関川栄一郎氏の「無人標的機衝突」発言を「根拠なし」と主張!
この記事で、真殿氏は「無人標的機衝突説」を「全くのデタラメ」として、
発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。
としています。「ある航空評論家」とは関川栄一郎氏以外にあり得ません。真殿氏は関川氏が「何の根拠も示さなかった」と主張していますが、関川氏のテレビでの発言を確認したのでしょうか?ISFの記事で何度か引用していますが、“まつゆき”によって揚収された123便の垂直尾翼残骸(垂直安定板)の写真(図1)を見れば、内部が破壊されておらず上部の左側のみが破壊されており、外部から破壊されていたことは一目瞭然です。関川氏のような航空評論家が何の根拠もなく「無人標的機衝突」発言をしたとは考えにくく、ご自身でこの垂直尾翼残骸を見たか、あるいは残骸を見た人と話していた可能性は十分あります。当時航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し、「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。楢林氏の発言は以下のとおりです。
「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」
https://isfweb.org/post-81539/日航123便墜落事件 元海上自衛隊最高幹部 真殿知彦氏への反論!
今月8月12日で日航機123便墜落から41年が経ちました。オールドメディアのみならずYouTubeでも「反陰謀論」的な論調の記事や番組が目立ったという印象ですが、とくに積極的に発信していたのが元海上自衛隊最高幹部の真殿知彦氏です。今回の記事では真殿氏が出演したワタナベケンタロウ氏の日航機墜落事故202「疑惑のFCS試験とは?」、と真殿氏が書いた週刊新潮の2つの記事「拾った財布を届けたら泥棒扱い―日航123便の垂直尾翼を回収した「護衛艦まつゆき」元乗員の怒り」、「日航機墜落の陰謀論を作り出したのは誰か 存在しない「オレンジエアー」に執着したジャーナリストの名前」に対して反論します。
まず、ワタナベケンタロウ氏の日航機墜落事故動画202「疑惑のFCS試験とは?」では私の2026年3月10日のISF記事「日航123便墜落事件 まつゆきに関する重大な疑惑」(https://isfweb.org/post-71632/)における疑惑を取り上げています。
11月21日の試験について
2026年3月10日の記事では、真殿氏の著書にある海上運転実績の1985年11月21日の試験内容を見ると1日で下の11種類の試験を行ったことになっていますが、
FCS対空目標追尾試験、FCS目標指示捕捉試験、味方識別標識別試験、対空レーダー探知試験、FCS総合試験、TDS対空実目標追尾試験(予行)、方位盤整合試験、鉄砲/水雷・誘導武器耐震試験、鉄砲/水雷・誘導武器傾斜旋回試験、消磁旋回試験、鉄砲方位盤総合試験
これら全てを1日で行うことは物理的に不可能であり、別の日に実施した試験をこの日の実績として記録していた疑いが濃厚だと指摘しています。”まつゆき”が豊洲を出港して試験を実施する相模湾に出るまでに4~5時間かかります。日帰りで豊洲に帰るのであれば海上で試験をできる時間は1~2時間程度です。真殿氏がこの海上運転実績を正当化したいのであれば、きわめて短時間で11種類の試験を全て完了できたことを証明しなければなりません。
真殿氏は網羅的な説明をせず!
11種類の試験における作業項目一覧とそれぞれの作業にかかる時間を一つ一つ示せばその証明はできますが、動画内でそういった網羅的な説明はされていません。真殿氏は11ある試験のうち6つの試験(FCS対空目標追尾試験、FCS目標指示捕捉試験、味方識別標識別試験、対空レーダー探知試験、FCS総合試験、TDS対空実目標追尾試験(予行))について2時間程度で終わるとしていますが詳細な説明はありません。レーダーや通信に関わる性能は、艦の揺れ(横揺れおよび縦揺れ)や海面の状態に大きく依存するとされています。艦の揺れや海面が異なる状態で試験をすることは重要であり、何日かかけて試験をする必要があったと考えられますが、真殿氏はその説明をしていません。真殿氏は試験に必要な日数について以下のように発言しています。
この試験は30日も40日もかかりますよっていうのはどんな思考過程になってるのかなってちょっとわからなくて。多分、ファクトは何もないと思います...
