2023年3月3日金曜日

物部氏のルーツ:古代イスラエル人とのかかわり(久保有政・解説)


先代旧事本紀

安本美典 【監修】

志村裕子【訳】


https://youtu.be/GIIFS5PtjSM  先代旧事本紀  安本美典 【監修】 志村裕子【訳】

 ーー 徳太子(厩戸皇子) の時代 にも大きな勢力を持ってい た。 また、諏訪大社や出雲大社  の創建にも大きくかかわっ [現代語訳] た人々である。 物部氏の正体とルーツにつ いて見てみよう。 先代旧事本紀と物部氏 『先代旧事本紀』と呼ばれ る古い書物がある。 その内容は、 おもに物部氏 系の資料に基づいたもので ある。 先代旧事本紀というと「偽 書説もあるのでは?」とい 

ーーー  けれども偽書説によれば、 そうではなく、後世の80 6~906年に物部氏系の 人物によって編纂されたも のだという。 たとえそうだとしても、 非 常に古い書物である。 内容も、古い物部氏系の資 料によっている。 巻5の『天孫本紀』は尾張 氏、物部氏の古い資料によ っていることが知られてい るし、 巻10の『国造本紀』 も古い資料によっている ことがわかっている。 つまり、内容のすべてが偽 りということではない。 だからこそ、『先代旧事本 (わたらい)袖 に 物部氏の祖 とされる ニギハヤヒ 

ーーー  とくに聖徳太子に関する先 代旧事本紀の記述は、日本 書紀の記述よりはるかに筋 が通っていて、信頼できる。 聖徳太子が学んだ一神教 物部氏の『先代旧事本紀』 によれば、聖徳太子は、 中 巨御食子(なかとみのみけ こ鎌足の父)から、「宗源 道」と呼ばれる一神教の神 道を学んだ。 聖徳太子、基本定神道 置き、しかも一神教の神道 においていた。 『宗源道」の「宗」の字は、 「おおもとの」「最も大 切な」の音性である  

ーーーー 置き、しかも一神教の神道 においていた。 . 「宗源道」 の 「宗」の字は、 「おおもとの」 「最も大. 切な」の意味である。 「宗源道」は、最も大切な 源流の神道の意味だ。 それば大元霊神を拝する一 神教の神道だった。 宗源道 は、 「一の大神を伝える。 これ が宗源(もとつみもと)の 道である」 (先代旧事本紀 : 天神本紀) と定義されている。 「一の大神」とは一神教の 神道の神である。 聖徳太子の個人的信仰は、 その神道に置かれていた。


ーー

徳太子(厩戸皇子) の時代

にも大きな勢力を持ってい

た。

また、諏訪大社や出雲大社


の創建にも大きくかかわっ

[現代語訳]

た人々である。

物部氏の正体とルーツにつ

いて見てみよう。

先代旧事本紀と物部氏

『先代旧事本紀』と呼ばれ

る古い書物がある。

その内容は、 おもに物部氏

系の資料に基づいたもので

ある。

先代旧事本紀というと「偽

書説もあるのでは?」とい

ーーー


けれども偽書説によれば、

そうではなく、後世の80

6~906年に物部氏系の

人物によって編纂されたも

のだという。

たとえそうだとしても、 非

常に古い書物である。

内容も、古い物部氏系の資

料によっている。

巻5の『天孫本紀』は尾張

氏、物部氏の古い資料によ

っていることが知られてい

るし、 巻10の『国造本紀』

も古い資料によっている

ことがわかっている。

つまり、内容のすべてが偽

りということではない。

だからこそ、『先代旧事本

(わたらい)袖

物部氏の祖

とされる

ニギハヤヒ

ーーー


とくに聖徳太子に関する先

代旧事本紀の記述は、日本

書紀の記述よりはるかに筋

が通っていて、信頼できる。

聖徳太子が学んだ一神教

物部氏の『先代旧事本紀』

によれば、聖徳太子は、 中

巨御食子(なかとみのみけ

こ鎌足の父)から、「宗源

道」と呼ばれる一神教の神

道を学んだ。

聖徳太子、基本定神道

置き、しかも一神教の神道

においていた。

『宗源道」の「宗」の字は、

「おおもとの」「最も大

切な」の音性である


ーーーー

置き、しかも一神教の神道

においていた。

. 「宗源道」 の 「宗」の字は、

「おおもとの」 「最も大.

切な」の意味である。

「宗源道」は、最も大切な

源流の神道の意味だ。

それば大元霊神を拝する一

神教の神道だった。 宗源道

は、

「一の大神を伝える。 これ

が宗源(もとつみもと)の

道である」 (先代旧事本紀 :

天神本紀)

と定義されている。

「一の大神」とは一神教の

神道の神である。

聖徳太子の個人的信仰は、

その神道に置かれていた。

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