大河内一男と「総資本」 参照:世界史の構造 3:2:3 3産業資本の自己増殖
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/323.html @
《(5) 「総資本」は、個別資本の集合なのではない。 それは個別資本とは違って、労働者の育成・訓練や福祉にも関与する。その意味で、総資本はむしろ国家という形をとってあらわれる。》『力と交換様式』407(^257)頁
総資本=国家は大河内一男理論
https://books.google.co.jp/books?id=pmJEAQAAIAAJ&pg=PP54&dq
=総資本%E3%80%80国家%E3%80%80&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved
=2ahUKEwi7naGExIj7AhWaVN4KHeOIA_wQ6AF6BAgJEAI#v=onepage&q
=総資本%E3%80%80国家%E3%80%80&f=false
大河内はマルクス主義からではなく実は論敵のドイツ歴史学派から学んでいる。
金兌換停止は金の流出を防ぐためだから金本位制を脱していないと見ることは出来る。
貨幣価値の切り下げ切り上げは、ジンメルやマーティンやレイが指摘するように信用貨幣論を証明する。
金流失阻止を図るのは国家を総資本と見ているからだ。総資本=国家と考えることが有効需要理論の基礎だ。
またエンゲルスの先行(258頁)は実はエンゲルスが批判しつつ学んだデューリングの先行を意味する。
大河内一男と「総資本」 参照:世界史の構造 3:2:3 3産業資本の自己増殖
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/323.html
★
大河内一男における「社会的総資本」概念 田中良一
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/34/tanaka2010.pdf
本稿は、労働力の保全と培養を社会政策の本質とみなした、大河内一男の社会政策学(大河内理論)を対象とする。従来は主にマルクス主義的観点から論じられてきた大河内理論について、その形成過程に潜む非マルクス主義的な契機に着目することにより、大河内理論の核心にある「社会的総資本」概念の解明を行う。以上の作業を通して、大河内における存在と当為、精神的領域と物質的領域の複雑な関係を浮き彫りにし、表面上は「形而下」的に見える大河内の学問的道程の逆説的帰結を明らかにする。
…
16:
「社会的総資本」が国民経済に対応する概念であり、戦争末期に「社会的総『資本』の立場は、資本の個別資本的営利性が否定せられるところにはじめて成立する概念」(大河内 1944b:107 /『著作集5』78)だとされていることを考慮すれば、大河内は営利経済を超克するための精神的な媒介の必要を語ることで、国民に対し、「社会的総資本」への信仰を暗に求めたと考えられる。もう少し控えめに言えば、「社会的総資本」という国民経済を視野に収めた超越的視点を意識して行為するよう求めたのである。大河内はヴェーバーの議論を、予定説の神への信仰を媒介とした資本制の営利経済の成立を描いたものと解した上で、「社会的総資本」への信仰を媒介とした戦時統制経済の形成と、それを通じた営利経済の超克による「『経済人』の終焉」というヴィジョンを対置したのである。大河内が『プロ倫』の予定説の神をヒントにして、「社会的総資本」概念を構築したと本稿が主張するのは、以上の理由によるのであり、予定説の超越的人格神を自覚的に参照して構築された非人格的概念―――それが大河内の「社会的総資本」であったと考えられる20。
上村泰裕(D2)
大河内一男「社会政策の形而上学―エドゥアルト・ハイマンの社会政策論を評す」(1937)
『社会政策の基本問題・増訂版』(1944,初版は 1940)所収
https://www.social.env.nagoya-u.ac.jp/sociology/kamimura/oukouchi.pdf
9:
5)国家を社会政策の主体と考え、しかも社会政策は「総資本」のためのものであるとする論理構造は、政治家や労働組合や個別資本ではなく、経済学者が科学の名の下に最も適切に社会政策を判断することができる、という口実になる。これは、大河内の批判するシュモラーら社会政策学会の第一世代が享受した政治的地位と相似している。日本においては、戦前の社会政策学派よりも、戦後の大河内や中山伊知郎の政治的発言権のほうが大きかったというのも興味深い皮肉である。
