能楽『定家』が描く愛欲地獄
室町時代に生まれた凄まじい「愛欲」劇
松岡心平 今回のテーマは「愛欲」です。
観世清河寿 人間の悲喜劇は、愛欲を抜きにしては語り得ません。現代社会にも十分通じるテーマだと思います。
松岡 能楽には、愛欲をテーマにしたさまざまな演目(※1)がありますが、今回は金春禅竹(こんぱるぜんちく)(1405-1470頃)(※2)作の『定家』を題材にして、能楽において愛欲がどのように表現されているのかを見ていくことにします。
観世 『定家』に描かれた男女の姿には凄まじいものがあります。室町時代(1336-1573)にこうしたドラマが生まれたこと自体が驚きです。
松岡 ここで描かれるのは、後白河法皇の三女で幼くして賀茂の斎院(※3)に選ばれた式子内親王(しょくしないしんのう1149~1201)(※4)と、当時最高の歌人として有名な藤原定家(ふじわらのていか1162~1241)(※5)の死後も続く"ラブストーリー"です。神に近い存在の女性との許されない関係について、曲の中で内親王が「邪淫(じゃいん)の妄執」と語る通りの愛欲ドラマが繰り広げられます。伝承をもとに創作されたようで、年齢差などからも実話ではないという説もあります。
愛欲地獄から抜け出せない女性の葛藤
松岡 『定家』の舞台の中央には、二人の関係を暗示する存在として、定家の妄執が蔦葛(つたかずら)となってまとわりついた内親王の墓が置かれています。この蔦が"定家葛"と呼ばれるものです。旅の僧が通りかかると里の女(実は内親王の霊)が現れ、生前の恋と死後も自分を縛り続ける妄執について語り、「成仏したい」と救済を頼みます。
観世 演者としては、もだえ苦しむ内親王の苦悩を伝えなくてはなりません。呪縛が解けない状態ではあまり動かず、定家の怨念がいかに激しいかを演じます。その業(ごう)の深さを通して、一人の女性の弱さを表現します。
僧が供養するために読経を始めると、少しずつ身体を動かし、次第に自由になっていく様を見せます。そしてこの演目の見せ場である報恩の舞(序の舞)を舞うのです。この舞も解放の喜びを体中にみなぎらせた舞というよりは、どこか抑制された感じで舞わなくてはなりません。
松岡 定家との情熱的な思い出、その後の苦しみ、読経の功徳によって内親王にもたらされた解放感。こうした内親王の心の動きがこの舞を通して観客に伝わってくる場面ですね。しかし、舞を終えた内親王は再び墓に戻ろうとします。
観世 内親王が愛欲地獄から抜け出したわけではなかったことを暗示する極めて重要な場面です。解放されたかに見えた内親王が再び定家の妄執に囚われていく過程を示していきます。
同じ男女の愛欲を扱った作品でも、『井筒』のような世阿弥作の能であれば、一番華やかだった時代を思わせる美しい舞を舞わせて霊を慰め、供養してあの世に送り返して終わります。しかし、『定家』はそうではありません。いったんは呪縛が解けたと喜びの舞を舞わせるのですが、結局、内親王は墓に戻り、再び定家葛が這(は)い回ってついには墓を覆い隠してしまいます。
松岡 悩みに悩んだ末に、内親王は成仏よりも定家の妄執を選んでしまったというわけですね。愛のためにあえて堕(お)ちることを選んだ内親王の心の葛藤が見る者を重苦しい気分にさせて、『定家』は終わります。
地獄への道を「美しく、華やかに」に舞う
観世 内親王は定家葛に身を絡めとられるのが、嫌ではなかったと思います。「ともに邪淫の妄執を」と言っています。一度は解放されたのに自分の住む世界はそこしかないと定家葛がまとわりつく墓に戻っていくのですから、彼女は愛欲地獄が好きなのでしょう。
松岡 片思いではないですね。「ともに邪淫」なんです(笑)。若い頃はこうした女性心理はなかなか理解しづらいでしょうね。
観世 若い頃、『定家』を稽古している時、父(先代の家元、二十五世観世宗家・観世左近元正)から言われた言葉を今でもよく覚えています。最後に墓に戻り扇で顔を隠して崩れていく場面で、父は「美しく、華やかに終わるように」と言うのです。
旅の僧に弔ってもらい報恩の舞を舞ったにもかかわらず、また定家葛に捕まってしまう。墓から離れれば悟りの世界に行けるのに、彼女はあえて永遠に解脱できずにもがき苦しむ道を選ぶ。それなのに、どうして父は「美しく、華やかに」と逆説的なことを言うのか。当時の私には全く理解できませんでした。
松岡 あえて言えば、堕ちていく快楽とでも言うのですか。神に使える神聖な自分と、愛欲に溺れる自分がいて、結局は肉欲の方に傾いてしまう。女性としての欲望を抑えなくてはならないのですが、それが弾けてドロドロとした世界に舞い戻っていく。
観世 非常にダークな世界だと思います。だから正直言って、若い者に稽古はつけられません。「邪淫って何ですか」と聞かれても、言葉に詰まってしまいます。師匠としては、お前たちにはまだ早いと(笑)。
金春禅竹が描いた前衛性
観世 それにしても『定家』は発表当時としては、かなり前衛的な内容だったと思います。
