く、そして有名なのは「隅寺心経(すみでらしんぎょう)」であると言われています。
空海筆と伝えられていますが、実際には奈良時代に書かれたと推定されています。
「遠離」と「顚倒」の間に「一切」が入っています。
なぜ?
書作品としての般若心経は、楷書だけでなく行書、草書、篆書、破体書など、さまざまの書体で書かれ、見ごたえのあるものも珍しくありません。
そこで今回は、この「一切」の有無にも注意しながら、いろいろな般若心経の名品を見ていくことにしましょう。
まずは中国唐時代の人、欧陽詢が書いたと伝えられている「楷書・般若心経」です。
「化度寺碑(けどじひ)」を思わせる端正で美しい楷書です。
実は玄奘が般若心経を翻訳したとき、欧陽詢はすでに他界していたので、筆者は欧陽詢ではありませんが、いろいろな法帖に刻された有名な作品です。
(上に掲げたのは単帖から採ったもの)
全文260字がバランスよくおさめられています。
「遠離」と「顚倒」の間に「一切」はありません。
劉墉(りゅうよう・1719〜1804)は清代中期の人。
彼は常に濃墨を使って渾厚な書を書き、「綿の中に鉄を含むようだ(楊守敬)」と評されました。
比田井天来も近代中国ではもっとも高く評価しています。
行書と草書が混ざった、濃厚な趣をもつ般若心経です。
やはり「一切」は書かれていません。
続いて篆書です。
鄧石如(とうせきじょ・1743〜1805)は清代に秦漢およびそれ以前の文字を徹底的に研究し、三国以降すっかり衰えてしまった篆隷をよみがえらせました。
彼はことさらに奇をてらうことなく、篆隷に限らずオーソドックスな書を書きました。
この「般若心経」は61歳、亡くなる前々年の書で、伸びやかな線による堂々とした篆書です。
ここにも「一切」はありません。
呉昌碩(ごしょうせき・1844〜1927)は石鼓文(せっこぶん)の研究によって、新しい篆書のスタイルを作り上げました。
篆刻に優れ、傑作を数多く残しています。
伏見冲敬先生の解説を引用します。
末に呉昌碩の識語(しご)があり、かつて鄧完白(とうかんぱく・完白は鄧石如の号)の篆書心経八幀を見て服膺(ふくよう)之(これ)を久しうしたと書いてあり、かれが鄧完白の作品を頭において書いたにちがいない。
(中略)
鄧氏のは立派な小篆なので、呉昌碩は同じことはやりたくないので、自分の得意な石鼓文の風をとりいれて書いた。
「自ら視て尚ほ悪態なし」といっているが、まことにこれは呉氏の生涯でも傑作の一つである。
文句なしに篆書の基礎手本として精習すべきものである。
ここにも「一切」は書かれていません。
以上、中国の作品には「一切」は書かれていませんでしたが、日本の書はどうでしょうか。
一つの作品が数種類の書体で書かれていることを「破体(はたい)」とか「雑体(ざったい)」と呼びますが、上は楷書、行書、草書、隷書、さらに梵字や章草が混ざった「破体般若心経」です。
京都の広隆寺に伝わるもので、最後に「空海」の落款があります。
多くの書体を書きこなし、それぞれの味わいを活かしつつみごとに調和させています。
川谷尚亭の臨書が残されています。
原本通り「一切」が入っています。
江戸時代の貫名菘翁(ぬきなすうおう・1778〜1863)の大字楷書「般若心経」です。
菅公(菅原道真)九百五十年祭のために謹書した八曲屏風で、太宰府天満宮に奉献されました。
日下部鳴鶴が跋語で「書法は雅錬高古、変化自在。規矩を自然に運らし、雄奇を静穆に寓す」と述べています。
「一切」が入っています。
こちらは、同じく菘翁の「集王聖教序」の臨書です。
原本通り「一切」は入っていません。
良寛(りょうかん・1758〜1831)が書いた般若心経にも「一切」があります。
池大雅(いけのたいが・1723〜1776)が書いた般若心経には、なぜか「遠離顚倒一切」になっています。
「一切」を入れる場所を間違えたようです。
最後に、成田山新勝寺境内にある中林梧竹(なかばやしごちく・1827〜1913)の石碑拓本をご紹介しましょう。
集王聖教序を臨書したものだと言われていますが、「一切」が入っています。
もしかしたら、実際に手本を見ることなく、記憶によって臨書した「背臨」かもしれません。
だとしたら、すごいことです!
