…ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。「ふたたび『赤色戦線』にもどって言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけであり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、状況の詩ということである」
瀧口全集12に再録
《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに「客観的
ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
「右に述べた両極のひとつは、人生のもっとも平凡な外観(自然主義)、自然におけるもっとも移りやす
い外観 (印象派)、量と質との観点から直面した対象(キュビスム)、運動する対象(未来派)の、それぞ
れ模倣であり、他の極すなわちユーモアはとくに混乱の場合にあらわれ、偶然的なものが客観的に強いら
れようとする時の芸術家の強力な欲求を立証するものであって、ロートレアモンとランボーのサンボリス
ムは一八七〇年の戦争と同時に起こり、前期(プレ)ダダイスム (レーモン・ルッセル、デュシャンら)とダダイ
スム(ヴァシェ、ツァラ)は一九一四年の戦争と同時に起こった。」そしてシェルレアリストはヘーゲルの
いった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
《ヘーゲルは世界史の三つの時期に象徴的、古典的およびロマン主義的芸術形式をそれぞれ対応せし
めたが、ブルトンはヘーゲル的な意味でのロマン主義時代が今日なお終焉していないという見地から、
ヘーゲルのいう「偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモア」とに注目した。「ロマン主義
芸術の基本的な原理は」とヘーゲルは言う、「人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められ
ないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である。この対立はロマン
主義時代を通じて発展させられ、われわれは作家の興味が、あるいは外部世界の偶発事に、あるいは
人間個性の気まぐれに、それぞれ定着されるのを見た。しかし現在、もしも作家の興味が、精神をし
て外部の観照に耽らしめる状態をつくり得るまでになり、同時にユーモアがその主観的·反省的性格
を失わずに、対象やその現実的形態によって惹きつけられるならば、われわれはこの内部への浸透の
うちに、いわば客観的ユーモアともいうべきものを獲得するであろう」》
• In the English edition, published as André Breton and the First Principles of Surrealism by Franklin Rosemont.
77:
Of course, I am not asserting that the poem 'Red Front corresponds to the definition of an 'automatic' text (I shall even try to show, later on, how it differs from such a text), but I do believe that the poetic position which is determined today for Aragon by the twelve or fifteen books he has written can in no way be sacrificed to the agitation that some find opportune to provoke around one of his poems which they by exception turn into a model of conscious thought. I say that this poem, by its situation in Aragon's work on the one hand and in the history of poetry on the other, corresponds to a certain number of formal determinations which do not permit the isola- tion of any one group of words ('Comrades, kill the cops') in order to exploit its literal meaning, whereas for some other group ('The stars descend fami- liarly on earth') the question of this literal meaning does not come up. Who would dare assert that in prose, in the course of an article, Aragon would have permitted himself to write, 'Comrades, kill the cops', when such an injunc- tion, without real bearing moreover, is contrary to the very watchwords of the Communist Party? Hence it is a question, in the mind of French justice, of identifying today the common language with a particular language which offers no relation of common measure with the former. As poets, it is up to the surrealists to show the new iniquity which this enterprise constitutes, the noticeable progress it marks, in 1932, in the deliberate application of villain- ous laws.
To return to 'Red Front' and to the artificial opposition in which one might try to put it with the milieu from which it has come, I must declare that it does not blaze a new trail for poetry and that it would be futile to propose it to today's poets as an example to follow, for the excellent reason that in such a realm an objective point of departure can only be an objective point of arrival, and that, in this poem, the return to the external subject and especially to the emotional subject is in disagreement with the entire historical lesson that we may learn today from the most highly developed poetic forms. In these forms as early as a century ago (cf. Hegel) the subject could be described only as indifferent, and it has ceased, since then, to be able to be posited a priori. Hence, considering the poem as a whole, its continual reference to particular accidents and to public affairs, recalling finally that it wos written during Aragon's stay in the USSR, I must consider it not an accen table solution to the poetic problem, as presented in our day, but rather an exercise apart, captivating as one could wish but without future because poetically regressive - in other words, a poem of circumstance. Having worked the matter through, we find ourselves at the same point we were at when our researches began. 82:
If we have thus lost the opportunity that Aragon, by writing 'Red Front', might be supposed to have given us for continuous revolutionary action by means of poetry, if we have been unable to concede that a goal of education or of revolutionary propaganda could be substituted for a goal of poetry and art, which from the beginning of time has been, 'while soaring above the real, to make it conform, even externally, with the inner truth that constitutes the substance...', we need not maintain that we are therefore the last adherents of 'art for art's sake', a conception whose pejorative sense deters its devotees from any other activity than creating the beautiful. We never have ceased attacking such a conception and demanding that the writer and the artist take active part in the social struggle ...
挿絵
Charles VI jouant aux cartes pendant sa folie.
Collage by André Breton
「赤色戦線」に戻って、この詩が生まれた環境と人工的に対立させようとしても、この詩は詩の新しい道を切り開くものではなく、今日の詩人たちに従うべき例として提案しても無駄であることを宣言しなければならない。なぜなら、このような領域では、客観的な出発点は、客観的な到着点にしかなり得ないからである。また、この詩では、外部の主題、特に感情的な主題への回帰は、今日、最も高度に発達した詩の形式から学ぶことができる歴史的教訓全体と一致していないからである。100年前のこれらの形式では(ヘーゲルを参照)、主語は無関心としか表現できず、それ以来、先験的に仮定することができなくなっているのだ。したがって、この詩を全体的に見て、特定の事故や公共の問題に絶えず言及していること、そして最終的にアラゴンがソ連に滞在している間に書かれたことを思い出すと、この詩は現代に提示されているような詩の問題に対する即興的な解決策ではなく、むしろ離れた場所での練習であり、人を魅了することはできても、詩的に後退しているために将来性がない、つまり状況の詩であると考えざるを得ません。この問題を解決した後、私たちは研究を始めた時と同じ地点にいることに気づくのです。
82:
このようにして、アラゴンが『赤い戦線』を書くことによって、詩による継続的な革命的行動の機会を与えてくれたと思われる機会を失ってしまったのなら、教育や革命的プロパガンダの目標が、詩や芸術の目標に取って代わられることを認めることができなかったのなら、それは太古の昔から、「現実の上に舞い上がりながら、それを外見的にでも、実体を構成する内なる真実に適合させること。 だから、私たちは「芸術のための芸術」の最後の信奉者であると主張する必要はありません。私たちは、このような概念を攻撃し、作家や芸術家が社会的闘争に積極的に参加することを求め続けてきました…
挿絵
シャルル6世が愚行のために馬車で遊んでいる様子。
コラージュ:アンドレ・ブルトン
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ブルトン側は『詩の貧困』 Misère de la Poésie と題するパンフレットを出して、むしろアラゴンの詩『赤色戦線』は、今日の詩が取らなくて、ならぬと信ぜられる針路 ...
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Henri Béhar · 1999
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... notion d'humour objectif , empruntée à Hegel qui la formule dans son Esthétique ; elle apparaît chez Breton en 1932 , dans « Misère de la poésie » 16 .
nzen senchū hen II, 1937-1938 みすず書房, 1993 |
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ヘーゲル
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「ヘーゲルはこのような芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモかとに注目した。そしてこの両者の融合点 ...
464 ページ
そしてシュルレアリストはヘーゲルのいった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。( Breton : Misére de la Poésie , 1932 )
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「無節操者!」アラゴン事件の顛末 (1932年3月10日 ...
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(Fin de “l'Affaire Aragon”) シュルレアリスム出版1932年3月10日小冊子: 11 ... (本) cm 内容紹介アラゴン弁護のブルトンの詩論「詩の貧困」は共産党の反発を誘い、党 ...
