2026年6月18日木曜日

【海外の反応】なぜスズキはインドで世界を相手に圧倒しているのか!?鈴木修の夢から始まった40年のドラマ!【ものづくり】https://youtu.be/kn7U92KWzaU

MimiさんによるXでのポスト

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海外発・ニッポン新発見(2) 米ユタ州で「ラウンドワン」はなぜ人気? 日本発のゲーセンが家族とコミュニティの“居場所”に | マイナビニュース

海外発・ニッポン新発見(2) 米ユタ州で「ラウンドワン」はなぜ人気? 日本発のゲーセンが家族とコミュニティの“居場所”に | マイナビニュース

米ユタ州で「ラウンドワン」はなぜ人気? 日本発のゲーセンが家族とコミュニティの“居場所”に

海外にいると、日本の姿が違って見えてくる。日本食、カルチャー、トレンド、価値観……世界各地の目線から見える“ニッポンの今”とは? 現地在住ライターが、海外から“逆照射”される日本の面白さをお届けする連載、第2回のテーマは、「なぜアメリカ・ユタ州の家族は日本発祥のRound1に集まるのか?」。


日本のゲームセンターと聞いて、多くの人が思い浮かべる風景とは少し違うものがアメリカ・ユタ州にはある。ショッピングモールの中にあるRound1(ラウンドワン)には、年齢も目的も異なる人々が、思い思いの時間を過ごしにやってくる。

  • 2018年にオープンした、ユタ州サンディ市のRound1

    2018年にオープンした、ユタ州サンディ市のRound1

ここで楽しまれているのは、日本発の娯楽そのものというより、飲酒を前提とせず、世代を問わず過ごせる「居場所」としての使われ方だ。 アルコールを選ぶ人も、そうでない人も、同じ空間を共有できる。その柔らかな距離感の中で、日本で生まれた遊びの文化は、ユタ州の暮らしに寄り添いながら、静かに形を変えて根づいている。

ショッピングモールの中にある、特別ではない遊び場

Round1は、日本で誕生したゲームセンターをルーツに、2000年代以降、海外展開を進めてきた。アメリカへの進出は2010年に始まり、現在では各地のショッピングモールを中心に店舗を構えている。ユタ州にRound1が登場したのは、そうした流れの中でのことだった。

  • ショッピングモール店内からのRound1入口。ガラス越しにずらりと並ぶクレーンゲーム

    ショッピングモール店内からのRound1入口。ガラス越しにずらりと並ぶクレーンゲーム

日本発の娯楽文化がユタ州で受け入れられている理由は、目新しさや話題性だけではない。Round1が登場する以前から、ユタ州にはボウリング場や映画館、飲食店などを併設した複合娯楽施設が数多く存在してきた。

背景には、家族やコミュニティで時間を共有する文化に加え、飲酒に依存しない娯楽への需要、郊外型の街づくりと車社会といった生活条件が重なっている。Round1は、そうした土地柄と自然に重なり合うかたちで受け入れられていったのだ。

気軽に立ち寄れる1階フロア

入口を入ると、1階はやや照明を落としたゲームセンターのフロアが広がる。にぎやかすぎず、落ち着きすぎない、その中間の空気だ。ショッピングモールの店内からは、ガラス越しにずらりと並ぶクレーンゲームが、通路を歩く人の視線を自然と引き寄せる。特別な目的がなくても足を止めてしまう存在だ。

  • ショッピングモールの広場から見た、上下に分かれたフロア構成のRound1

    ショッピングモールの広場から見た、上下に分かれたフロア構成のRound1

ユタ州の20代の若者たちの間でクレーンゲームは、爪を意味する英語から「クロウマシン(Claw Machine)」と呼ばれることが多い。

ゲーム機を利用する際は、まずカウンターでRound1専用のカードを購入し、キオスク端末を使ってポイントをチャージする仕組みだ。

  • 操作は直感的で、初めてでも戸惑うことは少ないキオスク端末(無人のタッチ式操作端末)

    操作は直感的で、初めてでも戸惑うことは少ないキオスク端末(無人のタッチ式操作端末)