以上、中国と日本の般若心経を比べてみました。
中国では「一切」がなく、日本では「一切」が入っています。
このへんの事情を研究した書籍はほとんどないようです。
1993年に弓立社から発行された「般若心経の道」で、著者の飯島太千雄先生はこのことを嘆きつつ、独自の説を展開しました。
般若心経は日本に伝わると、文中に「一切」が加えられ、冒頭に「摩訶般若波羅蜜多心経」などの経題、そして末尾に効能文(般若心経を唱えることによって得られる効能を書いたもの)がつけられるようになった、というもので、71種の般若心経について、「一切」の有無や経題、効能文の内容などの比較が掲載されています。
誰でも知っている般若心経ですが、実は知られていないことも多いのだと実感しました。
最後に、天来書院刊行の写経用紙をご紹介します。
比田井天来編「集王羲之書般若心経」は、集王聖教序をもとにして、さらに習いやすいよう、双鉤塡墨として残る王羲之の筆跡などを加えて編集したものです。
比田井南谷編「集空海書般若心経」は、空海真筆とされる書から文字を選んで編集されています。
両者とも、伝統的な写経の書式にのっとり、さらに「一切」も入れて編集されていますから、書の専門家にふさわしい写経ができると評判です。
写経体の名品「隅寺心経写経用紙」です。
習いやすいように文字部分を強調しました。
効能文は入っていません。
わずか260字(あるいは262字)の中に、大般若経の教えが凝縮されていると言われる名編「般若心経」。
歴代名人の書を研究して、独自の般若心経を書いてみませんか。
名筆五体般若心経 A4判113ページ 3080円(税込)
貫名菘翁楷書般若心経・集王羲之書般若心経・集空海書般若心経・呉昌碩篆書般若心経・集泰山金剛経般若心経
集王羲之書般若心経 写経用紙(比田井天来編) A4判 1320円
集空海書般若心経 写経用紙(比田井南谷編) A4判 1320円
隅寺心経 写経用紙 A4判 1320円
般若心経の「一切」 | 酔中夢書2022
https://www.shodo.co.jp/blog/yume2022/135/
中国と日本の般若心経を比べてみました。
中国では[遠離の後の]「一切」がなく、日本では「一切」が入っています。
このへんの事情を研究した書籍はほとんどないようです。★
仏
蜜 説 般
多 若
心 波
経 無 羅
智 道
苦 亦 滅 得
死 以
盡 集 無 無
死 故 無 所
提 菩 老 得 尽 死
薩 老
垂 無▽ 無 蜜▽ 羅 無
依 尽 明 波 多 至
無 明 般 若 盡 乃 故 心
無 無
界 受▽ 色 行 無 是▽ 呪 圭
識 是 想 是 識 上 無 礙
空 即 意 是 呪 亦 是 無 等 等
空 呪
是 無 諸 明 子 大 復 多 圭 能
即 至 法 大 神 利 如 蜜 礙 除
界 乃 色 空 呪△ 是 是△ 舎 羅 一 故 無
眼 無 色 声▽ 香 相 不 若 波 顛▽ 倒 切 恐 有
法 異 味 色 知 般 生 不 夢 離 苦 怖
触 不 無 故 身 竟 減 想 真 遠
空 提 意 涅 舌 究 不 実
空 菩 槃 鼻 垢 不
異 三 三 耳 不 虚
不 藐 世 眼 浄 故
色 三 諸 無 不 説
舎 利 子 羅 仏 婆訶観 識 増 般 若 波
厄 時▽ 多 多 依 自 薩 行 不 波▽ 諦 羅
苦 密 照 耨 在 般 相 提 減 羯 羅 蜜
切 羅 見 菩 阿 受 若 是 菩 諦 羯 多
波 一 薩 五 無 得 故 波 羯 諦 呪 諦
若 行 度 蘊 色 空 故 羅 曰 即 羯 波
