安本美典 【監修】
志村裕子【訳】
https://youtu.be/GIIFS5PtjSM 先代旧事本紀 安本美典 【監修】 志村裕子【訳】
ーー 徳太子(厩戸皇子) の時代 にも大きな勢力を持ってい た。 また、諏訪大社や出雲大社 の創建にも大きくかかわっ [現代語訳] た人々である。 物部氏の正体とルーツにつ いて見てみよう。 先代旧事本紀と物部氏 『先代旧事本紀』と呼ばれ る古い書物がある。 その内容は、 おもに物部氏 系の資料に基づいたもので ある。 先代旧事本紀というと「偽 書説もあるのでは?」とい
ーーー けれども偽書説によれば、 そうではなく、後世の80 6~906年に物部氏系の 人物によって編纂されたも のだという。 たとえそうだとしても、 非 常に古い書物である。 内容も、古い物部氏系の資 料によっている。 巻5の『天孫本紀』は尾張 氏、物部氏の古い資料によ っていることが知られてい るし、 巻10の『国造本紀』 も古い資料によっている ことがわかっている。 つまり、内容のすべてが偽 りということではない。 だからこそ、『先代旧事本 (わたらい)袖 に 物部氏の祖 とされる ニギハヤヒ
ーーー とくに聖徳太子に関する先 代旧事本紀の記述は、日本 書紀の記述よりはるかに筋 が通っていて、信頼できる。 聖徳太子が学んだ一神教 物部氏の『先代旧事本紀』 によれば、聖徳太子は、 中 巨御食子(なかとみのみけ こ鎌足の父)から、「宗源 道」と呼ばれる一神教の神 道を学んだ。 聖徳太子、基本定神道 置き、しかも一神教の神道 においていた。 『宗源道」の「宗」の字は、 「おおもとの」「最も大 切な」の音性である
ーーーー 置き、しかも一神教の神道 においていた。 . 「宗源道」 の 「宗」の字は、 「おおもとの」 「最も大. 切な」の意味である。 「宗源道」は、最も大切な 源流の神道の意味だ。 それば大元霊神を拝する一 神教の神道だった。 宗源道 は、 「一の大神を伝える。 これ が宗源(もとつみもと)の 道である」 (先代旧事本紀 : 天神本紀) と定義されている。 「一の大神」とは一神教の 神道の神である。 聖徳太子の個人的信仰は、 その神道に置かれていた。
ーー
徳太子(厩戸皇子) の時代
にも大きな勢力を持ってい
た。
また、諏訪大社や出雲大社
の創建にも大きくかかわっ
[現代語訳]
た人々である。
物部氏の正体とルーツにつ
いて見てみよう。
先代旧事本紀と物部氏
『先代旧事本紀』と呼ばれ
る古い書物がある。
その内容は、 おもに物部氏
系の資料に基づいたもので
ある。
先代旧事本紀というと「偽
書説もあるのでは?」とい
ーーー
けれども偽書説によれば、
そうではなく、後世の80
6~906年に物部氏系の
人物によって編纂されたも
のだという。
たとえそうだとしても、 非
常に古い書物である。
内容も、古い物部氏系の資
料によっている。
巻5の『天孫本紀』は尾張
氏、物部氏の古い資料によ
っていることが知られてい
るし、 巻10の『国造本紀』
も古い資料によっている
ことがわかっている。
つまり、内容のすべてが偽
りということではない。
だからこそ、『先代旧事本
(わたらい)袖
に
物部氏の祖
とされる
ニギハヤヒ
ーーー
とくに聖徳太子に関する先
代旧事本紀の記述は、日本
書紀の記述よりはるかに筋
が通っていて、信頼できる。
聖徳太子が学んだ一神教
物部氏の『先代旧事本紀』
によれば、聖徳太子は、 中
巨御食子(なかとみのみけ
こ鎌足の父)から、「宗源
道」と呼ばれる一神教の神
道を学んだ。
聖徳太子、基本定神道
置き、しかも一神教の神道
においていた。
『宗源道」の「宗」の字は、
「おおもとの」「最も大
切な」の音性である
ーーーー
置き、しかも一神教の神道
においていた。
. 「宗源道」 の 「宗」の字は、
「おおもとの」 「最も大.
切な」の意味である。
「宗源道」は、最も大切な
源流の神道の意味だ。
それば大元霊神を拝する一
神教の神道だった。 宗源道
は、
「一の大神を伝える。 これ
が宗源(もとつみもと)の
道である」 (先代旧事本紀 :
天神本紀)
と定義されている。
「一の大神」とは一神教の
神道の神である。
聖徳太子の個人的信仰は、
その神道に置かれていた。
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