どうやったらFCS試験が数十日もかかるなんて情報が出てくるのか?わからない。全くのデタラメだと私が自信を持って言います。
さっきの話聞いて、40日って言ってるというのが、ちょっと、いや、まあ重症ですね本当に...
真殿氏が主張する「試験に30~40日」や「FCS試験に数十日」がどこから来たのか不明ですが、私が2026年3月10日のISFの記事に書いたのは以下のとおりです。
いくつかの異なるAIで調べましたが、これらの試験を全て行うには実働で10日間(~30日間)は必要という結果となりました。
真殿氏が「無人標的機説」を否定した理由
無人標的機では試験ができない理由として、真殿氏は、「敵味方識別装置とレーダーを積んでいないこと」を挙げています。以下は真殿氏とワタナベ氏のやりとりです。
「FCS対空目標追尾試験とか目標指示捕捉試験っていうのはどうやってやるかっていうと、まず、飛行機飛ばさないと試験できないんですよ。これは。つまり標的機じゃダメなんです。なぜかというと敵味方の識別装置とか積んでないし、レーダーも積んでないんで、試験にならないんですよね。
ワタナベ「陰謀論者が唱えている無人標的機説はこれで消滅しました。」
しかし、敵味方識別装置が関係するのは味方識別標識別試験のみであり、私が疑っている多目標追尾試験については敵味方識別装置やレーダーの有無は関係ないと思われます。
真殿氏は「多目標追尾試験」に言及せず
“はつゆき”型護衛艦には複数の飛翔体を同時に追尾する「多目標追尾」機能があったとされており、私は過去の記事で「多目標追尾試験」について言及してきました。123便にファイアービーを当ててしまった可能性があると考える試験は、複数の目標を同時にレーダーと戦術情報処理装置(TDS)で追尾する「多目標追尾試験」です。オランダのSienceDirect*の説明では、大きな飛行機に隠れるように小さな飛行機を飛ばしたときに”Track Swap”つまり「目標の入れ替わり」が起きやすいとのことで、この確認のためにレーダーから見て123便の背後にファイアービーを飛ばそうとしていた可能性があると考えています。この動画で真殿氏は「多目標追尾試験」についての説明をしていません。
*ScienceDirectは、オランダの出版社Elsevierによって運営され、1997年に開始されたウェブサイトで、2,500誌以上の査読済みジャーナルと40,000冊以上の書籍チャプターや参考図書にアクセスできるプラットフォーム
真殿氏は対艦ミサイルの探知試験に言及せず
真殿氏はレーダーの試験について、過去に自身が試験協力のために飛んだ経験、つまり低高度から高高度を飛ぶ航空機の探知の説明しかしていません。レーダーの試験に時間がかかる理由の1つとして護衛艦にとって最大の脅威である海面から数メートル(~十数メートル)の超低高度を飛んでくる対艦ミサイルの探知があるとのことです。超低高度の探知は海面から受けるレーダーの反射(クラッタ―)に大きく依存するので海面の状態が異なる条件で試験をしないといけません。よって試験が1日で終了せず、複数日にわたることがあるとのことです。
次に、デイリー新潮の8月12日配信の記事「拾った財布を届けたら泥棒扱い―日航123便の垂直尾翼を回収した「護衛艦まつゆき」元乗員の怒り」についてです。
元海上自衛隊 亀田康平氏の手書き資料
この記事で、真殿氏は “まつゆき”の艤装員だった亀田氏と鎗光氏にインタビューをしています。亀田氏は手書きの資料を残しており、8月12日に出港していないこと、8月12日の時点では二次艤装員として約30名しか配員されておらず、その中にレーダーやミサイルを担当する隊員はいなかったこと、など重要な事実が記されていたとしています。そして造船所が作成した青刷り印刷の資料もすべて残されていたとのことです。亀田氏は昨年7月28日のシンポジウムで「“まつゆき”は8月12日に相模湾にいなかった」と証言していましたが、出港時刻や当日搭乗した人数を詳細に説明しており、何らかの資料を見て話していたという印象がありましたが、やはり資料が残っていたようです。真殿氏は以下のように記述しています。