深△ 般 皆△ 空 中△ 無 蜜△ 多 説△ 呪 羅△ 僧
仏
蜜 説 般
多 若
心 波
経 無 羅
智 道
苦 亦 滅 得
死 以
盡 集 無 無
死 故 無 所
提 菩 老 得 尽 死
薩 老
垂 無 無 蜜 羅 無
依 尽 明 波 多 至
無 明 般 若 盡 乃 故 心
無 無
界 受 色 行 無 是 呪 圭
識 是 想 是 識 上 無 礙
空 即 意 是 呪 亦 是 無 等 等
空 呪
是 無 諸 明 子 大 復 多 圭 能
即 至 法 大 神 利 如 蜜 礙 除
界 乃 色 空 呪 是 是 舎 羅 一 故 無
眼 無 色 声 香 相 不 若 波 顛 倒 切 恐 有
法 異 味 色 知 般 生 不 夢 離 苦 怖
触 不 無 故 身 竟 減 想 真 遠
空 提 意 涅 舌 究 不 実
空 菩 槃 鼻 垢 不
異 三 三 耳 不 虚
不 藐 世 眼 浄 故
色 三 諸 無 不 説
舎 利 子 羅 仏 婆訶観 識 増 般 若 波
厄 時 多 多 依 自 薩 行 不 波 諦 羅
苦 密 照 耨 在 般 相 提 減 羯 羅 蜜
切 羅 見 菩 阿 受 若 是 菩 諦 羯 多
波 一 薩 五 無 得 故 波 羯 諦 呪 諦
若 行 度 蘊 色 空 故 羅 曰 即 羯 波
追記:
不
空
空
異
不
色 ↙︎
舎 利 子 観
厄 時▽多 自
苦 密 照 在
切 羅 見 菩
波 一 薩 五
若 行 度 蘊
深△般 皆△空
赤線を引くとわかるが上のように▽ができる部分があり、多分仏の顔に見立てている。△は足。
▽
△ △
🧘
ほぼ八人の仏が曼荼羅状にいることになる。
行程も一筆書きというより最大8個の選択肢から正確なものを選ぶというものだ。
仏
説
蜜 般
多 若
心 無 波
経 智道 羅
苦亦滅得
死 盡集無無 以
死故無所
提菩老得尽死
薩 垂無無蜜羅無 老
依尽明波多至
無明般若盡乃故心
無 界受色行無是呪圭 無
識是想是識上無礙
空即意是呪亦是無等等
空 是無諸明子大復多圭能 呪
即至法大神利如蜜礙除
界乃色空呪是是舎羅一故無
眼無色声香相不若波顛倒切恐有
法異味色知般生不夢離苦怖
触不無故身竟減想真遠
空提意涅舌究不実
空菩槃 鼻垢不
異三三 耳不虚
不藐世 眼浄故
色三諸 訶無不説
舎利子羅仏婆観識増般若波
厄時多多依自薩行不波諦羅
苦密照耨在般相提減羯羅蜜
切羅見菩阿受若是菩諦羯多
波一薩五無得故波羯諦呪諦
若行度蘊色空故羅曰即羯波
深般皆空中無蜜多説呪羅僧
『般若波羅蜜多心経』写本(合集)
唐・作者不詳
紙本・写本・水墨
本作品は、敦煌遺書の一つである唐代の小楷書法の手稿であり、内容は『般若波羅蜜多心経』である。この手稿は、唐代の書法の卓越した技法と仏教経典の融合を体現しており、重要な歴史的価値と芸術的価値を有している。影刻技術によって保存され、今日まで伝承されており、唐代の書法および仏教文化を研究する上で重要な資料となっている。(文:珍小宝)
この文書は、仏教の経典である「般若心経」の文字を用いて宝塔(塔)の形を描いた「宝塔心経」と呼ばれるものです。
中央には仏像(観音菩薩坐像など)が描かれており、文字で構成された塔の中に仏様が鎮座するデザインになっています。
このような形式の写経は、唐の時代や敦煌の遺書などに見られる歴史的な信仰の形です。 [1, 2, 3, 4]
敦煌莫高窟の一室より、1900年に発見されて以降、中国学研究に多大な影響を与えた古代文書群(敦煌遺書)について、網羅的に詳しく説明を加えた概説書。敦煌学を知るため ...