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アラゴン事件 ― シュルレアリスムのビラ (1932年1月) ... のビラ「アラゴン事件」を発行し、さらにブルトンは単独で「詩の貧困」を執筆し、アラゴン弁護に立ちあがる。
アラゴン事件 -〈赤色戦線〉[編集]
1930年4月、マヤコフスキーが自殺。アラゴンとエルザは姉リーリャ・ブリークに会うためにソ連を訪れた。ジョルジュ・サドゥールが合流し、アラゴンとサドゥールはハルキウ(ハリコフ)で開催された国際革命作家同盟 (UIER) の大会にシュルレアリストを代表して参加した。この経験が大きな転機となった。シュルレアリスムの共産党からの独立性を主張するブルトンに対して、アラゴンは共産党と共同戦線を張る必要があると考えるようになり、サドゥールとともに作成したハリコフ会議の報告書には、共産党との合意に基づいて国際革命作家同盟のフランス支部「革命作家芸術家協会 (AEAR)」を設立することなどが盛り込まれていた。ハリコフ報告はシュルレアリストにとって到底受け入れられるものではなく、この後3か月にわたって激論が交わされた[29]。
さらに、アラゴンがソ連滞在中に書いた長詩「赤色戦線(フランス語版)」は、彼の社会主義的情熱を語るものであり、これにより、アラゴンとブルトン、ひいてはシュルレアリスムとの決別は決定的なものとなった。労働者に革命を呼びかけ、「赤い列車は動き出し、だれも止められはしない、SSSR、SSSR、五カ年計画を四年で成し遂げよう、SSSR、人間による人間の搾取をやめさせよう、SSSR、SSSR、SSSR」(SSSR:ソビエト連邦)、「ポリ公どもをぶっ殺せ」、「レオン・ブルムに火を放て」といった詩句を含むこの詩は、1931年10月に刊行された詩集『迫害する被迫害者』の巻頭詩として掲載され、国際革命作家同盟の機関誌『世界革命文学』のフランス語版にも掲載された。ところが、このフランス語版が11月にパリで押収され、翌32年1月16日、アラゴンは、「無政府主義の宣伝のために」、「軍隊に不服従を促し、殺人を教唆した」として告発された。これは、5年の禁錮刑が言い渡される可能性のある犯罪であり、シュルレアリストらを巻き込んだ「アラゴン事件」に発展した[29]。
シュルレアリストらはさっそく「裁判を目的とした詩作品解釈の試みに抗議し、訴訟の中止を要求する」という声明を発表し、アラゴン告発に抗議する署名運動を開始した。たちまち、フランスだけでなく、ベルギー、ドイツ、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなどの知識人から300人以上の署名が集まった。一方、ブルトンにとってこの運動は、詩作品「赤色戦線」の評価とは別であり、彼は同年3月に発表した小冊子『詩の貧困 ― 世論に裁かれる「アラゴン事件」』[30] において、この詩は「新しい道を切り拓くものではなく」、「状況の詩」であり、「詩における後退」であると断言した。これに対して、1932年3月に設立された革命作家芸術家協会はアラゴンを支持し、アラゴンは『リュマニテ』紙に『詩の貧困』の内容を否認するとする囲み記事を掲載した。こうして、ハリコフ会議を機に共産主義への一歩を踏み出し、ブルトンの「シュルレアリスム第二宣言」を否認したアラゴンの「赤色戦線」、そして「アラゴン事件」は、シュルレアリスムという文学芸術革命に留まるか、これを社会革命に発展させるかという問題をシュルレアリストらに突きつけることになり[1][29]、アラゴン自身は後に『社会主義レアリスムのために』に「ソビエトから帰ってきたわたしはもはや同じ人間ではなかった。もはや『パリの農夫』の作者ではなく、『赤色戦線』の作者だった」と書くことになる[31]。
https://www.andrebreton.fr/work/56600100308001
- ^ “Misère de la poésie « L'affaire Aragon » devant l'opinion publique”. andrebreton.fr. 2019年9月6日閲覧。[30]
- ^ 大島博光『アラゴン』新日本新書、1990年 - 抜粋「『赤色戦線』・アラゴン事件(上)」(大島博光記念館公式ウェブサイト))
『赤色戦線』・アラゴン事件(上)
『赤色戦線』・アラゴン事件「ソヴェトから帰ってきたわたしはもはや同じ人間ではなかった。もはや『パリの農夫」の作者ではなく、『赤色戦線」の作者だった」(『社会主義レアリスムのために』)
アラゴンはソヴェト滞在中、社会主義建設のはつらつとした息吹きに鼓舞されて、長詩『赤色戦線』はじめ幾つかの革命的な詩を書いた。それらは、詩集『迫害する被迫害者』に収められて一九三一年の末に刊行される。
アラゴンはそれまで、自分の夢や個人の世界の追求・表現では、ある程度すぐれた技量に到達していた。しかしいま、彼が歌おうとしているのは、前例のない、まったくちがった世界であり、巨人のように社会主義建設を進めている人民の世界である。『赤色戦線』は、醜悪なパリのブルジョアどもへの攻撃と、彼が「東方」で見てきたこの赤いあけぼのへの賛歌──この二つの主題のうえに成りたつ。この詩に見いだされる風刺、扇動、罵倒はまさにその時代のものであり、当時の時事的問題が手当り次第にその対象となり、その鋭い筆致は効果的である。「植民地博覧会」、ロスチャイルド家、「マキシム」で夕食をとる連中、ブルジョアジーの全盛期、そのブルジョアのご機嫌をとるむかしの友人たち──「ピガール劇場のゴルフ場の背景を描きあげた」マックス・エルンストやジョルジオ・ド・キリコなど……。
『赤色戦線』の冒頭はシュールレアリスト風な風刺で始められる。
一九三一年 おれたちはマキシムにいる
酒壜の下には絨毯が敷かれる
やつら貴族の尻が
生活の苦労とぶつからないように
大地をかくすための絨毯……
つぎには、この「マキシム」における夕食とは対照的に民衆への呼びかけが歌われる。
パリよ おまえの石畳はいつでも空(くう)を飛び
おまえの街路樹は 兵隊どもの進撃をくい止める用意ができている
大きな図体をしたパリよ 振り向いて
呼ぶがいいベルヴィル*を
おーい ベルヴィルよ
王たちが赤に囚われた町サン・ドニよ
イヴリよ ジャベルよ マラコフ**よ
……
街燈なんか 藁たばのようにひん曲げろ
新聞売場(キオスク)も椅子も街の泉水も 放り投げろ
ポリどもをやっつけろ
* ベルヴィルは労働者街で革命的伝統をもつ。
** パリ郊外の民主勢力の強い町で、赤いベルトとも呼ばれている。
ここに歌われているのは、もはや『パリの農夫』のパリではなく、労働者のパリ、革命的なパリである。新しい現実を歌うために、アラゴンはフランス人民の闘争と文化の遺産から学び、ヴィクトル・ユゴーの伝統をうけつぐ。
さらに表現は詩語から遠ざかり、演説の言葉となり、ビラの言葉となり、散文的なニュースの言葉となる。
だがすでにパンの八○パーセントは 今年(ことし) コルホーズのマルクス主義的な夢から作られた
ヒナゲシたちは 赤旗になった
(つづく)
(新日本新書『アラゴン』)
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赤い列車は動き出し だれも止められはしない
SSSR SSSR
……
「五カ年計画」を四年で遂行しよう
SSSR 人間による人間の搾取をやめさせよう
SSSR SSSR SSSR
『赤色戦線』は、アラゴンが詩における観念論から唯物論へ移行する過渡期の作品であり、レアリスム詩への最初の試みでもある。そしてこの作品のなかに、その後大きく発展してゆくアラゴンの詩の萌芽を読みとることができる。またそれによって、十年後レジスタンスの詩人アラゴンの詩がどのようにして生まれてきたかを理解することができよう。
一九三〇年十二月、アラゴンとサドゥールはソヴェトから帰ってくる。彼らのハリコフ会議の報告は、とうていブルトンらによって受け入れられるものではなかった。激論が三カ月にわたって行なわれる。
ところで、アラゴンがソヴェト滞在中、社会主義的情熱に燃えて書いた長詩「赤色戦線」が、『迫害する非迫害者』一九三一年十月)の冒頭を飾り、またモスクワで刊行された『世界革命文学』誌のフランス語にも掲載された。このフランス語版はパリで十一月に押収され、翌一九三二年一月十六日、予審判事は、アラゴンを「無政府主義的宣伝ヲ目的トシ、軍隊ニ、不服従行動ヲ挑発シタ」というかどで告発する。違犯者は入獄五年の刑に処せられるはずである。こうしていわゆる「アラゴン事件」が始まる。
シュールレアリストたちはさっそく抗議の声明文を発表して、アラゴン告発に反対する署名運動を展開する。抗議文はブルトンの筆によると思われる。
「アラゴン告発は……フランスにおいて前代未聞のことである。われわれは、裁判に付する目的で詩的作品の干渉する一切の企てに反対し、ただちに追及の中止を要求する」
この抗議文には、フランスの各方面の知識人たちをはじめとして、ベルギー、ドイツ、チェコスラヴァキア、ユーゴスラヴィアなどから、たちまち三○○名を超す署名が集まる。
ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。「ふたたび『赤色戦線』にもどって言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけであり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、状況の詩ということである」
この「状況の詩」という言葉は、ギロチンの刃のように落ちて、この論争にけりをつけた。そしてブルトンとアラゴンの絶交・決別は決定的となる。
さらに「状況の詩」の問題はシュールレアリストたちの頭にこびりついて、それをめぐって一つの詩的問題を提起することになる。例えば、エリュアールはブルトンの呪縛をのりこえて、とりわけスペイン戦争以来、状況の詩を書くようになり、くりかえし「状況の詩」について論及するようになる。
ところでアラゴンが状況の詩『赤色戦線』を書き、ハリコフ会議で弁証法的唯物論の道へはっきりと進み出て、ブルトンの「シュールレアリスム第二宣言」を否認した「アラゴン事件」は、シュールレアリスト・グループに根本的な問題を提起した。つまりシュールレアリスムの幻覚、魔法、狂気の内部世界に閉じこもるか、それとも、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級関係を正しく分析して、階級闘争、弁証法的唯物論、革命的レアリスムの道へ進みでてゆくか。これこそが「アラゴン事件」が提起した問題の本質であった。アラゴンとブルトンの決裂の逸話的な細部もこの本質をぼやかすことはできない。
(この項おわり)
<新日本新書『アラゴン』>
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『赤色戦線』・アラゴン事件(下)
ソヴェト同盟をほめたたえる詩章では、ソヴェトの頭文字SSSRがリフレーンとなる。それはまたそのまま蒸気を噴いて全速力で走る機関車の擬音となり、リズムとなる。赤い列車は動き出し だれも止められはしない
SSSR SSSR
……
「五カ年計画」を四年で遂行しよう
SSSR 人間による人間の搾取をやめさせよう
SSSR SSSR SSSR
『赤色戦線』は、アラゴンが詩における観念論から唯物論へ移行する過渡期の作品であり、レアリスム詩への最初の試みでもある。そしてこの作品のなかに、その後大きく発展してゆくアラゴンの詩の萌芽を読みとることができる。またそれによって、十年後レジスタンスの詩人アラゴンの詩がどのようにして生まれてきたかを理解することができよう。
一九三〇年十二月、アラゴンとサドゥールはソヴェトから帰ってくる。彼らのハリコフ会議の報告は、とうていブルトンらによって受け入れられるものではなかった。激論が三カ月にわたって行なわれる。
ところで、アラゴンがソヴェト滞在中、社会主義的情熱に燃えて書いた長詩「赤色戦線」が、『迫害する非迫害者』一九三一年十月)の冒頭を飾り、またモスクワで刊行された『世界革命文学』誌のフランス語にも掲載された。このフランス語版はパリで十一月に押収され、翌一九三二年一月十六日、予審判事は、アラゴンを「無政府主義的宣伝ヲ目的トシ、軍隊ニ、不服従行動ヲ挑発シタ」というかどで告発する。違犯者は入獄五年の刑に処せられるはずである。こうしていわゆる「アラゴン事件」が始まる。
シュールレアリストたちはさっそく抗議の声明文を発表して、アラゴン告発に反対する署名運動を展開する。抗議文はブルトンの筆によると思われる。
「アラゴン告発は……フランスにおいて前代未聞のことである。われわれは、裁判に付する目的で詩的作品の干渉する一切の企てに反対し、ただちに追及の中止を要求する」
この抗議文には、フランスの各方面の知識人たちをはじめとして、ベルギー、ドイツ、チェコスラヴァキア、ユーゴスラヴィアなどから、たちまち三○○名を超す署名が集まる。
ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。「ふたたび『赤色戦線』にもどって言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけであり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、状況の詩ということである」
この「状況の詩」という言葉は、ギロチンの刃のように落ちて、この論争にけりをつけた。そしてブルトンとアラゴンの絶交・決別は決定的となる。
さらに「状況の詩」の問題はシュールレアリストたちの頭にこびりついて、それをめぐって一つの詩的問題を提起することになる。例えば、エリュアールはブルトンの呪縛をのりこえて、とりわけスペイン戦争以来、状況の詩を書くようになり、くりかえし「状況の詩」について論及するようになる。
ところでアラゴンが状況の詩『赤色戦線』を書き、ハリコフ会議で弁証法的唯物論の道へはっきりと進み出て、ブルトンの「シュールレアリスム第二宣言」を否認した「アラゴン事件」は、シュールレアリスト・グループに根本的な問題を提起した。つまりシュールレアリスムの幻覚、魔法、狂気の内部世界に閉じこもるか、それとも、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級関係を正しく分析して、階級闘争、弁証法的唯物論、革命的レアリスムの道へ進みでてゆくか。これこそが「アラゴン事件」が提起した問題の本質であった。アラゴンとブルトンの決裂の逸話的な細部もこの本質をぼやかすことはできない。
(この項おわり)
<新日本新書『アラゴン』>
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Breton : Oeuvres complètes, tome 2 Relié – 9 octobre 1992
33Misère de la poésie montre ainsi les contradictions surréalistes, et plus largement des avant-gardes héritières du romantisme allemand. Ce texte est un précipité de toutes les querelles fondamentales autour des liens entre poésieet politique dans le premier xxe siècle.2016/01/05
https://www.fabula.org/lht/16/mahot-boud...