亀田氏がつけていた直筆のメモや記録は、非常に重要な一次史料だ。このようなメモや日記の類は、裁判等でも有力な証拠として採用され得る。私は亀田氏から託されたこれらの貴重な史料の解析を進め、今後もまつゆきの潔白と陰謀論者たちの責任を追及していくつもりだ。
手書きメモや記録および造船所が作成した資料が重要な証拠であることは当然のことと思います。ここで疑問なのは何故それらの資料を昨年のシンポジウムや今回の記事で提示しなかったのでしょうか?それらは決定的な証拠となる可能性がありますが、該当箇所をそのまま見せられない理由があるのでしょうか?
さらに、海上保安庁が人員161名、巡視船艇6隻、航空機3機を投入して午前2時半から海上を捜索しており、海保が大規模な捜索しても発見できなかった123便の垂直尾翼残骸(約5×1.5m-小型ボートくらいの大きさ)を、捜索すらしていなかった”まつゆき”の艤装員が、墜落からほぼ1日経った18時に発見したことについて、この偶然は常識的にあり得ません。この点について真殿氏は一切説明をしていません。
最後に、デイリー新潮の8月12日配信の記事「日航機墜落の陰謀論を作り出したのは誰か 存在しない「オレンジエアー」に執着したジャーナリストの名前」についてです。
関川栄一郎氏の「無人標的機衝突」発言を「根拠なし」と主張!
この記事で、真殿氏は「無人標的機衝突説」を「全くのデタラメ」として、
発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。
としています。「ある航空評論家」とは関川栄一郎氏以外にあり得ません。真殿氏は関川氏が「何の根拠も示さなかった」と主張していますが、関川氏のテレビでの発言を確認したのでしょうか?ISFの記事で何度か引用していますが、“まつゆき”によって揚収された123便の垂直尾翼残骸(垂直安定板)の写真(図1)を見れば、内部が破壊されておらず上部の左側のみが破壊されており、外部から破壊されていたことは一目瞭然です。関川氏のような航空評論家が何の根拠もなく「無人標的機衝突」発言をしたとは考えにくく、ご自身でこの垂直尾翼残骸を見たか、あるいは残骸を見た人と話していた可能性は十分あります。当時航空評論家で元運輸省主席飛行審査官でもあった楢林寿一氏は、週刊宝石1985年9月6日号で圧力隔壁破壊説を否定し、「垂直尾翼に外部から力が加わった」ことを主張していました。楢林氏の発言は以下のとおりです。
「...垂直尾翼の破断面などを見ましたが、左側の外部からとてつもない力が加わったことを示しています。海上で発見された垂直尾翼の前部上方部分には、左側から強大な圧力にもぎとられた証拠が歴然としていました」
墜落直後、「外部飛翔体衝突の可能性」を主張する専門家が複数いたことは間違いないようです。事故調査報告書(2.15.1.3)にも垂直安定板の状態に関する記述があります。
「垂直尾翼フォワード・トルクボックスのFS395より上方の相模湾から回収された部分は、ハニカム構造の外板の一部はがれ及び頂上部の損傷はあるものの、フロント・スパー・コード及び同ウェブには損傷も少なく全体としてはボックス 構造が保持されていた」
とあり垂直安定板の内部が破壊されていなかったとしています。また、事故調査報告書付録4 付図4(d)のグラフを見ると、垂直尾翼とボディーの接続部(ドーサルフィン)のシール部が差圧2psiで損壊するため、垂直尾翼前部の内圧は2.6psiにしか上がりません。垂直尾翼安定板付近の内圧は構造上も上がらないのです。要するに、垂直安定板に関しては事故調査報告書が内圧による破壊を否定しています。真殿氏は関川氏の発言について「根拠なし」としていますが、垂直尾翼安定板が外部から破壊されていたことは明白であったため、関川氏は自衛隊の無人標的機の可能性を疑ったということではないでしょうか。

図1.“まつゆき”によって発見され揚収された123便の垂直尾翼残骸の写真
(北村行孝/鶴岡憲一著、「日航機事故の謎は解けたか」、花伝社より)
吉原公一郎氏の記事を「防衛庁が一瞬で論破」と主張!
