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第5章 名詞について
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[1] ラテン人によって品詞は八つに分類されている (1) が、 ヘブライ人に
よっていくつに分類されていたかについては議論の余地がある。という
のも、ただ間投詞や接続詞そしていくつかの小辞だけを除いた、 すべて
のヘブライ語の言葉が名詞としての機能と特性を持っている [2]からであ
る。 文法学者たちはこのことに注意を向けていなかったために、 言語の
用法からすればごく規則的であるはずの多くのものを不規則だと信じて
しまっていただけでなく、 〔ヘブライ語で話すのに不可欠なもっと多く
のものを見過ごしていたのだ。 ヘブライ人たちの品詞分類がラテン人た
ちのそれと同じ数だったかより少なかったかはともかくとして、いずれ
にせよわれわれはここで、先に述べたように間投詞や接続詞そしていく
つかの小辞だけを除いたすべてを、 名詞に割り当てることとしよう。こ
のことの理由、 そしてこのことからヘブライ語における明快さがいかに
立ち上がってくるかについては、 後続の記述からはっきりするだろう。
私が何をもって名詞としているか、今から説明する。 「名詞」 (nomen) に
よって私は、 知性のもとに落ちてくる何かあるものをわれわれがそれに
よって表示する、あるいは指示するような言葉のことと解しておく [3]。
ただし、この「知性のもとに落ちてくる何かあるもの」とは、「諸事物
および諸事物の諸属性・諸様態・諸関係」 であっても「諸行為および諸
行為の諸様態・諸関係」であってもよく、こうすることにより、さまざ
まな名詞の種類を容易に数え上げることになる。 たとえばは人間
[そのもの〕を指す名詞であり、(形容詞〕 ロコ 「学のある」(doctus) 17
「大きい」 (magnus) などは人間の諸属性であるし、 〔分詞〕 「歩いてい
る」 ambulans) や 「知っている」 (sciens) は様態であり、前置詞
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……
「ア」 がこの順で述べられるのは一種のキーアズモス (交叉配列) となる。
〔26〕 nomina。 続く第5章から名詞はNomenのようにキャピタライズされる。
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切り取り
〔27〕 「それゆえに」 (propterea)。 OP の propterea athnagh, et を Gb は propter ath-
nagh, et と修正している。 Gb に準じた訳文は 「タルハーがアトナフとスィルークの
近くで自らの分離する特質を失っていることをわれわれはすでに述べた」 となる。
第5章
〔1〕 ラテン文法の伝統における八分法は名詞 (形容詞を含む)・ 動詞 分詞・代名詞・前
置詞・副詞・間投詞・接続詞とされる。
〔2〕 「すべてのヘブライ語の言葉が名詞としての機能と特性を持っている」 (omnes He-
braeae voces, [...] vim et proprietates Nominis habent)。 「ヘブライ語文法綱要」 を
強く特徴づける主張であるが、これをスピノザの形而上学と性急に直結して考える
ことをリカータは戒めている (Giovanni Licata, “Spinoza e la cognitio universalis
dell'ebraico. Demistificazione e speculazione grammaticale nel Compendio di gram-
matica ebraica", Giornale di Metafisica, 31, 2009, pp. 649-650、秋田慧訳「スピノザと
ヘブライ語の 〈普遍的な知識> 「ヘブライ語文法綱要」 における脱神秘化および文
法的思惟」 「スピノザーナ』 16号、スピノザ協会、 2018年、 142-143頁)。ここでい
う「名詞としての機能と特性」が指す対象をスピノザは詳述しないが、 第6章の単数
から複数への屈折と第8章の支配現象を念頭に置くと見通しがよい。
[3] 「知性のもとに落ちてくる」 (sub intellectum cadit) という独特の言い回しは「エチ
カ」第1部定理16に
定理一六 神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で(言いかえれば無限の知性によって把握されうるすべてのものが)生じなければならぬ。
(および類似の表現として第4部付録4に見え、「「名詞」によ
って私は、...... と解しておく」 (Pernomen intelligo [...]) という定義文の形式もまた
「エチカ」の諸定義と同じである。 「名詞」と訳した nomen という語は「名前」とも
訳しうる(この多義性じたいは対応するヘブライ語 ロ (shem)も同様に有する)が、
ここでは一見漠然とした定義を与えるために置かれたプレースホルダのごときものと
して扱われていると考えれば、極端に言ってその訳語はどちらでもよい (名称と実態
のズレはいずれにせよ生じる)。 その上で、あくまで文法を論じるための用語である
ことや、特定の 「機能と特性」 を想定していることとの整合を鑑み、 「名詞」 の訳語
を選んだ。訳語が 「名詞」 であれ 「名前」 であれ、 本章の定義でスピノザが取り決め
た用語として全編にわたって使用されているものだと常に念頭に置くことが重要であ
る。 ヘブライ語文法史における「名前/名詞」という観点については、 手島勲矢 「ユ
ダヤ思想と二種類の名前イブン・エズラの「名詞論」から」 (宗教哲学会 『宗教哲
学研究」 第28号、2011年) が示唆に富む。 「名詞と動詞が近接する」ような現象を含
む聖書ヘブライ語の文法をうまく記述するためのメタ言語を模索した中世以降の文法
家たちの努力とスピノザの選択を対置したコーゲルの分析 (Judith Kogel, Spinoza,
lecteur de David Qimhi? » dans Spinoza, philosophe grammairien, pp. 91-103) も参照。
〔4〕 「実詞としての名詞」 (Nomen substantivum)。 以下、 「形容詞としての」 (Adjec-
tivum) 「関係詞としての」 (Relativum)・「分詞としての」 (Participium)・「不定詞と
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