André Breton face à Aragon dans Misère de la Poésie (1932)
Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, 1992, p. 4-27
Misère de la poésie (André Breton)
https://www.andrebreton.fr/work/56600100308001
La Collection
Descriptif
Libelle écrit par André Breton à la suite de l'affaire Aragon, publié aux éditions surréalistes en 1932.
Édition originale. Un des rares exemplaires sur papier orangé. [catalogue de la vente, 2003]
Bibliographie
Misère de la poésie « L'affaire Aragon » devant l'opinion publique. Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, 1992, p. 4-27
Œuvres en relation :
- Le poème Front Rouge de Louis Aragon, Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 29-39
- André Gide nous parle de « L'affaire Aragon », Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 39-41
- Lettre de Romain Rolland aux surréalistes, Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 41-42
- Lettre d'adhésion. Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 41
- Essai de littérature prolétarienne,
La mort de Barlois, Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 43-45
Le texte Misère de la poésie et les annexes, in Tracts surréalistes et déclarations collectives, tome 1, 1922-1939 présenté et commenté par José Pierre, Éric Losfeld, collection Le terrain Vague, 1980, p. 208-222, p.459-470
Notes bibliographiques | Paris, Éditions Surréalistes, 1932. In-8°, agrafé. |
Date d'édition | |
Édition | édition originale |
Langues | |
Dimensions | 22,00 cm |
Nombre de pages | 30 |
Éditeur | |
Référence | 9100000 |
Mots-clés | Affaire Aragon, Association des Artistes et Écrivains Révolutionnaires, politique, poésie, surréalisme |
Catégories | Pièces, poésies, romans, essais, Tracts et déclarations collectives |
Lien permanent |
Notice reliée à :
1 Œuvre
False
-
Tract célèbre signé par Paul Éluard, une charge violente contre Louis Aragon. L'image représente le recto du tract.
Mexique, miroir magnétique - 47 ページ
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Henri Béhar · 1999
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... notion d'humour objectif , empruntée à Hegel qui la formule dans son Esthétique ; elle apparaît chez Breton en 1932 , dans « Misère de la poésie » 16 .
inauthor:"André Breton" The Poverty of Poetry 1932
Léro, Etienne (1996 [1932]), ‘Poverty of a Poetry’, in M. Richardson (ed.), Refusal of the Shadow, London: Verso, pp. 55–8. ?
Committed Styles: Modernism, Politics, and Left-Wing ... - 104 ページ
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Benjamin Kohlmann · 2014
次の書籍のコンテンツと一致: – 104 ページ
36 André Breton, 'The Poverty of Poetry: The Aragon Affair and Public Opinion' [1932], trans. by Richard Howard, in What is Surrealism?
Surrealism and the Art of Crime - 166 ページ
books.google.co.jp › books · このページを訳す
Jonathan Paul Eburne · 2008
次の書籍のコンテンツと一致: – 166 ページ
Andre Breton's defense of the poem , in his 1932 essay " Misère de la poésie " ( The Poverty of Poetry ) , begins by attacking the powers of bourgeois ...
抜粋
What is Surrealism?: Selected Writings
英語版 | Andre Breton 、 Franklin Rosemont | 1978/2/1
5つ星のうち4.2
'If', Hegel declares, 'prose has penetrated with its particular mode of conception into all the objects of human intelligence and has everywhere left its imprint, poetry must undertake to recast all these elements and to imprint them with its original seal. And since it must also vanquish the scorn of the prosaic spirit, it finds itself surrounded on all sides by difficulties. It must wrench itself from the habits of ordinary thought, which prefers the indifferent and the accidental; must in all relations transform the mode of expression of prosaic thought into a poetic expression; and, despite all the reflection necessarily demanded by such a struggle, must preserve the perfect appearance of inspiration and the freedom which art requires.'
長谷川訳『美学講義」下196頁
第三部 個々の芸術ジャンルの体系 (続き) 196
考は現実の事物の本質的な特徴と現実のありようをとらえ、認識するけれども、この特徴は一般的な観念の次元
へと押しあげられ、そこではじめて思考の満足が得られます。こうして、現象の世界に対立する新しい世界があ
らわれるので、それは現実の真理を映しだしてはいるが、その真理は、もう一度現実に還っていって、そこで造
形力を発揮したり、現実そのものの魂として啓示されることはありません。思考は真理と現実を思考のうちで和
解させるものにすぎず、これにたいして、詩的な創造と形象化は、精神的なイメージの形をとるとはいえ、物と
しての現象のうちに和解を実現しようとするものです。
(γ)こうして、意識の領域には、詩(文学)と散文という異なる二領域があることになります。古い時代にお
いては、宗教的信仰その他の知にもとづく一定の世界観が、合理的な秩序をもつ観念や認識にまで至らず、現実
の人間の境遇をそのような知に合わせて統制することもないから、詩(文学)は軽やかにたわむれることができ
る。散文が内外の存在をふくむ独立の領域として詩(文学)に対立し、詩はまずもってその散文を克服しなけれ
ばならない、ということがなく、詩(文学)は、日常意識のもつ意味を深め、その形を明瞭にすることだけを課
題とすればいいのです。
これにたいして、散文が精神の内容の全体をすでに自家薬篭中のものとし、ありとあらゆるものに散文の刻印
を押したとなると、詩(文学)は、この融合と刻印を徹底してくつがえす仕事を引きうけぎるをえず、散文の頑
固な抵抗に出会って、あらゆる方面でさまざまな困難に巻きこまれます。詩(文学)は、どうでもよい偶発事に
固執する日常意識のものの見かたを否定するとともに、ものごとの分析的なつながりを観察する目を高めて、理
性の探究へとむかわせ、あるいはまた、哲学的思考に、いうならば精神的な肉体とでもいうべきものをあたえて
想像的なものへと転化させねばならない。のみならず、多くの点で、散文的意識の慣れしたしんだ表現法を詩的
表現法へと転化し、詩と散文の対立という状況のなかで避けがたく生じる意図的な姿勢をうち消して、芸術に必
要な柔軟性と根源的な自由を完全に保持しなければなりません。
旧岩波ヘーゲル全集20c
美学3下2121頁
(244)
2121
(ハ) かくしてわれわれは詩と散文との二つの相異った意識領域をもつことになる。かつて一定の世界観がその
宗教的信仰とその他の方面の知にしたがって、悟性的に秩序づけられた表象や認識にまでしたてあげられるしなけ
れば、人間の諸状態の現実がかような知にしたがって規制されもしなかった時代には、詩がいまより容易に遊動す
る余地をたもっていた。そこでは散文が、詩によってはじめて克服されねばならぬような、内外の現存在のそれ自
身だけで独立した領野として、詩に対立することはなく、詩の課題はむしろただ他の意識のばあいのいろいろな意
義を深め、いろいろな形態を明かにすることに限られる。 これに反して散文が精神の全内容をすでにその捉えかた
へひきずりこみ、ありとあらゆるものにその刻印を捺すにいたれば、詩は徹頭徹尾改鋳をくわえる作業をひきうけ
散文的なものの扱いにくさのためにすべての面でさまざまな困難にまきこまれざるをえない。というのは、その際
詩は意に介するにたらぬ、偶然的なるのに固執する平常の直観から脱却して、諸物の悟性的関連の観察を理性的な
ものへひきあげ、あるいは思弁的思惟をいわば精神自身においてふたたび肉体化して想像へ転化せねばならないば
かりでなく、これら種々の点で散文的意識の通常の表現法を詩的なそれへ転換させ、かような対立によって必然的
に惹起されるすべてのわざとらしさにもかかわらず、芸術の必要とする無意図性と根源的自由の仮象を完全に保持
しなければならないからである。
3.詩的直観の個別化
以上にのべたところでわれわれはごく一般的に詩的なるものの内容を挙示するととるに、詩的形式をも散文的形
。。。。
長谷川訳『美学講義」中206頁
第二部 理想美の特殊な形態への発展
第三篇 ロマン的芸術形式
第三章 形式的に自立した特殊な個人
三、ロマン芸術の解体
c.ロマン的芸術形式のおわり
…
ところで、ロマン芸術は、もともと、自分の内部に満足を見いだす内面性の引きおこす深い分裂につきまとわれていて、
内面にこもる精神にぴったり対応する客体は存在しないから、内面は客体とずれたり、客体に無関心だったりします。この
対立は、ロマン芸術の進展のなかで、偶然の外形だけに関心がむくか、これまた偶然の主体性だけに関心がむく
かというところにまで行きつきます。が、外形ないし主観的表現によって得られる満足は、ロマン芸術の原理に