作家の吉原公一郎氏が週刊ポスト1985年9月20日号に「オレンジ色のミステリー」という記事を書いて、123便に自衛隊の無人標的機が衝突した可能性を指摘していました。以下は吉原氏の記事にある「オレンジ色の残骸」に関する部分の要約です。
・墜落現場における捜索活動を録画したビデオに、日航機の機体破片とは思えないオレンジ色の金属片が写っていた。
・垂直尾翼と水平尾翼が発見された現場で発見された。
・金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmで、3列にわたってリベットの穴がびっしりと並んでいた。
・白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上をひきずったようについていた。
・日航機の他の残骸と違って、機体の位置を示す荷札がついていなかった。
・この金属片について、現場検証に立ち会った記者の誰も目撃しなかった(現場検証の段階でなぜかなくなっていた)。
これに対して真殿氏は「防衛庁が一瞬で論破」として以下のように記述しています。
しかし、防衛庁(当時)がすぐに「ファイアービーは海上自衛隊の訓練支援艦あづまより発射されるもので、8月11日から21日までは呉基地に在泊中でした。もちろん、12日も訓練は行っておりません」と反論した。
「論破」の根拠は裏付けもない防衛庁の簡単な説明のみであり、“あづま”の数か月分の航泊日誌が提示されていたわけではありません。吉原氏について、真殿氏は以下のように続けています。
すると、吉原氏も翌週の週刊ポスト(85年9月27日号)では「今回の垂直尾翼破壊が『外部衝突』によるものでなければ幸いだが」とトーンダウンした。にもかかわらず、その後も吉原氏は標的機の可能性を完全には捨てず、著書『ジャンボ墜落』(人間の科学社、2004年)に「オレンジ色の物体」のカラー写真を掲載している。
吉原氏がトーンダウンした理由は、防衛庁の説明に納得したからではなく、9月6日にニューヨーク・タイムス紙が「圧力隔壁修理ミス」を記事にしたこと。それが国内で大きく報じられ、墜落原因と関係があると信じられるようになったからではないでしょうか。
吉原氏の著書にあるオレンジ色の残骸を「123便の胴体の一部」と主張!
