2023年2月10日金曜日

東京の「目白」と「目黒」という地名は、江戸の町を守る五色不動に由来している(Japaaan)

東京の「目白」と「目黒」という地名は、江戸の町を守る五色不動に由来している(Japaaan)

東京の「目白」と「目黒」という地名は、江戸の町を守る五色不動に由来している

江戸の町を守った5つの不動様
様々な風水の思想で守られた江戸の町。徳川家康と天海が魔の侵入を防ぐため、江戸城の北東の「鬼門」に寛永寺を、「裏鬼門」には増上寺を配置したことは広く知られています。しかし、江戸を守るために配置された五つの不動様、江戸五色不動のことはあまり知られていないのでは?

陰陽五行思想、方角を司る霊獣


五色不動は、陰陽五行思想(木・火・土・金・水)に相対する五色(白・黒・赤・青・黄)の色にちなみ選ばれた不動尊で、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動のこと。実際に不動尊の目の色や体がその色であったわけではありません。江戸幕府三代将軍・徳川家光が天海僧正の進言で、天下太平を祈願するため府内から選んだと言われています。

陰陽五行思想の相生関係と相剋関係


伝説の内容はばらつきがあり、「五色不動」になったのは明治末または大正始めで、江戸時代は目黒不動・目白不動・目赤不動の三不動のみが知られていたともいいます。

江戸五色不動はどこにある?
江戸の町を守るために配置された5つの不動さまは、現在も東京都内に存在しています。


目黒不動『目黒不動尊』  瀧泉寺東京都目黒区下目黒3丁目20−26
目白不動『金乗院』 東京都豊島区高田2丁目2−12−39
目赤不動『大聖山』 南谷寺東京都文京区本駒込1丁目20−20
目青不動『教学院』 東京都世田谷区太子堂4丁目15−1
目黄不動『最勝寺』 東京都江戸川区平井1丁目25−32
目黄不動『永久寺』 東京都台東区三ノ輪

ん?目黄が二つもあるじゃないか?という声が聞こえてきそうですね。

天台宗によると、最勝寺、永久寺のいずれも家光の時代に指定されたと説明されているものの、江戸時代の他の文献では、はっきりと確認されていないようです。現在、最勝寺は江戸川区平井にありますが、元々は墨田区本所にあり、同じ目黄の永久寺と近いと言えば近いところにありました。

目黄不動と同様に、教学院の目青不動も家光の時代から指定されていたとも、後から付け足されたとも言われています。元々は廃寺となった観行寺にあり、現在の場所に移り「青山のお閻魔さま」と親しまれたといいます。

目黒、目白、目赤の三つは徳川家光に深い因果がありました。東京の地名目黒と目白は、この不動尊が由来です。

特に目黒は区名にもなっているので有名ですね。目黒不動のある龍泉寺は修験者の滝があり、あの西郷隆盛も主君・島津斉彬の病気平癒祈願で瀧に打たれたことでも知られています。近くに五百羅漢寺もあり、今でも賑わっています。

目白不動は第二次世界大戦の戦禍にあうまでは新長谷寺(しんちょうこくじ)にあった不動明王で、弘法大師が修行を行っていた際に造られたといわれています。

目赤不動は万行という和尚が伊勢国赤目山で不動明王像を授けられ、諸国をめぐったのち駒込村の動坂に庵を開いたそうです。そこへ家光が鷹狩の途中に立ち寄り、目黒・目白不動に対し目赤と呼ぶべしと命じたそう。

ちなみに不動明王は「仏像鑑賞の基本の「き」」でも紹介しましたが、釈迦の化身で、迷う人々を厳しく諫めて煩悩を焼き尽くしてくださる仏様です。人生の煩悩に惑ったら、五色不動尊めぐりをしてみてはいかがでしょう。

イラスト出典:無料写真素材 写真AC

画像:筆者撮影

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