したがえば、心情が対象のうちに没入し、ユーモアの気分に浸りつつも客観やその主観的造形に趣向をこらすこ
とになるので、こうした対象への参入が客観的ユーモアとでもいうべきものを作りだします。
。。。
ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425頁
第二部 芸術美の諸特殊形式への理想の展開
第三篇 浪漫的芸術芸術形式
第三章 個人的特殊相の形式的独立
三 浪漫的芸術形式の解消
3 浪漫的芸術形式の終焉
…
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。ここでは、一般に客観的現実が
自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに対して違和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に亢進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を対象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
この書籍内から
- ルイ アラゴン 名言
- ブルトン ワイン
- シュルレアリスム詩
- アラゴン ロード オブ ザ リング
- アラゴン 色
- シュルレアリスム第二宣言
- エルザ トリオレ
- アラゴン カスティーリャ
- ブルトン お菓子
- ブルトン シュルレアリスムを語る
アラゴン事件 -〈赤色戦線〉
[
編集
]
- ^ "Misère de la poésie « L'affaire Aragon » devant l'opinion publique". andrebreton.fr. 2019年9月6日閲覧。[30]
- ^ 大島博光『アラゴン』新日本新書、1990年 - 抜粋「『赤色戦線』・アラゴン事件(上)」(大島博光記念館公式ウェブサイト))
André Breton face à Aragon dans Misère de la Poésie (1932)
La Collection
Descriptif
Bibliographie
- Le poème Front Rouge de Louis Aragon, Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 29-39
- André Gide nous parle de « L'affaire Aragon », Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 39-41
- Lettre de Romain Rolland aux surréalistes, Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 41-42
- Lettre d'adhésion. Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 41
- Essai de littérature prolétarienne, La mort de Barlois, Œuvres complètes d'André Breton, tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade,1992, p. 43-45
935 考える名無しさん[] 2021/09/28(火) 03:03:43.58 ID:0
返信削除『ロマン主義芸術の基本的な原理は、人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である』ヘーゲル
オタクの人は、自分のトラウマみたいな体験を、言葉で表現できないから、ロマン主義的なやつにハマる、みたいには言えるだろう。いわゆる文学作品だと、もうちょっと登場人物に自分を重ね合わせる。
暗黒のユーモア あるいは文学的テロル
いてもそうだった。事実はむしろ、われわれの意識のなかに立ちのぼった原子雲の高みから、燃えつ
きんとしている市民社会文明の、なかば廃壇となった光景を怖れず見おろすことが必要なのだ。事実
はそれを要求しているのである。
そこに一つのヴィジョンが湧くであろうか。いや、それはしばらく問うまい。未来の展望はアンシ
アン。レジームの廃絶から惹き起された恐怖、暗黒の思想のなかからのみ開けるにちがいない。暗黒
がすなわちわれわれのパースペクティヴなのだ。真の光の思想は暗黒のなかからしか生れない。われ
われはゾロアスター風の風土のなかにいるのである。「私は歴史に惹きつけられる」とアンドレ。ブ
ルトンは言う、「十八世紀末の暗黒小説は、封建的建造物を揺るがした革命的動乱の果実であり、稲
妻とか、地下室とか、骸骨とかいった、そのあらゆる小道具も、当時の感情の問題を具体化するとい
う意味しかもっていなかったのだと断言し得ると思う。当時の感情の問題とは、新しい秩序の建設に
よって目覚まされた歓喜であり、また古い秩序の廃止に由来する恐怖である。ともあれ、私はこの見
地から、すべての文学史が書き直されることを要求しているのではないかと思う」
ヘーゲルは世界史の三つの時期に象徴的、古典的およびロマン主義的芸術形式をそれぞれ対応せし
めたが、プルトンはヘーゲル的な意味でのロマン主義時代が今日なお終濫していないという見地から、
ヘーゲルのいう「偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモア」とに注目した。「ロマン主義
芸術の基本的な原理は」とヘーゲルは言う、「人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められ
ないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である。この対立はロマン
主義時代を通じて発展させられ、われわれは作家の興味が、あるいは外部世界の偶発事に、あるいは
人間個性の気まぐれに、それぞれ定着されるのを見た。しかし現在、もしも作家の興味が、精神をし
て外部の観照に耽らしめる状態をつくり得るまでになり、同時にユーモアがその主観的·反省的性格
を失わずに、対象やその現実的形態によって惹きつけられるならば、われわれはこの内部への浸透の
うちに、いわば客観的ューモアともいうべきものを獲得するであろう」
キ
あらゆる問題が想像力、すなわちヴィジョンに与えられた創造的価値にかかっているのである。二
世紀をへだてたヘーゲルの師ジョルダノ·ブルーノは言った、「われわれの想像力と思考力とが自然
を追い越すことは考えられない。いかなる現実も、次々と新しく開けて行くヴィジョンの可能性に照」
応しないものはない」と。また「オーレリア」の詩人ネルヴァルは言った、「人間の想像力はこの世
界にあれ別の世界にあれ、真実でないものは何ひとつ創り出さなかった」と。さらに構成の哲学者ポ
オは次のごとく言うであろうー
純粋な想像力は美の中であれ醜の中であれ、今まで決して結合されたことがないにもかかわらず
最も有効に結合されるにふさわしい要素をのみ選ぶであろう。こうして獲得された構成は、美あるい
は存在する部分のそれぞれの性質に準じる崇高の性格をつねに夢みるものだ。…ところで、自然の
化学的現象と知性の化学の現象とのあいだの奇妙なアナロジイによって、しばしば二つの要素の結合
が、もはや既存のいかなる要素の性質をも思い出させないような、まったく新しい一つの産物を生み
出すことがあるのである」
この想像力の《永久革命的》な性格を、ブルトンは「現実的になることを志向するもの、それこそ
想像力だ」という風に表現する。コロンプスはアメリカ大陸を発見するために狂人とともに出発しな
渋沢龍彦全集①105~6
ヘーゲル全集19c
返信削除美学2下
(237)
1425
味と無限の髪相にわたって現象し活動することこそ、人間的な状況と感情の枠内で今日の轟術の紹封的内包となり
うるものなのである。
Uてわれわれはこの段階の夢術に特有な内容の一般規定を了えたので、あらためてわれわれが最後に浪漫的藤備
の解消の形式として考察したところをかえりみると、われわれがなによりる強調したのは襲衡の崩壊であって、1
方では外界の封象物がその形態の偶然性のままに模寡されることになり、これに封して他方ではフモールにおいて
作家の主観がその内面の偶然性にしたがって自由に活動するようになるのであった。ところでなお最後にわれわれ
は、これまで建べてきたことの範園をこえるのではないが、浪漫的藤術のこの雨極端の場合が統括されて共存する
場合のあることを指摘することができる。すでにわれわれは象微的襲術から古典的襲術への進展をとくにあたって
形象(Bild)。比(Vergleichung).エビグラムなどの過渡形式を考察したが、いま浪漫的襲術についてる同様の形
式に言及しなければならぬ。あの(比較的襲衡形式における)種々の捉えかたでは内なる意味と外なる形態との分裂
が主要の問題鮎であって、この離は部分的には夢衡家の主観的活動によって止揚され、とくにエピグラムではで
きるだけ同一化へ縛ぜられたのであった。ところで浪漫的襲衛にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現賞が自己内在的な精紳に充分に照塵するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓著であるほかなかった。この封立は、浪漫的夢術が進展一
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の閣心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
**
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
(238)
返信削除た夢衛家が、浪漫的襲術の原理にしたがってその心情を封象に渡透させるにいたり、他方またフモールの揚合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範園内で客量とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から封象に同化する境地 に建し、いわば客動的なスモールが成立することになる。といっても
かような同化は部分的でしかありえず、歌論の範園において、あるいは大作長篇の一部としてあらわれるにすぎな
い。もしそれがさらに魔い範圏に及ぼされ、客暇界の全城にわたって途行されるのだったら、一連の行為や事件と
なって展開し、その客観的表現とならざるをえなかったであろう。これに封していま問題とする部類にかぞえるべ
きものは、むしろ作家の心がゆたかな感受性をもって封象の観照にふける場合である。このような心の動きも開展
の過程をたとりはするが、所詮、想像と心情の主野載的な、才須にあふれた活動である。それは一種の想いつきであ
るが、軍にでまかせで気随気値なるのではなく、まったく封象に身をゆだね、これを本来の闘心事とも内容ともす
る、精神の内なる動きである。
この貼でわれわれはこのような(浪漫的藤術の)最後の精華を古代ギリシャのエビグラムに封比することができる。
そこにはこの形式が最初の、最も軍純なかたちであらわれていたからである。いまわれわれがこの形式に属すると
考えるものは、封象について述べたことが単にその名をあげたり、富の封象が一般にどういうものであるかという
ことだけを述べる銘文の類であったりするにとどまらず、深い感情や、適切な機智や、思慮ぶかい反省や、警按な一
想像活動がつけ加わって、ごく些末なことをる詩的な捉えかたによって生纂づけ、摘大するとき、はじめて登現す
るのである。ところでこの種の詩は樹木や水車のかかった川や春の季節などについてうたわれ、有生無生の物象を
1425~6
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
味と無限の髪相にわたって現象し活動することこそ、人間的な状況と感情の枠内で今日の轟術の紹封的内包となり
うるものなのである。
さわれわれはこの段階の夢術に特有な内容の一般規定を了えたので、あらためてわれわれが最後に浪漫的藤備
の解消の形式として考察したところをかえりみると、われわれがなによりる強調したのは襲衡の崩壊であって、1
方では外界の封象物がその形態の偶然性のままに模寡されることになり、これに封して他方ではフモールにおいて
作家の主観がその内面の偶然性にしたがって自由に活動するようになるのであった。ところでなお最後にわれわれ
は、これまで建べてきたことの範園をこえるのではないが、浪漫的藤術のこの雨極端の場合が統括されて共存する
場合のあることを指摘することができる。すでにわれわれは象微的襲術から古典的襲術への進展をとくにあたって
形象(Bild)。比(Vergleichung).エビグラムなどの過渡形式を考察したが、いま浪漫的襲術についてる同様の形
式に言及しなければならぬ。あの(比較的襲衡形式における)種々の捉えかたでは内なる意味と外なる形態との分裂
が主要の問題鮎であって、この離は部分的には夢衡家の主観的活動によって止揚され、とくにエピグラムではで
きるだけ同一化へ縛ぜられたのであった。ところで浪漫的襲衛にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現賞が自己内在的な精紳に充分に照塵するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓著であるほかなかった。この封立は、浪漫的夢術が進展一