図2は吉原氏の著書にある、墜落現場で発見されたとする「オレンジ色の残骸」の写真です。週刊ポスト1985年9月20日号の記事によると金属片の大きさは縦160~200cm、横50~60cmとありファイアービーの主翼(縦190cm、横52cm)と一致します。この写真では補助翼があったと思われる部分がはっきりと分かります。

図2. 墜落現場で発見されたオレンジ色の金属片
図3の右側は2007年2月24日にアメリカのデスバレーで撮影された白い塗装のファイアービーが墜落した後に撮影された写真です。吉原氏の著書にある残骸と並べて比較すると塗装の剥げ方やリベット間隔が酷似しています。墜落当時、この右側の写真があれば、吉原氏の写真は決定的な証拠となっていた可能性があります。

図3. 墜落現場で発見されたオレンジ色の金属片(左側)と2007年にアメリカのデスバレーで撮影されたファイアービー墜落後の主翼の残骸(右側)
**https://joeidoni.smugmug.com/Aircraft-Crash-Sites/BQM-34A
一方、真殿氏はこの残骸について以下のように主張しています。
その物体は、全体の数%程度に黄色っぽい部分が見えるものの全体としては白であり、ファイアービーなどの標的機とは明らかに色が違う。大きさも色も、墜落した123便(ボーイング747)の胴体部分の外板の一部と見て何の矛盾もない。黄色に見える部分は、プライマー(下塗り塗料)の可能性が最も高い。
しかし、墜落現場の写真で123便の胴体部分の残骸の塗装を見るとほとんど剥げていないことが分かります。一方、吉原氏の著書にある残骸は擦れたように塗装が剥げています。また123便の胴体部分の残骸は、吉原氏の著書にある残骸のように断片になっていません。ちなみに吉原氏の記事によると、オレンジ色の残骸が発見された場所は「水平尾翼や垂直尾翼が発見された場所」とされており、胴体部分が発見された場所からは数百メートル離れています。真殿氏はこの残骸が具体的に123便の「胴体部分」のどこだったのか、何故数百メートル離れた場所に落下していたのかを説明するべきではないでしょうか。
ちなみに、堀越豊裕氏の著書「日航機123便墜落 最後の証言」(平凡社)には「オレンジ色の残骸」について事故調査委員会キャップだった藤原洋氏の説明が載っています。下は藤原氏の発言ですが「右主翼下面の日の丸」としており、真殿氏とは異なる見解を示しています。
「事故機の右主翼下面の一部。ちょうど日の丸が描かれていた場所で、(墜落現場直前の尾根にある)U字溝に右主翼が接触した際、こすれた。色がミサイルに似ていると言うが、右主翼のどの部分かも確認できている」
自衛隊関与説について「言論の暴力」であり「人権侵害」と主張!
真殿氏は123便の墜落および墜落現場の証拠隠滅に自衛隊が関与したとするいわゆる「陰謀説」について以下のように主張しています。
ずさんな調査と事実誤認による主張が書籍やネットで拡散し、元自衛官たちがあたかも大量殺人の加害者であるかの如く描写され、印象付けられたことはまさに「言論の暴力」であり、「人権侵害」以外の何物でもない。この責任を一体誰が取るのかが、今問われている。
元自衛官の方々への配慮はするべきと思いますが、墜落後の自衛隊の行動には不可解な点が多く、疑われてもやむを得ないと言わざるを得ません。例えば、自衛隊本部は墜落現場についてTACANデータともレーダー消失地点とも無関係で約9kmも離れた「御座山」と発表し続けて早朝まで訂正しなかったこと、21時過ぎの米陸軍ヘリの救助を断わりそれを公表しなかったこと、23時半の長野県警の「御座山は墜落現場ではない」という発表を無視したこと、現場特定の切り札となる偵察型ファントムRF-4Eを飛ばしたのが公式には午前6時前だったこと、救助活動の切り札となる第一空挺団の墜落現場への降下が翌朝9時前になったこと、第一空挺団が降下を完了してから生存者をヘリで救出するまで3時間半もかかったことが挙げられます。「言論の暴力」、「人権侵害」と主張する前にこれらの疑問に対して十分な説明をするべきではないでしょうか。そして墜落原因について様々な説が流されている一番の原因は事故調査報告書がデタラメであったことです。相模湾から回収された垂直安定板には外部から破壊された形跡があり、「圧力隔壁破壊説」には無理があります。自衛隊は墜落には関係ないことを証明したいのであれば、まずはCVR音声を公開し、相模湾の残骸を引き揚げ、そして再調査をすることではないでしょうか。真殿氏も「圧力隔壁破壊説」について否定的であり、この意見に賛同されるものと考えます。