社会政策の基本問題
1940年
https://www.nippyo-archives.jp/products/detail.php?product_id=49
目次
前篇 社會政策の基本問題
一 社會政策の形而上學―エドゥアルト・ハイマンの社會政策論を評す―
第一節 社會政策論に於ける傳統の崩壊
第二節 エドゥアルト・ハイマンに於ける社會政策論の構造
第三節 批判
その一 社會政策に於ける「二重性」の問題
その二 社會政策に於ける「主體」の問題
その三 社會政策に於ける「限界」の問題
第四節 社會政策と資本制經濟
その一 社會政策の經濟的必然性
イ、直接の生産行程より生ずる社會政策の必然性
ロ、經濟の總行程より生ずる社會政策の必然性
ハ、勞働力の「本源的蓄積」行程としての社會政策
ニ、社會政策の經濟的必然性の齎す諸效果
その二 社會政策の社會的必然性
その三 社會政策の成立を促すその他の諸要因に就て
結語
二 社會政策に於ける生産と分配―社會政策の構造に關する二三の考察―
三 勞働保護立法の理論に就て
序言
第一節 勞働者保護の必然性
第二節 勞働力の順當なる保全
第三節 勞働保護法とその他の社會政策立法との關係
イ 自然的存在より社會的存在へ
口 勞働保險立法
ハ 「解法立法」
結言
後篇 社會政策と日本經濟
一 社會政策と福利施設
二 危機に於ける社會政策の形態
三 社會政策の日本的形態
四 人的資源と社會立法
五 我國に於ける社會事業の現在及び将来―社會事業と社會政策の關係を中心として―
六 社會政策と統制經濟
七 「休養」の社會的意義
八 失業と轉業
九 職業輔導の現代的意義
十 賃銀統制の論理
大河内一男
人物情報 | |
---|---|
生誕 | 1905年1月29日 日本 東京府 |
死没 | 1984年8月9日(79歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
時代 | 昭和 |
研究分野 | 経済学・社会政策 |
特筆すべき概念 | 生産力理論 |
主な受賞歴 | 勲一等授瑞宝章。叙正三位、賜銀杯一組。 |
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大河内 一男(おおこうち かずお、1905年(明治38年)1月29日 - 1984年(昭和59年)8月9日)は、日本の経済学者。専攻は社会政策。東京大学総長。専修大学学長。東京大学名誉教授、日本学士院会員。
松平信綱の末裔で、父は講談や児童向け読み物の作者であり、日本の速記史上の重要人物でもある大河内翠山。長男に経済史家の大河内暁男がいる。
略歴・人物
東京出身。東京府立三中、三高、東京帝国大学卒業。河合栄治郎に師事。東京帝大経済学部助手となる。1939年の平賀粛学においては、いったん辞表を提出したものの、大河内とともに河合門下の三羽烏と呼ばれた木村健康・安井琢磨と師に改めて相談をしたところ、あくまで辞表を撤回するなとする師のメッセージに、それまで持っていた師のイメージが変わってしまい、師と袂を分かつ決意をするとともに、平賀譲総長の懇請を受けていたこともあり、経済学部に残留を決意、辞表を撤回する。戦時期においては風早八十二とともに生産力理論を提唱した。
1946年-1949年、1946年4月専修大学経済学部長、1947年12月専修大学学長に就任。1949年3月退任。後、学監となる。東京帝国大学経済学部教授との兼任であった。
1951年7月 経済学博士(東京大学)。 論文題目は「独逸社会政策思想史」であった。
1962年-1968年、東京大学総長。在任中の1968年に東大紛争が発生し、1968年11月1日、全学部長、評議員とともに紛争の責任をとって辞任。法学部教授加藤一郎が総長代行となった。
1973年より世界平和アピール七人委員会委員。同年、ラボ国際交流センターの創設にあたって会長となる[2]。
1981年4月29日叙勲一等授瑞宝章。1984年8月9日死去。叙正三位、賜銀杯一組。
学説
19世紀後半のドイツ歴史学派経済学による社会政策学とは国家学の一つであった。当時のドイツでは社会問題の深刻化に加えて、社会主義運動の高まりに対抗するために、その対策として社会政策が唱えられた。大河内はマルクス経済学によって歴史学派を批判し、国家学としての社会政策学を理論的に確立しようとした。