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の閣心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
**
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
(238)
た芸術家が、浪漫的襲術の原理にしたがってその心情を封象に渡透させるにいたり、他方またフモールの揚合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範園内で客量とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から封象に同化する境地 に建し、いわば客動的なスモールが成立することになる。といっても
かような同化は部分的でしかありえず、歌論の範園において、あるいは大作長篇の一部としてあらわれるにすぎな
い。もしそれがさらに魔い範圏に及ぼされ、客暇界の全城にわたって途行されるのだったら、一連の行為や事件と
なって展開し、その客観的表現とならざるをえなかったであろう。これに封していま問題とする部類にかぞえるべ
きものは、むしろ作家の心がゆたかな感受性をもって封象の観照にふける場合である。このような心の動きも開展
の過程をたとりはするが、所詮、想像と心情の主野載的な、才須にあふれた活動である。それは一種の想いつきであ
るが、軍にでまかせで気随気値なるのではなく、まったく封象に身をゆだね、これを本来の闘心事とも内容ともす
る、精神の内なる動きである。
この貼でわれわれはこのような(浪漫的藤術の)最後の精華を古代ギリシャのエビグラムに封比することができる。
そこにはこの形式が最初の、最も軍純なかたちであらわれていたからである。いまわれわれがこの形式に属すると
考えるものは、封象について述べたことが単にその名をあげたり、富の封象が一般にどういうものであるかという
ことだけを述べる銘文の類であったりするにとどまらず、深い感情や、適切な機智や、思慮ぶかい反省や、警按な一
想像活動がつけ加わって、ごく些末なことをる詩的な捉えかたによって生纂づけ、摘大するとき、はじめて登現す
るのである。ところでこの種の詩は樹木や水車のかかった川や春の季節などについてうたわれ、有生無生の物象を
1425~6
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
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味と無限の髪相にわたって現象し活動することこそ、人間的な状況と感情の枠内で今日の轟術の紹封的内包となり
うるものなのである。
さてわれわれはこの段階の夢術に特有な内容の一般規定を了えたので、あらためてわれわれが最後に浪漫的藤備
の解消の形式として考察したところをかえりみると、われわれがなによりる強調したのは襲衡の崩壊であって、1
方では外界の封象物がその形態の偶然性のままに模寡されることになり、これに封して他方ではフモールにおいて
作家の主観がその内面の偶然性にしたがって自由に活動するようになるのであった。ところでなお最後にわれわれ
は、これまで建べてきたことの範園をこえるのではないが、浪漫的藤術のこの雨極端の場合が統括されて共存する
場合のあることを指摘することができる。すでにわれわれは象微的襲術から古典的襲術への進展をとくにあたって
形象(Bild)。比(Vergleichung).エビグラムなどの過渡形式を考察したが、いま浪漫的襲術についてる同様の形
式に言及しなければならぬ。あの(比較的襲衡形式における)種々の捉えかたでは内なる意味と外なる形態との分裂
が主要の問題鮎であって、この離は部分的には夢衡家の主観的活動によって止揚され、とくにエピグラムではで
きるだけ同一化へ縛ぜられたのであった。ところで浪漫的襲衛にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現賞が自己内在的な精紳に充分に照塵するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓著であるほかなかった。この封立は、浪漫的夢術が進展一
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の閣心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
**
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
(238)
た芸術家が、浪漫的襲術の原理にしたがってその心情を封象に渡透させるにいたり、他方またフモールの揚合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範園内で客量とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から封象に同化する境地 に建し、いわば客動的なスモールが成立することになる。といっても
かような同化は部分的でしかありえず、歌論の範園において、あるいは大作長篇の一部としてあらわれるにすぎな
い。もしそれがさらに魔い範圏に及ぼされ、客暇界の全城にわたって途行されるのだったら、一連の行為や事件と
なって展開し、その客観的表現とならざるをえなかったであろう。これに封していま問題とする部類にかぞえるべ
きものは、むしろ作家の心がゆたかな感受性をもって封象の観照にふける場合である。このような心の動きも開展
の過程をたとりはするが、所詮、想像と心情の主野載的な、才須にあふれた活動である。それは一種の想いつきであ
るが、軍にでまかせで気随気値なるのではなく、まったく封象に身をゆだね、これを本来の闘心事とも内容ともす
る、精神の内なる動きである。
この貼でわれわれはこのような(浪漫的藤術の)最後の精華を古代ギリシャのエビグラムに封比することができる。
そこにはこの形式が最初の、最も軍純なかたちであらわれていたからである。いまわれわれがこの形式に属すると
考えるものは、封象について述べたことが単にその名をあげたり、富の封象が一般にどういうものであるかという
ことだけを述べる銘文の類であったりするにとどまらず、深い感情や、適切な機智や、思慮ぶかい反省や、警按な一
想像活動がつけ加わって、ごく些末なことをる詩的な捉えかたによって生纂づけ、摘大するとき、はじめて登現す
るのである。ところでこの種の詩は樹木や水車のかかった川や春の季節などについてうたわれ、有生無生の物象を
1425~6
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
味と無限の髪相にわたって現象し活動することこそ、人間的な状況と感情の枠内で今日の轟術の紹封的内包となり
うるものなのである。
さてわれわれはこの段階の夢術に特有な内容の一般規定を了えたので、あらためてわれわれが最後に浪漫的藤備
の解消の形式として考察したところをかえりみると、われわれがなによりる強調したのは襲衡の崩壊であって、1
方では外界の封象物がその形態の偶然性のままに模寡されることになり、これに封して他方ではフモールにおいて
作家の主観がその内面の偶然性にしたがって自由に活動するようになるのであった。ところでなお最後にわれわれ
は、これまで建べてきたことの範園をこえるのではないが、浪漫的藤術のこの雨極端の場合が統括されて共存する
場合のあることを指摘することができる。すでにわれわれは象微的襲術から古典的襲術への進展をとくにあたって
形象(Bild)。比(Vergleichung).エビグラムなどの過渡形式を考察したが、いま浪漫的襲術についてる同様の形
式に言及しなければならぬ。あの(比較的襲衡形式における)種々の捉えかたでは内なる意味と外なる形態との分裂
が主要の問題鮎であって、この離は部分的には夢衡家の主観的活動によって止揚され、とくにエピグラムではで
きるだけ同一化へ縛ぜられたのであった。ところで浪漫的襲衛にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現賞が自己内在的な精紳に充分に照塵するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓著であるほかなかった。この封立は、浪漫的夢術が進展一
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の閣心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
**
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
(238)
た芸術家が、浪漫的襲術の原理にしたがってその心情を封象に渡透させるにいたり、他方またフモールの揚合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範園内で客量とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から封象に同化する境地 に建し、いわば客動的なスモールが成立することになる。といっても
かような同化は部分的でしかありえず、歌謡の範園において、あるいは大作長篇の一部としてあらわれるにすぎな
い。もしそれがさらに魔い範圏に及ぼされ、客暇界の全城にわたって途行されるのだったら、一連の行為や事件と
なって展開し、その客観的表現とならざるをえなかったであろう。これに封していま問題とする部類にかぞえるべ
きものは、むしろ作家の心がゆたかな感受性をもって封象の観照にふける場合である。このような心の動きも開展
の過程をたとりはするが、所詮、想像と心情の主野載的な、才須にあふれた活動である。それは一種の想いつきであ
るが、軍にでまかせで気随気値なるのではなく、まったく封象に身をゆだね、これを本来の闘心事とも内容ともす
る、精神の内なる動きである。
この貼でわれわれはこのような(浪漫的藤術の)最後の精華を古代ギリシャのエビグラムに封比することができる。
そこにはこの形式が最初の、最も軍純なかたちであらわれていたからである。いまわれわれがこの形式に属すると
考えるものは、封象について述べたことが単にその名をあげたり、富の封象が一般にどういうものであるかという
ことだけを述べる銘文の類であったりするにとどまらず、深い感情や、適切な機智や、思慮ぶかい反省や、警按な一
想像活動がつけ加わって、ごく些末なことをる詩的な捉えかたによって生纂づけ、摘大するとき、はじめて登現す
るのである。ところでこの種の詩は樹木や水車のかかった川や春の季節などについてうたわれ、有生無生の物象を
1425~6
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
味と無限の変相にわたって現象し活動することこそ、人間的な状況と感情の枠内で今日の芸術の絶対的内包となり
うるものなのである。
さてわれわれはこの段階の夢術に特有な内容の一般規定を了えたので、あらためてわれわれが最後に浪漫的芸術
の解消の形式として考察したところをかえりみると、われわれがなによりる強調したのは襲衡の崩壊であって、
方では外界の封象物がその形態の偶然性のままに模寡されることになり、これに封して他方ではフモールにおいて
作家の主観がその内面の偶然性にしたがって自由に活動するようになるのであった。ところでなお最後にわれわれ
は、これまで建べてきたことの範囲をこえるのではないが、浪漫的芸術のこの両極端の場合が統括されて共存する
場合のあることを指摘することができる。すでにわれわれは象微的芸術から古典的芸術への進展をとくにあたって
形象(Bild)。比喩(Vergleichung).エビグラムなどの過渡形式を考察したが、いま浪漫的芸術についてる同様の形
式に言及しなければならぬ。あの(比較的芸術形式における)種々の捉えかたでは内なる意味と外なる形態との分裂
が主要の問題点であって、この乖離は部分的には芸術家の主観的活動によって止揚され、とくにエピグラムではで
きるだけ同一化へ転ぜられたのであった。ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現実が自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この封立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を封象に浸透させるにいたり、他方またフモールの揚合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から封象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。といっても
かような同化は部分的でしかありえず、歌謡の範囲において、あるいは大作長篇の一部としてあらわれるにすぎな
い。もしそれがさらに広い範囲に及ぼされ、客観界の全域にわたって遂行されるのだったら、一連の行為や事件と
なって展開し、その客観的表現とならざるをえなかったであろう。これに対していま問題とする部類にかぞえるべ
きものは、むしろ作家の心がゆたかな感受性をもって対象の観照にふける場合である。このような心の動きも開展