https://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4497212047&bookType=jp
敦煌书法墨迹精品《宝塔心经》三种
《宝塔心经》图文并茂,形式新颖别致,极具趣味性和观赏性,实属敦煌遗书中的“宝中之宝”。
英国人斯坦因收集的敦煌《宝塔心经》水墨纸本,规格:47×22厘米,大英图书馆藏,编号:S.4289
《宝塔心经》,就是把佛经中的《心经》以塔的形状书写出来。这种塔状的心经分为塔座﹑塔身和塔顶三部分,而塔身又分为五层,塔顶为经文题名,塔门绘有观世音菩萨立像,解读宝塔心经的方法是从观音菩萨左足下角的“观”字开始,沿虚线依次读之,最后心经结尾“婆诃”是收在观世音菩萨的右足下角。
【空海✕般若心経】 マントラの究極形「般若心経」の霊力の秘密とは?|空海『般若心経秘鍵 https://youtu.be/Lcdgao0c62k?si=3uo3b6HB8bWoZ27s @YouTubeより
福井 文雅(ふくい ふみまさ[1]、1934年6月6日[2] - 2017年5月4日)は、日本の仏教学者および中国学者、僧侶(天台宗勧学で大僧正)[3]。栃木県日光市、日光山輪王寺内にある唯心院住職、早稲田大学名誉教授。
1934年、東京府で仏教学者・福井康順の子として生まれた。早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修を卒業。同大学大学院に進学。フランスに留学し、ポール・ドミエヴィル(1894年-1979年)に師事した。
帰国後、早稲田大学教授を務めた。1984年、学位論文『般若心経の歴史的研究』を早稲田大学に提出して文学博士号を取得[4]。学界では、日本学術会議(17期・18期)会員。1996年から2004年まで、早稲田大学仏教青年会第8代会長。
専門は東洋学で、般若心経の文献学的研究や道教の形成に関する歴史的研究を行った。『アジア文化の思想と儀礼 福井文雅博士古稀記念論集』(2005年)に詳しい業績の紹介がある。
ある日、お客様からお問い合わせがありました。
「名筆五体般若心経」の中に、中ほどを過ぎたあたりの「遠離一切顚倒夢想」(一切の顚倒せる夢想を遠離し)が「遠離顚倒夢想」(顚倒せる夢想を遠離し)になっているものがあるのはなぜですか?
で、思い出しました。
かつて比田井南谷が空海の字を集めて般若心経を作っていたとき、「遠離一切顚倒夢想」の「一切」を入れるべきかどうか迷っていたことを。
通常、読経や写経に用いられる般若心経には、この「一切」が入っています。
しかし、書の名品として伝えられる般若心経の中に、「一切」が入っていないものもあります。
どういうことなのでしょう。
調べてみました。
般若心経を最初に翻訳したのは鳩摩羅什(くまらじゅう)で、402年頃とされています。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は629年にインドに旅立ち、たいへんな困難を乗り越えて645年に帰国しました。
おびただしい数のサンスクリット語経典を持ち帰りましたが、その漢訳事業を称えて建てられたのが「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」碑(672年)です。
唐の太宗が敬愛していた王羲之の筆跡を集めて作られています。
行書を学ぶためになくてはならない古典です。
末尾に般若心経が刻されていますが、「一切」は入っていません。
日本ではどうでしょう。
日本で書かれた般若心経の中で、もっとも古く、そして有名なのは「隅寺心経(すみでらしんぎょう)」であると言われています。
空海筆と伝えられていますが、実際には奈良時代に書かれたと推定されています。
「遠離」と「顚倒」の間に「一切」が入っています。
なぜ?
書作品としての般若心経は、楷書だけでなく行書、草書、篆書、破体書など、さまざまの書体で書かれ、見ごたえのあるものも珍しくありません。
そこで今回は、この「一切」の有無にも注意しながら、いろいろな般若心経の名品を見ていくことにしましょう。
まずは中国唐時代の人、欧陽詢が書いたと伝えられている「楷書・般若心経」です。
「化度寺碑(けどじひ)」を思わせる端正で美しい楷書です。
実は玄奘が般若心経を翻訳したとき、欧陽詢はすでに他界していたので、筆者は欧陽詢ではありませんが、いろいろな法帖に刻された有名な作品です。
(上に掲げたのは単帖から採ったもの)
全文260字がバランスよくおさめられています。
「遠離」と「顚倒」の間に「一切」はありません。
劉墉(りゅうよう・1719〜1804)は清代中期の人。
彼は常に濃墨を使って渾厚な書を書き、「綿の中に鉄を含むようだ(楊守敬)」と評されました。
比田井天来も近代中国ではもっとも高く評価しています。
行書と草書が混ざった、濃厚な趣をもつ般若心経です。