大河内理論によれば、社会政策は資本主義社会において、労働力の保全または培養のために必要不可欠である、とされる。社会政策の目的を達成するためには
- 総体としての資本が労働力の一定数量を円満に確保すること
- 総体としての資本が労働力を収奪しつくしたり消耗しつくさないようにすること
- 総体としての資本が労働者側の社会的要求や社会的自覚に適切に対応すること
が必要だとした。
この大河内理論は他のマルクス主義者服部英太郎や岸本英太郎らは、生産力理論には「生産関係・階級闘争の視点が欠けている」と批判した。また、大河内の理論では「社会政策=労働政策」と捉えられたため、国家論としての射程が狭められるきっかけをつくったと批判された。これは学会では「社会政策論争」と呼ばれ、当時の社会政策学者のほとんどが参加したが、大河内理論を中心として、社会政策の理論が前進したという意義は大きい。
(この論争についての文献は、社会政策一般の文献も含め、大河内一男『社会政策(総論)増訂版』1980年の「文献改題」に詳しい)
粕谷一希は、その著書『河合栄治郎』の中(147ページ)で「『大河内理論』なるものは『社会政策とは労働者政策ではなく、労働力政策である』という有名な命題を中心としているが、マルクスの資本論を巧みに解釈したその体系は、河合栄治郎の生涯を賭けた人格主義とは無縁であり、自らの立場を、『総資本対総労働』という体系のなかで、どこへでも移行できる便利な理論である。大河内理論は、その巧妙さによって戦中戦後をすり抜けてきたのである」とし「私は最終的にこの人(大河内一男)の存在と学問を信ずる期にはなれない」と批判している。
エピソード
東大総長時代、1964年3月28日の卒業式においては「いくら東大卒だからといって、エリートとして人生を生きてはならない、太った豚より痩せたソクラテスになれ。」と訓示したという話が流布されている。
ただしこの発言は予定稿にはあったが実際は読まれなかった。原文はジョン・スチュアート・ミルの引用であることを明記してあり、文章も異なるものであった[4][5]。
著書
- 『独逸社会政策思想史』日本評論社、1936
- 『社会政策の基本問題』(1939年、日本評論社)
- 『戦時社会政策論』(1940年、時潮社)
- 『スミスとリスト 経済倫理と経済理論』(日本評論社、1943)
- 『日本資本主義と労働問題』(1947年、白日書院)
- 『労働組合と失業問題』(1947年、白日書院)
- 社会科学と知識層 勁草書房、1948
- 国民生活の理論 光生館、1948
- 『社会政策総論』有斐閣全書、1949
- 学生と社会科学 社会科学を如何に学ぶべきか 啓示社 1949
- 社会問題 三省堂出版、1950
- 経済思想史 1-2 勁草書房、1950-1958
- 社会政策原理 勁草書房、1951
- 『社会思想史』(有斐閣、1951)
- 『黎明期の日本労働運動』(岩波新書、1952)
- 社会政策の経済理論 続社会政策の基本問題 日本評論新社 1952
- 社会科学入門 要選書、1952
- 『社会政策各論』(有斐閣全書、1952)
- 日本労働組合論 慶友社、1953
- 『労働問題』(1955年、弘文堂)
- 欧米旅行記 時事通信社 1955
- 『戦後日本の労働運動』(岩波新書、1955)
- 経済学入門 青林書院、1956
- 『労働組合運動の再出発 「企業別組合」の内と外』(1956年、日本評論新社)
- 『労働組合運動への提言』(1957年、三芽書房)
- 社会思想史要綱 青林書院 1957
- 現代知性全集 8 大河内一男集 (日本書房 1959)
- 新しい労使関係のために 正続 有信堂・文化新書 1959-1960
- 『貧乏物語』(1959年、文藝春秋新社)
- 日本的中産階級 文藝春秋新社 1960
- 日本の労働組合 慶友社 1961
- これからの労働組合 至誠堂 1961
- 『労働組合』(有斐閣、1963)
- 社会政策講義 1-2 有信堂、1963-1965
- 『労働問題入門』(1964年、青林書院新社)
- 私の経済成長論 文藝春秋新社 1964
- 私の人間像 東京大学出版会 1965
- これからの労働組合 至誠堂新書 1965
- これからの労使関係 講談社現代新書 1966