の過程をたとりはするが、所詮、想像と心情の主観的な、才気にあふれた活動である。それは一種の想いつきであ
るが、単にでまかせで気随気値なるのではなく、まったく対象に身をゆだね、これを本来の関心事とも内容ともす
る、精神の内なる動きである。
この点でわれわれはこのような(浪漫的芸術の)最後の精華を古代ギリシャのエビグラムに封比することができる。
そこにはこの形式が最初の、最も単純なかたちであらわれていたからである。いまわれわれがこの形式に属すると
考えるものは、対象について述べたことが単にその名をあげたり、当の封象が一般にどういうものであるかという
ことだけを述べる銘文の類であったりするにとどまらず、深い感情や、適切な機智や、思慮ぶかい反省や、警抜な
想像活動がつけ加わって、ごく些末なことをる詩的な捉えかたによって生纂づけ、摘大するとき、はじめて発現す
るのである。ところでこの種の詩は樹木や水車のかかった川や春の季節などについてうたわれ、有生無生の物象を
1425~6
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
味と無限の変相にわたって現象し活動することこそ、人間的な状況と感情の枠内で今日の芸術の絶対的内包となり
うるものなのである。
さてわれわれはこの段階の夢術に特有な内容の一般規定を了えたので、あらためてわれわれが最後に浪漫的芸術
の解消の形式として考察したところをかえりみると、われわれがなによりる強調したのは襲衡の崩壊であって、
方では外界の封象物がその形態の偶然性のままに模寡されることになり、これに封して他方ではフモールにおいて
作家の主観がその内面の偶然性にしたがって自由に活動するようになるのであった。ところでなお最後にわれわれ
は、これまで建べてきたことの範囲をこえるのではないが、浪漫的芸術のこの両極端の場合が統括されて共存する
場合のあることを指摘することができる。すでにわれわれは象微的芸術から古典的芸術への進展をとくにあたって
形象(Bild)。比喩(Vergleichung).エビグラムなどの過渡形式を考察したが、いま浪漫的芸術についてる同様の形
式に言及しなければならぬ。あの(比較的芸術形式における)種々の捉えかたでは内なる意味と外なる形態との分裂
が主要の問題点であって、この乖離は部分的には芸術家の主観的活動によって止揚され、とくにエピグラムではで
きるだけ同一化へ転ぜられたのであった。ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現実が自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この封立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を封象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から封象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。といっても
かような同化は部分的でしかありえず、歌謡の範囲において、あるいは大作長篇の一部としてあらわれるにすぎな
い。もしそれがさらに広い範囲に及ぼされ、客観界の全域にわたって遂行されるのだったら、一連の行為や事件と
なって展開し、その客観的表現とならざるをえなかったであろう。これに対していま問題とする部類にかぞえるべ
きものは、むしろ作家の心がゆたかな感受性をもって対象の観照にふける場合である。このような心の動きも開展
の過程をたとりはするが、所詮、想像と心情の主観的な、才気にあふれた活動である。それは一種の想いつきであ
るが、単にでまかせで気随気値なるのではなく、まったく対象に身をゆだね、これを本来の関心事とも内容ともす
る、精神の内なる動きである。
この点でわれわれはこのような(浪漫的芸術の)最後の精華を古代ギリシャのエビグラムに封比することができる。
そこにはこの形式が最初の、最も単純なかたちであらわれていたからである。いまわれわれがこの形式に属すると
考えるものは、対象について述べたことが単にその名をあげたり、当の封象が一般にどういうものであるかという
ことだけを述べる銘文の類であったりするにとどまらず、深い感情や、適切な機智や、思慮ぶかい反省や、警抜な
想像活動がつけ加わって、ごく些末なことをる詩的な捉えかたによって生纂づけ、摘大するとき、はじめて発現す
るのである。ところでこの種の詩は樹木や水車のかかった川や春の季節などについてうたわれ、有生無生の物象を
1425~6
長谷川訳
返信削除美学講義中
第二部 理想美の特殊な形態への発展 206
と外形とがばらばらになっているところに大きな問題があって、その分裂は、芸術家の主体的な活動によって部
分的に破棄きれ、とくに題詞(エピグラム)において可能なかぎり統一が追求されました。ところで、ロマン芸
術は、もともと、自分の内部に満足を見いだす内面性の引きおこす深い分裂につきまとわれていて、内面にこも
る精神にぴったり対応する客体は存在しないから、内面は客体とずれたり、客体に無関心だったりします。この
対立は、ロマン芸術の進展のなかで、偶然の外形だけに関心がむくか、これまた偶然の主体性だけに関心がむく
かというところにまで行きつきます。が、外形ないし主観的表現によって得られる満足は、ロマン芸術の原理に
したがえば、心情が対象のうちに没入し、ユーモアの気分に浸りつつも客観やその主観的造形に趣向をこらすこ
とになるので、こうした対象への参入が客観的ユーモアとでもいうべきものを作りだします。とはいえ、この参
入は部分的なものにすぎず、一つの歌として、あるいは、大きな全体の一部において、表現きれるにすぎない。
もっと大きな広がりをもって客体の内部に浸透するには、行為や事件の客観的表現にまで至らねばならないが、
ここに期待できるのは、むしろ、対象のうちに入りこんだ主体の情緒たっぷりの心情吐露だからです。心情の展
開は、想像力や情緒の機知に富んだ主観的な動きにすぎない。その場その場の思いつきは、たんに自分勝手な気
まぐれではなく、対象に身をゆだね、対象を興味ある内容たらしめる精神の内面的な動きを示してはいるのです
が。
この点で、古いギリシャの題詞(エピグラム)に対比できるものとして、情緒的な形式がそっくりそのまま単
純きわまる表現となってあらわれるような、最後の芸術的開花があります。ここにいう形式は、対象をただ名ぎ
し、一般に対象がなんであるかをいうだけの、銘文や碑文ではなく、そこに深い感情や、適度な機知や、明敏な
反省や、利発な想像作用がつけくわわっていて、どんな些細なものでも詩的理解力によって生命を吹きこまれ、
大きくふくらまされます。木や小川や春や、生死や死者を主題とするそのような詩は、それこそ無限に多様で、
どこの国にも存在しますが、あまり重視されないし、退屈なものが少なくない。反省と表現の力のある人なら
だれでも大抵の対象やでき
返信削除長谷川訳
美学講義中
第二部 理想美の特殊な形態への発展 206
ロマン芸
術は、もともと、自分の内部に満足を見いだす内面性の引きおこす深い分裂につきまとわれていて、内面にこも
る精神にぴったり対応する客体は存在しないから、内面は客体とずれたり、客体に無関心だったりします。この
対立は、ロマン芸術の進展のなかで、偶然の外形だけに関心がむくか、これまた偶然の主体性だけに関心がむく
かというところにまで行きつきます。が、外形ないし主観的表現によって得られる満足は、ロマン芸術の原理に
したがえば、心情が対象のうちに没入し、ユーモアの気分に浸りつつも客観やその主観的造形に趣向をこらすこ
とになるので、こうした対象への参入が客観的ユーモアとでもいうべきものを作りだします。
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現実が自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに封して進和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を封象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現実が自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに対して進和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に充進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を対象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
返信削除ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。
ここでは、一般に客観的現実が自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに対して進和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に亢進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を対象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
返信削除渋沢龍彦全集①105~6
ヘーゲルは世界史の三つの時期に象徴的、古典的およびロマン主義的芸術形式をそれぞれ対応せし
めたが、ブルトンはヘーゲル的な意味でのロマン主義時代が今日なお終濫していないという見地から、
ヘーゲルのいう「偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモア」とに注目した。「ロマン主義
芸術の基本的な原理は」とヘーゲルは言う、「人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められ
ないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である。この対立はロマン
主義時代を通じて発展させられ、われわれは作家の興味が、あるいは外部世界の偶発事に、あるいは
人間個性の気まぐれに、それぞれ定着されるのを見た。しかし現在、もしも作家の興味が、精神をし
て外部の観照に耽らしめる状態をつくり得るまでになり、同時にユーモアがその主観的·反省的性格
を失わずに、対象やその現実的形態によって惹きつけられるならば、われわれはこの内部への浸透の
うちに、いわば客観的ユーモアともいうべきものを獲得するであろう」
瀧口修造の影響?
返信削除長谷川訳
美学講義中
第二部 理想美の特殊な形態への発展 206
ところで、ロマン芸術は、もともと、自分の内部に満足を見いだす内面性の引きおこす深い分裂につきまとわれていて、内面にこも
る精神にぴったり対応する客体は存在しないから、内面は客体とずれたり、客体に無関心だったりします。この
対立は、ロマン芸術の進展のなかで、偶然の外形だけに関心がむくか、これまた偶然の主体性だけに関心がむく
かというところにまで行きつきます。が、外形ないし主観的表現によって得られる満足は、ロマン芸術の原理に
したがえば、心情が対象のうちに没入し、ユーモアの気分に浸りつつも客観やその主観的造形に趣向をこらすこ
とになるので、こうした対象への参入が客観的ユーモアとでもいうべきものを作りだします。
。。。
ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。ここでは、一般に客観的現実が自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに対して違和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に亢進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を対象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
。。
渋沢龍彦全集①105~6
ヘーゲルは世界史の三つの時期に象徴的、古典的およびロマン主義的芸術形式をそれぞれ対応せし
めたが、ブルトンはヘーゲル的な意味でのロマン主義時代が今日なお終濫していないという見地から、
ヘーゲルのいう「偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモア」とに注目した。「ロマン主義
芸術の基本的な原理は」とヘーゲルは言う、「人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められ
ないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である。この対立はロマン
主義時代を通じて発展させられ、われわれは作家の興味が、あるいは外部世界の偶発事に、あるいは
人間個性の気まぐれに、それぞれ定着されるのを見た。しかし現在、もしも作家の興味が、精神をし
て外部の観照に耽らしめる状態をつくり得るまでになり、同時にユーモアがその主観的·反省的性格
を失わずに、対象やその現実的形態によって惹きつけられるならば、われわれはこの内部への浸透の
うちに、いわば客観的ユーモアともいうべきものを獲得するであろう」
瀧口修造の影響?
