【ボーイングの修理ミス】なぜ2回も変わったのか
なぜわずか3週間で説明の中身が変わったのか
墜落から10日後の8月22日、事故現場に入ったボーイング社の調査団が後部圧力隔壁の「修理ミス」を発見したとされていますが、実は「修理ミス」、発見からおよそ3週間のうちに中身が2度も変わっています。
▶9月6日「1列リベットの不貫通(空打ち)」
▶9月14日「接ぎ板の切断」
報じられるたびに違う説明になっており、しかも元日航機長・藤田日出男氏の著書『隠された証言』によれば、この間ボーイング社は一度、修理ミスそのものを公式に否定してもいました。

8月22日、「1列リベットの打ち忘れ」
現場に入ったボーイング調査団のうち、夜勤専門家メル・ランバーグ氏が修理ミスを発見したとされます。当時NTSB(米国家運輸安全委員会)の首席調査官としてこの調査を率いていたロン・シュリード氏は、その日のうちに事故調査委員会の藤原浩氏へ、名刺の裏にスケッチを描いて「本来2列打つべきリベットが1列しか打たれておらず、強度が半分になる」と説明したといいます。
共同通信の堀越豊浩氏が情報公開請求で入手した米国調査団の8月22日付報告書にも「上半分と下半分の結合が2列リベットではなく1列リベットになっている」と記載、この時点での指摘内容は一次資料からも裏付けられます。
藤田日出男氏の著書『隠された証言』も同じ場面を独自に記録しており、同書にはさらに「隔壁の中継ぎ板の一部が短い」とあり、正確なら接ぎ板への言及はこの段階からあったことになります。この内容は読売新聞・朝日新聞の1985年9月7日朝刊で報じられています。
8月27日、ボーイング社はいったん「否定」
8月22日から5日後の8月27日、事故調査委員会がボイスレコーダーの解読記録とともに「隔壁破壊・急減圧」を示唆する経過報告を公表すると、ボーイング社はこれに反論。藤田氏によれば、同社は「問題の隔壁は機体が地面に激突した衝撃で機体から分離したもので、金属疲労や腐食の兆候は見られない」との立場を示していたといいます。5日前には自社の調査団員が藤原氏へ修理箇所を耳打ちしていたのに、公式には「異常なし」としたのはどういうことでしょうか。
9月6日、ボーイング本社が一転して「1列不貫通」を認める
その否定からわずか10日後の9月6日、ボーイングは一転して修理ミスを認めます。ニューヨーク・タイムズ紙のリチャード・ウィトキン記者は9月8日付の記事で
客室後部の圧力隔壁の上下を結合する継ぎ目のうち、比較的小さな部分に問題があった。3列あるリベットのうち1列が接ぎ板を貫通しておらず、問題箇所は継ぎ目全体の約17%だった。
と伝えています。
「否定」から一転、内容も「打ち忘れ」から「打たれてはいるが貫通していない」へと変わっており、これは読売新聞・毎日新聞の同年9月7日夕刊でも報じられました。UPI通信も9月7日付で、この独自発表を巡り事故調査委員会委員長の八田桂三氏が「我々の調査団には何の連絡もなかった」「調査のルール違反だ」と不快感を示したと伝えています。
※八田氏の当時の写真はこちら
9月14日、事故調査委員会が「接ぎ板の切断」に変更
事故調査委員会は9月14日の第2回中間報告で、修理ミスの内容を「本来1枚であるべき接ぎ板が2枚に切断されていた」へとさらに改め、読売新聞の9月15日朝刊がこれを報じています。「打ち忘れ」から数えて2度目の変更です。
なぜ内容が変わったのか
接ぎ板でなければ、強度低下の説明がつかない
圧力隔壁が客室の与圧に耐える強度は板そのものの厚さに依存しており、リベットが1列でも2列でも強度自体はほとんど変わらないため、「打ち忘れ」や「不貫通」では圧力隔壁が破壊した理由として説明がつきません。
市民記者KM氏はこの点を指摘したうえで、「接ぎ板の切断」ならパネル枚数が3枚から1枚に急減して応力が集中し強度も下がるため、破壊の理由として辻褄が合うと分析しています。