  • ゴジラのゲーム機と、人々が行き交う1階フロア

    ゴジラのゲーム機と、人々が行き交う1階フロア

このフロアを行き交う人たちの様子を見ると、買い物の途中や放課後の時間帯に、少し時間が空いたから立ち寄った、そんな利用者が目立つ。

手ぶらで入ってきて、数台のマシンを眺め、気になるものがあれば足を止める人。また通路の一角では、買い物袋を手にした母親と、小学校低学年くらいの女の子が並んでクレーンゲームをのぞきこんでいる姿も。

  • なぜアメリカ・ユタ州の家族は日本発祥のRound1に集まるのか? 世代を問わず過ごせる「居場所」としての使われ方

    巨大なぬいぐるみから手のひらサイズまで、さまざまな景品のマシンが一列に並ぶ

  • 【写真】“Straight from Japan”(=日本直送)の文字が掲げられたゲーム機。日本発であることが信頼の証になっている?

    ゲーム機に掲げられた「Straight from Japan」の文字

店内には、「日本から直接届いた」といった意味合いの表示が添えられたゲーム機も目にする。日本発の娯楽を「現地仕様」に置き換えつつも、そのルーツをあえて示すことで、Round1はユタ州の利用客に独自性と信頼感を伝えているのかもしれない。

地域性と重なり合う「飲まなくても成立する娯楽」

ユタ州は、世代をまたいで家族が集まる習慣が色濃く、飲酒を伴わない娯楽への需要が高い地域として知られている。外食や買い物と同じ延長線上で、子どもから大人までが安心して過ごせる場所が、日常の中に求められてきた。

  • 2階フロアにあるフードコート

    2階フロアにあるフードコート

背景には、地域に根づく宗教文化の影響がある。州内には、末日聖徒イエス・キリスト教会の信者が多く、アルコールを控える生活を選ぶ人々が少なくない。

これは特定の価値観を押し付けるものではなく、あくまでも日常の選択のひとつとして受け止められている。飲酒を前提としない集まり方が自然であるという感覚は、ユタ州の暮らしの中では特別なものではない。

夜や週末に人が集まる場所は、必ずしもバーやパブに限らない。家族や友人同士が、年齢や立場を問わず同じ時間を共有できる空間が、日常の中に必要とされてきた。

  • 飲食の有無にかかわらず、自由に使えるボックス席

    飲食の有無にかかわらず、自由に使えるボックス席

  • たこ焼き、チキンから揚げ、ぎょうざと枝豆がセットになった「ジャパニーズ・パーティー皿」。日本円で約7,000円(2025年12月時点)

    たこ焼き、チキンから揚げ、ぎょうざと枝豆がセットになった「ジャパニーズ・パーティー皿」。日本円で約7,000円(2025年12月時点)

2階フロアは、フードコートのすぐそばに、卓球台やビリヤード、カラオケといった設備がまとまって配置されている。1階のゲーム中心の空間とは異なり、ここでは腰を落ち着けて過ごす人の姿が目立つ。

食事の前後に少し体を動かしたり、会話の延長で遊びに移ったり。階ごとに役割を分けながら、ユタ州の生活リズムに合わせた使われ方が見てとれる。

  • フードコート横にある卓球台

    フードコート横にある卓球台

  • 「パーティルーム」と書かれたカラオケルームの入口。集まって過ごすための空間であることが、言葉からも伝わってくる

    「パーティルーム」と書かれたカラオケルームの入口。集まって過ごすための空間であることが、言葉からも伝わってくる

  • 友人同士で気軽に楽しめるカラオケルーム

    友人同士で気軽に楽しめるカラオケルーム

  • 小さな子どもの誕生日パーティ向けカラオケルームは、カラフルで明るいデコレーションが目を引く

    小さな子どもの誕生日パーティ向けカラオケルームは、カラフルで明るいデコレーションが目を引く

  • ショッピングモール2階通路からのぞく、ガラス張りのRound1ビリヤード場

    ショッピングモール2階通路からのぞく、ガラス張りのRound1ビリヤード場

変化の途中にあるユタ州の「今」

近年のユタ州では、観光客の増加や他州からの移住者の流入を背景に、お酒を提供する飲食店や娯楽施設が少しずつ増えてきた。街の表情は以前より多様になり、夜の過ごし方の選択肢も広がっている。観光地としての顔を持ち始めたユタ州は、変化に応じて柔軟に姿を変えつつある。