936 考える名無しさん[sage] 2021/10/09(土) 15:23:38.22 ID:0
返信削除ヘーゲルは芸術を三つの発展段階に区分した
1:表現しようとしても表現しきれないのを無理やり表現したもの
象徴的芸術・東洋のもの、だから頭が三つある像や数十本ある腕をつくったり
多くの神をつくったりする
2:表現と表現対象とが一致したもの(古典的芸術・ギリシア芸術)
形態と理念が一致したものとしてギリシア彫刻
3:表現対象が表現には物足らなくなったもの(ロマン的芸術・近代西洋)
芸術という真理把握形式では把握できないと悟った芸術
だからどこまでも表現者の主観が優位になる、芸術の終焉
返信削除渋沢龍彦全集①105~6
ヘーゲルは世界史の三つの時期に象徴的、古典的およびロマン主義的芸術形式をそれぞれ対応せし
めたが、ブルトンはヘーゲル的な意味でのロマン主義時代が今日なお終焉していないという見地から、
ヘーゲルのいう「偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモア」とに注目した。「ロマン主義
芸術の基本的な原理は」とヘーゲルは言う、「人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められ
ないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である。この対立はロマン
主義時代を通じて発展させられ、われわれは作家の興味が、あるいは外部世界の偶発事に、あるいは
人間個性の気まぐれに、それぞれ定着されるのを見た。しかし現在、もしも作家の興味が、精神をし
て外部の観照に耽らしめる状態をつくり得るまでになり、同時にユーモアがその主観的·反省的性格
を失わずに、対象やその現実的形態によって惹きつけられるならば、われわれはこの内部への浸透の
うちに、いわば客観的ユーモアともいうべきものを獲得するであろう」
返信削除長谷川訳
美学講義中
第二部 理想美の特殊な形態への発展 206
ところで、ロマン芸術は、もともと、自分の内部に満足を見いだす内面性の引きおこす深い分裂につきまとわれていて、
内面にこもる精神にぴったり対応する客体は存在しないから、内面は客体とずれたり、客体に無関心だったりします。この
対立は、ロマン芸術の進展のなかで、偶然の外形だけに関心がむくか、これまた偶然の主体性だけに関心がむく
かというところにまで行きつきます。が、外形ないし主観的表現によって得られる満足は、ロマン芸術の原理に
したがえば、心情が対象のうちに没入し、ユーモアの気分に浸りつつも客観やその主観的造形に趣向をこらすこ
とになるので、こうした対象への参入が客観的ユーモアとでもいうべきものを作りだします。
。。。
ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。ここでは、一般に客観的現実が
自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに対して違和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に亢進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を対象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
。。
渋沢龍彦全集①105~6
ヘーゲルは世界史の三つの時期に象徴的、古典的およびロマン主義的芸術形式をそれぞれ対応せし
めたが、ブルトンはヘーゲル的な意味でのロマン主義時代が今日なお終焉していないという見地から、
ヘーゲルのいう「偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユーモア」とに注目した。「ロマン主義
芸術の基本的な原理は」とヘーゲルは言う、「人間の内的自然に完全に対応する外部世界が認められ
ないままに、世界に対して無関心の立場を守った魂の、魂自身への集中化である。この対立はロマン
主義時代を通じて発展させられ、われわれは作家の興味が、あるいは外部世界の偶発事に、あるいは
人間個性の気まぐれに、それぞれ定着されるのを見た。しかし現在、もしも作家の興味が、精神をし
て外部の観照に耽らしめる状態をつくり得るまでになり、同時にユーモアがその主観的·反省的性格
を失わずに、対象やその現実的形態によって惹きつけられるならば、われわれはこの内部への浸透の
うちに、いわば客観的ユーモアともいうべきものを獲得するであろう」
瀧口修造の影響?
渋沢や瀧口修造が参照、ブルトンがヘーゲルを引用した「詩の貧困」1932は未邦訳。
返信削除
返信削除936 考える名無しさん[sage] 2021/10/09(土) 15:23:38.22 ID:0
ヘーゲルは芸術を三つの発展段階に区分した
1:表現しようとしても表現しきれないのを無理やり表現したもの
象徴的芸術・東洋のもの、だから頭が三つある像や数十本ある腕をつくったり
多くの神をつくったりする
2:表現と表現対象とが一致したもの(古典的芸術・ギリシア芸術)
形態と理念が一致したものとしてギリシア彫刻
3:表現対象が表現には物足らなくなったもの(ロマン的芸術・近代西洋)
芸術という真理把握形式では把握できないと悟った芸術
だからどこまでも表現者の主観が優位になる、芸術の終焉
返信削除《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに「客観的
ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
「右に述べた両極のひとつは、人生のもっとも平凡な外観(自然主義)、自然におけるもっとも移りやす
い外観 (印象派)、量と質との観点から直面した対象(キュビスム)、運動する対象(未来派)の、それぞ
れ模倣であり、他の極すなわちユーモアはとくに混乱の場合にあらわれ、偶然的なものが客観的に強いら
れようとする時の芸術家の強力な欲求を立証するものであって、ロートレアモンとランボーのサンボリス
ムは一八七○年の戦争と同時に起こり、前期(プレ)ダダイスム (レーモン・ルッセル、デュシャンら)とダダイ
スム(ヴァシェ、ツァラ)は一九一四年の戦争と同時に起こった。」そしてシェルレアリストはヘーゲルの
いった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
... ... ... ... ... ...
... ....
4 ランボーの詩的経歴は、現在にあってもさまざまな論議の的となっている。パリ.コンミュンの彫響下
に書いた数篇によって、左翼詩人は彼をプロレタリア詩人にする。いわゆるプロレタリア文学と一致しな
いシュルレアリストは、ランボーが、それらの詩の書かれたのと同じ日付の手紙を指摘して反対する。~
「私は詩人になりたいのです。そして私は見者 voyant になろうとして努力しています。それはあらゆる
感覚の錯乱によって未知の世界に到達することです。」一八七一年五月イザン”ベール宛の手紙より。
5 参考のためこの展覧会の出品者を挙げると、ビカソ、アルプ、パウル·クレー、マン。レイ、エルンス
「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
全集1に再録
返信
yoji2021年10月10日 9:57
《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに「客観的
ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
「右に述べた両極のひとつは、人生のもっとも平凡な外観(自然主義)、自然におけるもっとも移りやす
い外観 (印象派)、量と質との観点から直面した対象(キュビスム)、運動する対象(未来派)の、それぞ
れ模倣であり、他の極すなわちユーモアはとくに混乱の場合にあらわれ、偶然的なものが客観的に強いら
れようとする時の芸術家の強力な欲求を立証するものであって、ロートレアモンとランボーのサンボリス
ムは一八七○年の戦争と同時に起こり、前期(プレ)ダダイスム (レーモン・ルッセル、デュシャンら)とダダイ
スム(ヴァシェ、ツァラ)は一九一四年の戦争と同時に起こった。」そしてシェルレアリストはヘーゲルの
いった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
瀧口全集1に再録
返信削除《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに「客観的
ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
「右に述べた両極のひとつは、人生のもっとも平凡な外観(自然主義)、自然におけるもっとも移りやす
い外観 (印象派)、量と質との観点から直面した対象(キュビスム)、運動する対象(未来派)の、それぞ
れ模倣であり、他の極すなわちユーモアはとくに混乱の場合にあらわれ、偶然的なものが客観的に強いら
れようとする時の芸術家の強力な欲求を立証するものであって、ロートレアモンとランボーのサンボリス
ムは一八七○年の戦争と同時に起こり、前期(プレ)ダダイスム (レーモン・ルッセル、デュシャンら)とダダイ
スム(ヴァシェ、ツァラ)は一九一四年の戦争と同時に起こった。」そしてシェルレアリストはヘーゲルの
いった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
... ... ... ... ... ...
... ....