やはり「一切」は書かれていません。
続いて篆書です。
鄧石如(とうせきじょ・1743〜1805)は清代に秦漢およびそれ以前の文字を徹底的に研究し、三国以降すっかり衰えてしまった篆隷をよみがえらせました。
彼はことさらに奇をてらうことなく、篆隷に限らずオーソドックスな書を書きました。
この「般若心経」は61歳、亡くなる前々年の書で、伸びやかな線による堂々とした篆書です。
ここにも「一切」はありません。
呉昌碩(ごしょうせき・1844〜1927)は石鼓文(せっこぶん)の研究によって、新しい篆書のスタイルを作り上げました。
篆刻に優れ、傑作を数多く残しています。
伏見冲敬先生の解説を引用します。
末に呉昌碩の識語(しご)があり、かつて鄧完白(とうかんぱく・完白は鄧石如の号)の篆書心経八幀を見て服膺(ふくよう)之(これ)を久しうしたと書いてあり、かれが鄧完白の作品を頭において書いたにちがいない。
(中略)
鄧氏のは立派な小篆なので、呉昌碩は同じことはやりたくないので、自分の得意な石鼓文の風をとりいれて書いた。
「自ら視て尚ほ悪態なし」といっているが、まことにこれは呉氏の生涯でも傑作の一つである。
文句なしに篆書の基礎手本として精習すべきものである。
ここにも「一切」は書かれていません。
以上、中国の作品には「一切」は書かれていませんでしたが、日本の書はどうでしょうか。
一つの作品が数種類の書体で書かれていることを「破体(はたい)」とか「雑体(ざったい)」と呼びますが、上は楷書、行書、草書、隷書、さらに梵字や章草が混ざった「破体般若心経」です。
京都の広隆寺に伝わるもので、最後に「空海」の落款があります。
多くの書体を書きこなし、それぞれの味わいを活かしつつみごとに調和させています。
川谷尚亭の臨書が残されています。
原本通り「一切」が入っています。
江戸時代の貫名菘翁(ぬきなすうおう・1778〜1863)の大字楷書「般若心経」です。
菅公(菅原道真)九百五十年祭のために謹書した八曲屏風で、太宰府天満宮に奉献されました。
日下部鳴鶴が跋語で「書法は雅錬高古、変化自在。規矩を自然に運らし、雄奇を静穆に寓す」と述べています。
「一切」が入っています。
こちらは、同じく菘翁の「集王聖教序」の臨書です。
原本通り「一切」は入っていません。
良寛(りょうかん・1758〜1831)が書いた般若心経にも「一切」があります。
池大雅(いけのたいが・1723〜1776)が書いた般若心経には、なぜか「遠離顚倒一切」になっています。
「一切」を入れる場所を間違えたようです。
最後に、成田山新勝寺境内にある中林梧竹(なかばやしごちく・1827〜1913)の石碑拓本をご紹介しましょう。
集王聖教序を臨書したものだと言われていますが、「一切」が入っています。
もしかしたら、実際に手本を見ることなく、記憶によって臨書した「背臨」かもしれません。
だとしたら、すごいことです!
以上、中国と日本の般若心経を比べてみました。
中国では「一切」がなく、日本では「一切」が入っています。
このへんの事情を研究した書籍はほとんどないようです。
1993年に弓立社から発行された「般若心経の道」で、著者の飯島太千雄先生はこのことを嘆きつつ、独自の説を展開しました。
般若心経は日本に伝わると、文中に「一切」が加えられ、冒頭に「摩訶般若波羅蜜多心経」などの経題、そして末尾に効能文(般若心経を唱えることによって得られる効能を書いたもの)がつけられるようになった、というもので、71種の般若心経について、「一切」の有無や経題、効能文の内容などの比較が掲載されています。
誰でも知っている般若心経ですが、実は知られていないことも多いのだと実感しました。
最後に、天来書院刊行の写経用紙をご紹介します。
比田井天来編「集王羲之書般若心経」は、集王聖教序をもとにして、さらに習いやすいよう、双鉤塡墨として残る王羲之の筆跡などを加えて編集したものです。
比田井南谷編「集空海書般若心経」は、空海真筆とされる書から文字を選んで編集されています。
両者とも、伝統的な写経の書式にのっとり、さらに「一切」も入れて編集されていますから、書の専門家にふさわしい写経ができると評判です。
写経体の名品「隅寺心経写経用紙」です。
習いやすいように文字部分を強調しました。
効能文は入っていません。
わずか260字(あるいは262字)の中に、大般若経の教えが凝縮されていると言われる名編「般若心経」。
歴代名人の書を研究して、独自の般若心経を書いてみませんか。
名筆五体般若心経 A4判113ページ 3080円(税込)
貫名菘翁楷書般若心経・集王羲之書般若心経・集空海書般若心経・呉昌碩篆書般若心経・集泰山金剛経般若心経
集王羲之書般若心経 写経用紙(比田井天来編) A4判 1320円
集空海書般若心経 写経用紙(比田井南谷編) A4判 1320円
隅寺心経 写経用紙 A4判 1320円