一方で、お酒に依存しない娯楽文化が、今も生活の土台として息づいていることに変わりはない。家族で過ごす時間、世代を超えて同じ空間を共有する感覚は、特別な価値観として主張されるものではなく、日常の中で静かに続いてきたものだ。

  • 2階フロアにあるバーエリア

    2階フロアにあるバーエリア

こうした流れの中で、ユタ州のRound1にもバーエリアが設けられている。その空間には両方が無理なく共存しており、飲酒を選ぶ人もいれば、そうでない人もいる。

誰かの過ごし方が、他の誰かの時間を邪魔することはない。そこにあるのは、どちらかを優先するのではなく、選択肢を並べておくという姿勢だ。

  • 世代を問わず楽しめるボウリング場

    世代を問わず楽しめるボウリング場

  • 曜日や時間帯によって料金が変わるボウリング場の案内

    曜日や時間帯によって料金が変わるボウリング場の案内

ユタ州の暮らしの中で形を変える日本文化

お酒に依存しない娯楽文化と、観光地として変化していく現実。いずれかを選び取るのではなく、折り合いをつけながら共存させていく。その過程そのものが、今のユタ州の風景なのだ。

  • ワサッチ山脈を背に立つショッピングモールの看板には、「Round1」の文字が溶け込んでいる

    ワサッチ山脈を背に立つショッピングモールの看板には、「Round1」の文字が溶け込んでいる

日本で生まれた娯楽のかたちは、この土地の暮らしに合わせて少しずつ姿を変え、日常の中に溶け込んでいる。そんな「現地化した日本文化」の現在地を、ユタ州のRound1は派手に主張することなく、静かに示しているのかもしれない。

トロリオ牧(海外書き人クラブ)

とろりおまき

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2026年6月16日火曜日

飛鳥昭雄 蘇民将来2021

 


飛鳥昭雄 蘇民将来2021


#2


ツヌガアラシト  天之日矛に関して避けて通れないのが「ツヌガアラシト」である。『日本書紀』に「都怒我阿羅斯等」という名前で登場する渡来人で、その伝承が天之日矛とそっくりなのである。しかも、書かれている場所が天之日矛の記事の直前なのだ。

  逸話はふたつある。ひとつは先代の崇神天皇の御代の話として、こう記されている。あるとき、額に角の生えた男が一艘の船に乗って越の笥飯浦にやってきた。角が生えていたので、その地を角鹿と呼ぶことにした。  何者かという問いに対して、ツヌガアラシトは自分を「大加羅国」の王子であり、名を「都怒我阿羅斯等」、またの名を「于斯岐阿利叱智干岐」と称した。日本に聖王がいると聞き、海を越えて穴門へ上陸。そこから出雲を経て、ここにやってきたという。  だが、あいにく、ちょうどそのころ崇神天皇が崩御された。やむなく、ツヌガアラシトは垂仁天皇に仕えた。3年後、垂仁天皇はツヌガアラシトに帰国することを許し、祖国の名を崇神天皇の御名「御間城天皇」にちなんで「任那」と呼ぶようにいった。

  帰国の際、ツヌガアラシトは赤い絹織物を賜り、これを大切に倉庫へ納めた。が、そこへ新羅人がやってきて、強引に赤い絹織物を奪っていった。このことが原因で、任那と新羅の関係がこじれ、人々は互いに争うようになったのだという。

  もうひとつは、こうだ。故国にいたとき、ツヌガアラシトは農具を背負わせた黄牛を引いて地方の村へ行った。すると、急に黄牛がいなくなった。足跡をたどって村の奥へと捜しに行くと、そこにひとりの老人がいた。

