映画備忘録vol.23 長谷川和彦 『太陽を盗んだ男』
「俺がトリュフォーだ!」
ユリイカ1985年2月号。フランソワ・トリュフォー追悼特集の大森一樹との対談で、長谷川和彦はそう断言した。
「トリュフォーは自意識が真っ当な市民じゃないんだよ。自己を律して行くものがない怖さで生きているんだよ」
長谷川和彦の長編2作目にして(2020年現時点で)最後の作品である『太陽を盗んだ男』の沢田研二はトリュフォー『大人はわかってくれない』のジャン・ピエール・レオーそっくりだ。相手の懐に飛び込む度胸と純粋さ、ユーモアのセンス、抱える厭世観。牛乳を盗むドワネル少年のように、プルトニウムを盗む理科教師。それぞれのフィルムに生々しく刻まれた1979年の東京の街と1959年のパリの街は、驚くほど似てはいないか。
ラストのストップ・モーションは『大人はわかってくれない』の影響を多分に受けた、ジョージ・ロイ・ヒル『明日に向かって撃て!』のイメージだろう。「苦し紛れにやっただけ」なんて、信じてはいけない作り手の言葉の最たるモノに違いない。
最初から死んでいる空っぽの魂として彷徨う沢田研二、不死身の亡霊としての菅原文太。2人の間を揺蕩う「ゼロ」、池上季実子の三角関係。取り残された沢田研二が抱えるカバンは『突然炎のごとく』の遺骨を入れた箱だ。
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