事故調査報告書においては、問題の接続部には2列リベットの結合部分と1列リベットの結合部分が混在していたと記録したうえで、解析の結果「1列リベットの場合の疲労亀裂は2列リベットの場合と比較すると、2倍強の速さで進展する」としています。
前橋地検「修理ミスの方が簡単だった」
なぜ短期間で「否定」から「修理ミス」へ転じたのか。1990年7月17日、前橋地検が遺族向けに開いた不起訴理由の説明会で、山口検事正は
まず、ボーイング社が修理ミスを認めたが、このほうが簡単だからだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、他の飛行機までにおよぶ他の原因となると、全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、ボーイング社としては打撃をうけるからだ。そこで、いちはやく修理ミスということにした。
と述べています。
さらに「修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしい」「圧力隔壁破壊がいっぺんに起こったかも疑問である」とも述べており、捜査当事者自身が公式説明に確信を持てていなかったことがうかがえます(米田憲司『御巣鷹の謎を追う』より)。検事個人の発言で動機の断定はできませんが、前回の記事「【逮捕が怖くて話せない】NHKクローズアップ現代「新証言」の中身」の刑事免責証言とも重なります。
その年、ボーイング社は受注最高を記録
この懸念とは裏腹に、当のボーイング社はこの年の受注はなんと最高を記録しました。日本経済新聞1985年12月27日付は「今年6機落ち、死者100人 ボーイング受注最高・2兆4900億円」の見出しで、同社の受注額が過去最高だったと報じています(青山透子『遺物は真相を語る』)。
見えないはずの傷を、現場でどう見つけたのか
残る疑問は、目視で確認できないはずの修理箇所を、ボーイング調査団は8月22日の現地調査でどう発見したのかという点です。調査団責任者だったジョン・パービス氏は、市民記者KM氏への返信で「修理箇所は圧力隔壁の構造部材に隠れており、目視では確認できませんでした。はっきり確認できたのは、圧力隔壁を移動させてからでした」と説明したそうです。
しかし現地調査は3時間ほどで終わっており、その日のうちにシュリード氏が藤原氏へスケッチで説明したこととは結びつきません。パービス氏が触れた現場写真数百枚も、今なお公開されていません。
41年たっても定まらない「修理ミス」説
修理ミスがなかったと断定できる材料は、現時点ではありません。ただ、事故から3週間足らずのうちに「否定」→「不貫通」→「接ぎ板の切断」と説明が少なくとも2度動いたという経緯は、当時の新聞各紙と関係者の著書をたどるだけで確認できる事実です。2026年にはボーイングが自社サイトの背景説明を削除し、日航に謝罪していたことも明らかになっており(関連記事参照)、圧力隔壁をめぐる説明は41年経った今も書き換えが続いており、真相究明には程遠い状況となっています。
参考・出典
市民記者KM「日航123便墜落事件『修理ミス』捏造と無人標的機衝突説火消しのタイミング」(ISF独立言論フォーラム、2026年5月29日)
Japanese officials outraged by Boeing disclosure(UPI、1985年9月7日)
Boeing Says Repairs On Japanese 747 Were Faulty(The New York Times、Richard Witkin記者、1985年9月8日)
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▶藤田日出男『隠された証言』![]()
▶米田憲司 御巣鷹の謎を追う![]()
青山透子『日航123便墜落 遺物は真相を語る』河出書房新社(河出文庫)、2023年8月発行、第四章
※新聞各紙(読売・朝日・毎日)の見出しと掲載日は、市民記者KM氏がISF記事・YouTube動画で引用した内容に基づいています。