- 私の教育論 東京大学出版会 1967
- 自分で考える 思想との対話 講談社 1967
- 社会政策講義 第3 時間と賃金 有信堂 1968
- 経済学講義 青林書院新社、1968
- 私の大学論 東京大学出版会 1968
- 『大河内一男著作集』全5巻(青林書院新社)1968-1969
- 経済学史入門 青林書院新社 1970
- 自分を生かす 福村出版 1970
- 社会政策四十年 追憶と意見 東京大学出版会 1970
- 『暗い谷間の労働運動 大正・昭和(戦前)』(岩波新書、1970)
- 『賃銀』(有斐閣、1970)
- 日常茶飯 読売新聞社 1971
- 『社会政策論の史的発展』大河内一男社会政策論集 1(有斐閣、1972)
- 『労使関係論の史的発展』大河内一男社会政策論集 2(有斐閣、1972)
- 労使関係の曲り角 労使関係セミナー記録 有信堂 1972
- 『幸徳秋水と片山潜 明治の社会主義』(講談社現代新書、1972)
- 『余暇のすすめ』(中公新書、1974)
- 人類の知的遺産 アダム・スミス 講談社、1979
- 『暗い谷間の自伝 追憶と意見』(中公新書 1979)
- 『大河内一男集』全8巻(労働旬報社、1980-1981)
- 日本人の生活と労働 日本放送出版協会 1981.2
- 経済のソフト化と労使関係 時潮社 1986.9
共編著
翻訳
- 現代英吉利経済の分析 ドイツ対外政策研究所編 横山正彦共訳 国際書房、1943
- 労働組合 その組織と発展 フィリップ・タフト 川田寿共訳 時事通信社 1956
- 労働組合 エリック・L.ウィガム 秋田成就共訳 紀伊国屋書店 1958
- 経営労働賃金 ジョン・P.ウィンドミューラー編 関谷耕一共訳 時事通信社 1959
- (「国富論」は監訳となっているが訳者ではない)
記念論集
- 大河内一男先生還暦記念論文集 第1集 社会政策学の基本問題 有斐閣1966
- 同第2集 労働経済と労働運動
脚注
[脚注の使い方] |
- 「《歴代本部校および代表幹事・事務局一覧》」社会政策学会
- ラボの精神
- 歴代議長(社会経済国民会議)日本生産性本部
- “平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞”. 東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部. 歴代学部長メッセージ 石井洋二郎 (2015年3月25日). 2022年4月23日閲覧。none
- “東大卒業式、抜群のセンスでコピペ情報に警鐘 「肥った豚…」ネタに”. withnews. 朝日新聞社 (2015年4月6日). 2022年4月23日閲覧。none
外部リンク
貨幣の国家理論 単行本 2022/11/19
ゲオルク・フリードリヒ・クナップ (著), 小林純 (翻訳), 中山智香子 (翻訳)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/22/10/25/00448/
【内容紹介】
【ケインズ、ウェバーが絶賛し、MMTの元祖ともされる幻の貨幣論】
貨幣の価値は、物々交換の為の自発的な商品貨幣という意味合いよりも、国家による法制上の
創造物であることに由来する――。本書は、なぜ貨幣(お金)が今ある姿のようになっている
のかを、様々な事例を交えてロジカルに説明した幻の名著。ケインズはインド論や貨幣論で
クナップの理解を前提にし、マックス・ヴェーバーは貨幣論ではクナップ(とミーゼス)を
一番高く評価し、本書を偉大な名作の1つと呼んだ。
そのクナップの理論が21世紀に再び脚光を浴びている。日本が膨大な財政赤字を抱えているに
もかかわらず揺るがない理由を解明する理論として注目されている現代貨幣理論(MMT)では
必ず言及され、日本でも大いに注目されたグレーバー『負債論』でも高く評価されている。
本書は、その知られざる名著の待望の完訳。
MMT(モダンマネタリーセオリー)20
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/economics/1668350433/
57 a
統計は二ヶ月くらいタイムラグがあるので
統計は二ヶ月くらいタイムラグがあるのでJGPが現実的対応策
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