  老人曰く、ツヌガアラシトが捜している黄牛は、この村の役人がつかまえて食べてしまった。どうせ食べるための黄牛に違いない。飼い主がやってきたら、物を与えて代償とすればいいと村役人は考えている。だから、もし彼に会って、黄牛の代償として何を望むかと聞かれたならば、下手に財物を望んではいかん。むしろ村に祀ってある神様がほしいというがいい、と。  そこでツヌガアラシトは出会った村役人に対して、いわれた通りの返事をした。すると村役人は了承し、村で祀っていた御神体の白い石を差しだした。これを受け取ったツヌガアラシトは帰宅して納屋にしまっておいた。すると、白石は美しい女になった。ツヌガアラシトは大いに喜び、一夜を共に過ごそうとしたが、それも束の間。ちょっとした隙に女は姿を消してしまう。

  妻に聞くと、彼女は東方へ旅立ったという。あきらめきれないツヌガアラシトは女を追って海を渡り、日本へとやってきた。女は豊国から難波に至って、日本の神様となっていた。彼女は今も「比売語曽社」に祀られているという。  天之日矛とツヌガアラシトの類似性は、だれの目にも明らかだ。まず、両者は、共に朝鮮半島からの渡来人である。新羅と大加羅=任那との違いはあれど、共に王子という身分だ。渡来してきた理由のひとつは、日本に聖王がいるから謁見したい。もうひとつは逃げた女を追ってきた。どちらも説話に牛が登場し、色の違いはあれど、玉が女に化生して、さらに男の元を去って海を渡り、日本の難波で神として祀られる。天之日矛とツヌガアラシトは同一人物だと見て間違いないだろう。

  さらに『日本書紀』で、ツヌガアラシトを紹介した段には、もうひとり「蘇那曷叱智」なる人物が登場する。彼も任那の人間で、崇神天皇の時代に渡来し、垂仁天皇の時代に帰国している。その際、彼は赤い絹織物を賜ったが、これを新羅人が略奪したことで、任那と新羅の関係がこじれて争うようになったという。状況から考えて、蘇那曷叱智も同一人物だと考えていい。つまり、こうだ。 「天之日矛=都怒我阿羅斯等=于斯岐阿利叱智干岐=蘇那曷叱智」  ツヌガアラシトで興味深いのは、その額に生えた角だ。おそらく鬼のように、2本の角が生えていたのだろう。鬼門の方角は「艮」、つまり「丑寅」であり、鬼のイメージは牛の角に虎の腰巻だ。ツヌガアラシトは「牛人間」として描かれている。

  事実、朝鮮半島の官職名だとされる「于斯岐阿利叱智干岐」の「于斯岐」は「ウシキ」である。「キ」は助詞であると説明されるが、これを日本語読みすれば「牛鬼」とも解釈できる。合わせて「都怒我阿羅斯等=于斯岐阿利叱智干岐」とは、牛鬼のような角が生えた人という意味だ。  そう、これは、まさしく牛頭天王である。牛頭天王は新羅の牛頭山で祀られていた。牛頭山=ソシモリに降臨したスサノオ命は新羅から日本へと渡ってきた。ある意味、天之日矛は牛頭天王にして、スサノオ命であったのかもしれない。  もっとも、頭に牛の角があったというのは、おそらく象徴だろう。石川県七尾市にある「久麻加夫都阿良加志比古神社」では配神としてツヌガアラシトを「都努加阿羅斯止神」という表記で祀っている。実際は、主祭神である「阿良加志比古神」と同一神だと思われる。神社名にある「久麻加夫都」は「熊甲」であり、勇壮な武者甲を意味している。戦国武将の甲には、しばしば角がしつらえられる。ツヌガアラシトもまた、牛のような角をつけた甲をかぶっていたのではないだろうか。  さらにいえば、天之日矛は牛頭天王を祀っていたのではないか。彼は牛をトーテムとする一族で、牛頭天王を信仰していた。新羅にいたころ、牛頭山に牛頭天王を祀り、日本に渡来して、スサノオ命として神社の祭神としたのは、天之日矛及び、その配下でいっしょにやってきた新羅系渡来人だった可能性は高い。 イザサワケ命  天之日矛という名前は非常に日本的である。あくまでも記紀においてではあるが、実在する人間に対して「天」と冠する例は、ほかにはない。研究家によっては、そもそも天之日矛は倭国の人間だったとする人もいる。  確かに、天之日矛と同一人物と目されるツヌガアラシトは大加羅の王子だった。大加羅とは伽耶諸国のひとつで、日本は任那と呼んでいた。任那は朝鮮半島における大和朝廷の直轄地とされ、そこにいた優秀な人物に対して「天」という名を贈ったとしても不思議ではない。  問題は天皇だ。古代天皇と天之日矛の関係だ。ただ単に新羅や伽耶からの渡来人であるならまだしも、天皇と深い関係にあるとすれば、話は違う。記紀神話において、きわめて微妙な説話がひとつある。「イザサワケ命」だ。  イザサワケ命は『古事記』で「伊奢沙和気大神之命」と記される。時代としては、応神天皇のころだ。まだ「応神天皇=誉田別命」が幼かったころ、彼は豪族の有力者であった武内宿祢に連れられて諸国を行脚した際、越の敦賀へとやってくる。敦賀には父である第14代・仲哀天皇が立てた行宮「笥飯宮」があり、禊をするため仮宮を建てた。