松岡 禅竹は当時の一流の歌人、連歌師、僧侶(※6)などと親交が深く、時代の最先端を行く教養人として知られていました。能楽の演目の他にも、哲学的な能楽の理論書を数多く著しています。そうした幅広い教養があってはじめて、『定家』のようなアバンギャルドな作品を書くことができたのだと思います。
観世 そこで一つ疑問が生じるのです。『定家』の中で、旅の僧が霊を供養するために唱えるのは法華経です。仏典の中で最高の教えとされるこの経によって救済されず、また愛欲地獄に堕ちていくというのは、ある意味、法華経の否定にもなりかねません。法華経の否定は中世において、あってはならないことだったと思います。能楽の演目でも『通盛(みちもり)』(※7)のように法華経の功徳によって救済される演目が多いですから。それを否定したら、能楽自体が成り立たないような気がします。
松岡 禅竹は仏教を否定しているのではなく、別の仏教の教えを信じていたのだと思います。彼は歓喜天(※8)信仰がとても強かった人です。歓喜天は欲望を抑えられない人々に対しては、まず願望を成就させて心を鎮め仏法を説くとされています。当然、性愛も否定せず、むしろエネルギーを高めるために積極的に活用します。こうした教えは江戸時代になると邪宗として排除されてしまいますが、禅竹の時代にはやましい教えではなかったのです。
禅竹は60歳を過ぎて、奥さん、つまり世阿弥の娘と一緒に歓喜天信仰の寺に参籠(さんろう)するのですが、祈願したのが精力の回復なのです。もう一度奥さんとセックスをしたいと祈っているんですね。それを真面目に書き残すのが禅竹らしくて微笑ましいのですが…。
観世 そんな禅竹ですから、性愛の行為をけがれたものとして考えていなかったのですね。
松岡 定家だけでなく式子内親王もまた、優れた歌人でもありました。ですから、禅竹は定家と内親王を「歌道の菩薩(ぼさつ)」としてあがめ、二人をたたえるために、『定家』を書いたのだとも言えます。
観世 父が内親王の堕ちていく姿を「華麗に演じろ」と言ったのは、そうしたことを踏まえての上だったのかもしれません。
『定家』で使われた能面
舞台の前半で里の女(実は式子内親王の霊)を演じるのに用いられる「増(ぞう)」(作者不明)(左)。
舞台の後半で式子内親王の霊を演じるのに用いられる「泥眼(でいがん)」(作者:河内)(右)。美しい女性のなれの果ての姿を意識して創作されたとされる。美女の面影がどこか残っている。
写真・編集協力=一般社団法人観世会
ポートレイト写真撮影=大久保 惠造
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能楽は約700年前に現在の姿に大成されたという。世界最古の演劇で、ユネスコの世界無形文化遺産にも指定されている。能楽はいかにして21世紀に伝えられてきたのか。観世流の家元に、能楽研究の第一人者が聞く。
(※1) ^ 愛欲をテーマにした能としては、紀有常の娘と在原業平の関係を描いた『井筒』、『源氏物語』の登場人物「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」を題材にした『野宮』などが知られる。
(※2) ^ 室町時代の能役者・能作者。世阿弥の女婿。『芭蕉』や『楊貴妃』などの能を作るとともに、歌道や仏教の造詣が深く、『六輪一露』や『明宿集』など思索的な能楽の理論書も著す。現在の金春流中興の祖。
(※3) ^ 京都の賀茂神社(現在の上賀茂神社・下鴨神社)に仕えた天皇家の未婚女性。平安初期に始まり鎌倉時代まで歴代35人の斎院がいる。また「禁じられた恋」の対象として「伊勢物語」などの平安文学に登場する。
(※4) ^ 後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子(藤原季成の娘)、高倉天皇は異母弟。歌人としても有名で「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」(新古今和歌集)は百人一首に入っている。
(※5) ^ 平安末期から鎌倉時代の日本を代表する歌人。『新古今和歌集』や『新勅撰集』の撰者。歌風は絢爛・巧緻を極める。歌論書を数多く著す。日記に『明月記』がある。書家としても優れ、後世、その書風は定家流として珍重された。
(※6) ^ 禅竹と親交があったとされるのは関白太政大臣で歌人としても有名な一条兼良(1402-1481)や連歌師で俳諧の祖といわれる山崎宗鑑( -1540頃)、とんちの「一休さん」のモデルとしても知られる禅僧の一休宗純(1394-1481)ら。
(※7) ^ 平家物語の登場人物、平通盛と妻の小宰相局(こさいしょうのつぼね)の最期を脚色した能。源平の戦いで滅びた通盛は僧の回向で成仏できたことを喜び、消え去る。
(※8) ^ ヒンドゥー教の象頭人身の神ガネーシャが仏教に取り入れられ天部(守護神)となったもの。歓喜天または聖天男女の神が抱き合っている像が多く、日本ではほとんどが厨子に納められ秘仏とされている。
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