サルトルとプルードン

 


https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/06/blog-post_826.html @

https://draft.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/6695407120530723099


Lire Jean-Paul Sartre - Qu'Est-ce Que La Littérature _ (1973, Gallimard) sur Scribd


https://fr.scribd.com/document/382626401/Jean-Paul-Sartre-Qu-Est-ce-Que-La-Litterature-1973-Gallimard#google_vignette&content=query:Proudhon,pageNum:153,indexOnPage:0,bestMatch:false

p.153

masses ce qu'on nomme très heureusement un mouvement d'idées, c'est-à-dire une idéologie ouverte, contradictoire, dialectique. 

Sans aucun doute le marxisme eût triomphé, mais il se fût teinté de mille nuances, il lui eût fallu absorber les doctrines rivales, les digérer, rester ouvert. On sait ce qui s'est produit : deux idéologies révolutionnaires au lieu de cent; les proudhoniens en majorité dans l'Internationale ouvrière avant 70, puis écrasés par l'échec de la Commune, le marxisme triomphant de son adver-saire, non par la puissance de cette négativité hégélienne qui conserve en dépassant, mais parce que des forces extérieures ont supprimé purement et simplement un des termes de l'antinomie. On ne saurait trop dire ce que ce triomphe sans gloire a coûté au marxisme : faute de contradicteurs, il a perdu la vie.

S'il eût été le meilleur, perpétuellement combattu et se transformant pour vaincre et volant leurs armes à ses adversaires, il se fût identifié à l'esprit; seul, il est devenu l'Église, pendant que des écrivains-gentils-hommes, à mille lieues de lui, se faisaient les gardiens d'une spiritualité abstraite.




Qu'est-ce que la littérature ? 


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Ecriture et lecture sont les deux faces d'un même fait d'histoire et la liberté à laquelle l'écrivain nous convie, ce n'est pas une pure conscience abstraite d'être libre. Elle n'est pas, à proprement parler, elle se conquiert dans une situation historique ; chaque livre propose une libération concrète à partir d'une aliénation particulière... Et puisque les libertés de l'auteur et du lecteur se cherchent et s'affectent à travers un monde, on peut dire aussi bien que c'est le choix fait par l'auteur d'un certain aspect du monde qui décide du lecteur, et réciproquement que c'est en choisissant son lecteur que l'écrivain décide de son sujet. Ainsi tous les ouvrages de l'esprit contiennent en eux-mêmes l'image du lecteur auquel ils sont destinés.


http://yojiseki.exblog.jp/6431576/
サルトルとプルードン:資料
『プルードン研究』(岩波書店)でも引用されていましたが、サルトルのプルードンへの言及をあらためて引用したいと思います。
ドゥルーズが晩年、サルトルを再評価していたのもうなづけます。
以下引用です。

「マルキシスムもまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちがいない。ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロジーにすぎなかった。ブルードン主義者は、一八七〇年以前の労働者インターナショナルでは多数を占めていたが、パリ・コンミューンの失敗によっておしつぶされた。マルキシスムは敵対者に打勝ったが、その勝利は、マルキシスムがのり越えながらそのなかに含んでいたヘーゲル的否定の力によるものではなく、純粋に単純に二律背反の一方の項を押えた外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルキシスムにとってどういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠けたときに、マルキシスムは生命を失った。もしマルキシスムが最もよい状態にあり、絶えず戦い、征服するために自己を変革し、敵の武器を奪って己れのものにしていたとすれば、それは精神そのものとなっていたであろう。しかし、作家貴族がマルキシスムから千里もはなれたところで抽象的な精神性の番人になっている間に、マルキシスムは教会になったのである。」

サルトル『文学とは何か』第三章「誰ために書くか」(『シチュアシオン2』人文書院p141.加藤周一訳)より

日本の言説界に関して、多少厳しいことを言うなら、僕自身参加したNAMなども閉じられたマルクス主義の延命装置といった側面がありました(柄谷さんのプルードン再評価に誰もついていけなかった)。
集合力理論の素朴な力強さを痛感する昨今ですから、今からでもプルードン再評価が必要だと考えています。


http://yojiseki.exblog.jp/6431576/

Sartre and Proudhon: Reference Materials

As cited in *Studies on Proudhon* (Iwanami Shoten), I would like to quote Sartre’s remarks on Proudhon once again.

It is understandable why Deleuze reevaluated Sartre in his later years.

The following is the quote:


“Marxism, too, must surely have had to absorb and digest competing theories while remaining open. Yet, as everyone knows, what was actually produced were not a hundred theories, but merely two revolutionary ideologies. The Proudhonists, who had constituted the majority in the Workers’ International prior to 1870, were crushed by the failure of the Paris Commune. Marxism defeated its adversaries, but this victory was not due to the power of Hegelian negation—which Marxism had overcome while incorporating it—but rather to an external force that simply suppressed one term of the contradiction. It cannot be emphasized enough what a price this inglorious victory exacted from Marxism. Namely, when its contradictory opponent was absent, Marxism lost its vitality. “If Marxism had been in its best state, constantly transforming itself to fight and conquer, seizing the enemy’s weapons and making them its own, it would have become the Spirit itself. But while the literary aristocracy, a thousand miles removed from Marxism, served as guardians of abstract spirituality, Marxism became a church.”


From Sartre, *What Is Literature?*, Chapter 3, “For Whom Do We Write?” (*Situation 2*, Jinbun Shoin, p. 141; translated by Shuichi Kato)


If I may speak somewhat harshly about the Japanese intellectual sphere, even NAM, in which I myself participated, had aspects of a life-support system for a closed-off Marxism (no one could keep up with Mr. Karatani’s reevaluation of Proudhon).

Given that I have recently come to keenly appreciate the naive power of the theory of collective force, I believe a reevaluation of Proudhon is necessary even now.


Translated with DeepL.com (free version)




cf:

"What is Literature?" and Other Essays

著者: Jean-Paul Sartre


https://books.google.co.jp/books?redir_esc=y&hl=ja&id=SUTeD7u18lsC&q=Proudhon#v=onepage&q&f=false


before 1870, the Prudhonians in the majority in the International, then crushed by the defeat of the Commune; Marxism triumphing over its adversary not by the power of the Hegelian negation which preserves while it surpasses, but because external forces pure and simple suppressed one of the forms of the antinomy. 


132 | What Is Literature?

Without doubt, Marxism would have triumphed, but it would have been coloured with a thousand nuances; it would have had to absorb rival doctrines, digest them, and remain open. We know what happened; two revolutionary ideologies instead of a hundred: before 1870, the Prudhonians in the majority in the International, then crushed by the defeat of the Commune; Marxism triumphing over its adversary not by the power of the Hegelian negation which preserves while it surpasses, but because external forces pure and simple suppressed one of the forms of the antinomy. It would take a long time to tell all that this triumph without glory has cost Marxism; for want of con-tradiction, it has lost life. Had it been the better, constantly combated, transforming itself in order to win, stealing its enemies' arms, it might have been identified with mind; alone, it became the Church, while the gentlemen-writers, a thousand miles away, made themselves guardians of an abstract spirituality.

Will anyone doubt that I am aware how incomplete and debatable these analyses are? Exceptions abound, and I know them, but it would take a big book to go into them.

I have touched only the high spots. But above all, one should understand the spirit in which I have undertaken this work. If one were to see in it an attempt, even superficial, at sociological explanation, it would lose all significance. Just as for Spinoza, the idea of a line segment rotating about one of its extremities remains abstract and false if one considers it outside the synthetic, concrete, and bounded idea of circumference which contains, completes, and justifies it, likewise here, the considerations remain arbitrary if they are not replaced in the perspective of a work of art, that is, of a free and unconditioned appeal to a freedom. One cannot write without a public and without a myth-without a certain public which historical circumstances have made, without a certain myth of literature which depends to a very great extent upon the demand of this public. In a word, the author is in a situation, like all other men. But his writings, like every human project, simultaneously enclose, specify,

132 | 文学とは何か?

疑いなく、マルクス主義は勝利を収めただろう。しかし、その勝利は千のニュアンスに彩られたものとなり、対立する諸学説を取り込み、消化し、かつ開放性を保たねばならなかったはずだ。実際に何が起きたかは周知の通りである。百の革命的イデオロギーではなく、二つのイデオロギーが残った――1870年以前、国際労働者協会で多数派を占めていたプルードン派は、コミューンの敗北によって打ち砕かれたのである。マルクス主義が敵対思想に勝利したのは、超越しつつも保存するヘーゲル的否定の力によるのではなく、純粋に外的な力が、対立項の一つを押しつぶしたからに過ぎない。この「栄光なき勝利」がマルクス主義にどれほどの代償を強いたかを語り尽くすには長い時間がかかるだろう。矛盾の欠如ゆえに、マルクス主義は活力を失ってしまったのだ。もしも、絶えず闘い、勝利するために自らを変容させ、敵の武器を奪い取るような、より優れたマルクス主義であったなら、それは精神そのものと同一視されたかもしれない。しかし、孤立したまま、それは教会となり、一方、千マイルも離れた場所にいる紳士作家たちは、抽象的な精神性の守護者となった。

これらの分析がいかに不完全で議論の余地があるか、私が認識していることを疑う者はいるだろうか?例外は数多くあり、私もそれを承知しているが、それらを論じるには大著が必要となるだろう。

私は主要な点にのみ触れたに過ぎない。しかし何よりも、私がこの作業に取り組んだ精神を理解していただきたい。もしこれを、たとえ表面的なものであれ、社会学的説明の試みと見なすならば、それはあらゆる意義を失うだろう。スピノザにとって、直線の概念が


DeepL.com(無料版)で翻訳しました。



cf:

"What is Literature?" and Other Essays

著者: Jean-Paul Sartre


https://books.google.co.jp/books?redir_esc=y&hl=ja&id=SUTeD7u18lsC&q=Proudhon#v=onepage&q&f=false


before 1870, the Prudhonians in the majority in the International, then crushed by the defeat of the Commune; Marxism triumphing over its adversary not by the power of the Hegelian negation which preserves while it surpasses, but because external forces pure and simple suppressed one of the forms of the antinomy. 



cf:

"What is Literature?" and Other Essays

著者: Jean-Paul Sartre


https://books.google.co.jp/books?redir_esc=y&hl=ja&id=SUTeD7u18lsC&q=Proudhon#v=onepage&q&f=false


…before 1870, the Prudhonians in the majority in the International, then crushed by the defeat of the Commune; Marxism triumphing over its adversary …because external forces pure and simple suppressed one of the forms of the antinomy. 


https://x.com/yojisekimoto/status/2066847766006173798?s=61

アジール

 




インド、中東、特に中国、朝鮮で戦乱が起こるたび、負けた人間が日本に逃げてきたのです。

日本はアジールなので基本的には争いを避けます。



Whenever wars broke out in India, the Middle East, and especially in China and Korea, the defeated parties would flee to Japan.

Since Japan is a place of refuge, it generally avoids conflict.


https://x.com/fukuko2025/status/2066677306312323259?s=61