4 ランボーの詩的経歴は、現在にあってもさまざまな論議の的となっている。パリ.コンミュンの彫響下
に書いた数篇によって、左翼詩人は彼をプロレタリア詩人にする。いわゆるプロレタリア文学と一致しな
いシュルレアリストは、ランボーが、それらの詩の書かれたのと同じ日付の手紙を指摘して反対する。~
「私は詩人になりたいのです。そして私は見者 voyant になろうとして努力しています。それはあらゆる
感覚の錯乱によって未知の世界に到達することです。」一八七一年五月イザン”ベール宛の手紙より。
5 参考のためこの展覧会の出品者を挙げると、ビカソ、アルプ、パウル·クレー、マン。レイ、エルンス
「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
全集1に再録
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yoji2021年10月10日 9:57
《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに「客観的
ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
「右に述べた両極のひとつは、人生のもっとも平凡な外観(自然主義)、自然におけるもっとも移りやす
い外観 (印象派)、量と質との観点から直面した対象(キュビスム)、運動する対象(未来派)の、それぞ
れ模倣であり、他の極すなわちユーモアはとくに混乱の場合にあらわれ、偶然的なものが客観的に強いら
れようとする時の芸術家の強力な欲求を立証するものであって、ロートレアモンとランボーのサンボリス
ムは一八七○年の戦争と同時に起こり、前期(プレ)ダダイスム (レーモン・ルッセル、デュシャンら)とダダイ
スム(ヴァシェ、ツァラ)は一九一四年の戦争と同時に起こった。」そしてシェルレアリストはヘーゲルの
いった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
瀧口全集1に再録
返信削除長谷川訳『美学講義」中206頁
第二部 理想美の特殊な形態への発展
第三篇 ロマン的芸術形式
第三章 形式的に自立した特殊な個人
三、ロマン芸術の解体
c.ロマン的芸術形式のおわり
…
ところで、ロマン芸術は、もともと、自分の内部に満足を見いだす内面性の引きおこす深い分裂につきまとわれていて、
内面にこもる精神にぴったり対応する客体は存在しないから、内面は客体とずれたり、客体に無関心だったりします。この
対立は、ロマン芸術の進展のなかで、偶然の外形だけに関心がむくか、これまた偶然の主体性だけに関心がむく
かというところにまで行きつきます。が、外形ないし主観的表現によって得られる満足は、ロマン芸術の原理に
したがえば、心情が対象のうちに没入し、ユーモアの気分に浸りつつも客観やその主観的造形に趣向をこらすこ
とになるので、こうした対象への参入が客観的ユーモアとでもいうべきものを作りだします。
。。。
ヘーゲル全集19c
美学2下
(237)
1425頁
第二部 芸術美の諸特殊形式への理想の展開
第三篇 浪漫的芸術芸術形式
第三章 個人的特殊相の形式的独立
三 浪漫的芸術形式の解消
3 浪漫的芸術形式の終焉
…
ところで浪漫的芸術にははじめからもっと深刻な内面的分裂があった。ここでは、一般に客観的現実が
自己内在的な精神に充分に照応するものではないために、それ自身においては満ち
足りた内面性も、それに対して違和を感じ、あるいは無頓着であるほかなかった。この対立は、浪漫的芸術が進展
するにしたがって、次第に亢進し、ついには一切の関心が偶然的な外面現象か、あるいは同様に偶然的な主観の活
動にしかむけられねばならないようになった。ところがこのように外面現象と主観的表現のいずれかに満足してい
た芸術家が、浪漫的芸術の原理にしたがってその心情を対象に浸透させるにいたり、他方またフモールの場合には
主観的反省の立揚にとどまりながらその範囲内で客体とその形成を重現するようになると、その結果、自己の内面
性を持しつつ心底から対象に同化する境地 に建し、いわば客観的なフモールが成立することになる。
返信削除以下、「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
瀧口全集12に再録
《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに
「客観的ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
…そしてシェルレアリストはヘーゲルの
いった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだとされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
参考:
『赤色戦線』・アラゴン事件(下)
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-2956.html
…ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定
的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。《ふたたび『赤色戦線』にもどって
言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、
この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な
理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけで
あり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも
進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な
事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを
思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、
各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、
状況の詩ということである》
政治的に一元的なマルクス主義に対し、ヘーゲル(客観的ユーモアを論拠にするブルトンの態度は
ジジェクを想起させる。
返信削除以下、「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
瀧口全集12に再録
《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに
「客観的ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
…そしてシェルレアリストはヘーゲルのいった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだ
とされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
参考:
『赤色戦線』・アラゴン事件(下)
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-2956.html
…ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定
的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。《ふたたび『赤色戦線』にもどって
言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、
この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な
理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけで
あり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも
進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な
事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを
思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、
各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、
状況の詩ということである》
政治的に一元的なマルクス主義に対し、ヘーゲル(客観的ユーモアを論拠にするブルトンの態度は
ジジェクを想起させる。
返信削除以下、「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁
瀧口全集12に再録
《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに
「客観的ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
…そしてシェルレアリストはヘーゲルのいった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだ
とされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
参考:
『赤色戦線』・アラゴン事件(下)
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-2956.html
…ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定
的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。《ふたたび『赤色戦線』にもどって
言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、
この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な
理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけで
あり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも
進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な
事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを
思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、
各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、
状況の詩ということである》
政治的に一元的なマルクス主義に対し、ヘーゲル(客観的ユーモア)を論拠にするブルトンの態度は
ジジェクを想起させる。
以下、「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁より(瀧口全集12に再録)
返信削除《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに
「客観的ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
…そしてシェルレアリストはヘーゲルのいった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだ
とされる。(Breton : Misére de la Poésie, 1932)》
参考:
『赤色戦線』・アラゴン事件(下)
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-2956.html
《…ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定
的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。「ふたたび『赤色戦線』にもどって
言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、
この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な
理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけで
あり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも
進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な
事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを
思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、
各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、
状況の詩ということである」》
政治的に一元的なマルクス主義に対し、ヘーゲル(客観的ユーモア)を論拠にするブルトンの態度は
ジジェクを想起させる。
以下、「シュルレアリスム論」瀧口修造『近代芸術』107頁より(瀧口全集12に再録)
返信削除《ヴァシェやジャリからシュルレアリストへ発展したユーモアを、アンドレ・ブルトンはとくに
「客観的ユーモア」と呼んでいる。この観念は「ポエジー」と同じく彼らの本質的な機能とされている。
彼はヘーゲル的な広汎な意味でのロマン主義は今日なお終結していないという。「ヘーゲルはこのよう
な芸術(ロマン的)が陥る二つの大きな危険として、 いわば偶然な諸形態における自然の無能な模倣とユ
ーモアとに注目した。そしてこの両者の融合点として客観的ユーモアというものを提示しているが、彼の
死後相ついで起こった芸術の諸運動 (自然主義、印象派、キュビスム、未来派、ダダイスム、シュルレア
リスム)を思えば彼の言葉が予言的な価値を持っていたことを認めないわけにはいかない。」
…そしてシェルレアリストはヘーゲルのいった意味での「客観的ユーモア」の立場をとるものだ
とされる。(Breton : Misere de la Poesie, 1932)》
参考:
『赤色戦線』・アラゴン事件(下)
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-2956.html
《…ブルトンはこの告発には反対したが、『赤色戦線』にたいする作品評価の点ではまったく否定
的だった。『詩の貧困』(一九三二年三月)のなかに彼は書く。「ふたたび『赤色戦線』にもどって
言えば……わたしは断言せざるを得ない──この詩は、詩に新しい道をきりひらくものではなく、
この詩をもって、こんにちの詩人たちが見習うべき模範とすることはむだであろうと。その主な
理由は、このような(詩の)領域においては、客観的な出発点はただ客観的な到達点に達するだけで
あり、この詩における外部的主題、とりわけ議論を呼び起こす主題への後退は、こんにち、もっとも
進んだ詩的形式から引き出される歴史的教訓とは一致しないからである……この詩は絶えず特殊な
事件、社会生活の状況によりかかっている。この詩がアラゴンのソヴェト滞在中に書かれたことを
思えば、この詩を、現在提起されている詩的問題にたいする時宜を得た解答と見なすべきではなく、
各人がめいめい好きなように行なう習作と見るべきである。なぜなら、詩における後退の別名は、
状況の詩ということである」》
(新日本新書『アラゴン』より)
政治的に一元的なマルクス主義に対し、ヘーゲル(客観的ユーモア)を論拠にするブルトンの態度は
ジジェクを想起させる。
以下、ブルトン1932が引用した部分の長谷川訳、
返信削除《…これにたいして、散文が精神の内容の全体をすでに自家薬篭中のものとし、ありとあらゆるものに散文の刻印
を押したとなると、詩(文学)は、この融合と刻印を徹底してくつがえす仕事を引きうけぎるをえず、散文の頑
固な抵抗に出会って、あらゆる方面でさまざまな困難に巻きこまれます。詩(文学)は、どうでもよい偶発事に
固執する日常意識のものの見かたを否定するとともに、ものごとの分析的なつながりを観察する目を高めて、理
性の探究へとむかわせ、あるいはまた、哲学的思考に、いうならば精神的な肉体とでもいうべきものをあたえて
想像的なものへと転化させねばならない。のみならず、多くの点で、散文的意識の慣れしたしんだ表現法を詩的
表現法へと転化し、詩と散文の対立という状況のなかで避けがたく生じる意図的な姿勢をうち消して、芸術に必
要な柔軟性と根源的な自由を完全に保持しなければなりません。》
(長谷川訳ヘーゲル『美学講義』下196頁)
返信削除Politique de l’illisibilité : André Breton face à Aragon dans Misère de la Poésie (1932) (LhT Fabula)
https://www.fabula.org/lht/16/mahot-boudias.html#ftn13
En signant cette pétition, nous qui ne sommes pas de votre groupe, nous aurons l’air de dire : Aragon est un garçon bien gentil qui a écrit un inoffensif morceau de rhétorique (comme Richepin quand il parlait d’aller fesser le bon Dieu). Tous les surréalistes sont des garçons bien gentils. Et, plus généralement, il n’est pas question de prendre le contenu d’un poème au sérieux. Ce qui me paraît très grave pour la poésie, pour la conception que vous me paraissez en avoir, comme pour celle que j’en ai13.
13 Misère de la poésie, éditions surréalistes, mars 1932, brochure de 32 pages in-8°, 222 x 138mm, impression noire sur papier blanc, sous couverture jaune, in José Pierre (éd.), Tracts surréalistes et déclarations collectives, 1, op. cit., p. 211. Voir aussi A. Breton, Œuvres complètes, II, op. cit., p. 3-45.
この嘆願書に署名することで、あなたのグループではない私たちは、アラゴンはとてもいい子で、無害なレトリックを書いたのだと言っているように見えるでしょう(リシュパンが「良い主を叩きに行く」と話したように)。シュールレアリストはみんなナイスガイです。そして、もっと一般的に言えば、詩の内容を真面目に考えるということはありません。これは、あなたが考えているような詩の概念にとっても、私が考えているような詩の概念にとっても、非常に重大なことだと思います。
13 Misère de la poésie, éditions surréalistes, March 1932, 32-page in-8° pamphlet, 222 x 138mm, print in black on white paper, under yellow cover, in José Pierre (ed), Tracts surréalistes et déclarations collectives, 1, op. cit. p. 211. A. Breton, Œuvres complètes, II, op. cit. p. 3-45 も参照してください。
332 考える名無しさん[] 2022/08/31(水) 00:53:48.55 ID:0
返信削除>>327
インタヴューズ上巻の終盤の芸術についてのインタヴューで
ヘーゲルの「芸術が芸術であればよい時代は終わって、芸術についての知が必要になっている。しかし、それは芸術を取り戻すためではない」を引用して
「芸術」を「小説」に置き換えると自分の文芸批評になる、
と言ってたな。
そのようなヘーゲル芸術論に対抗するような芸術論をよろしく、柄谷翁
333 考える名無しさん[sage] 2022/08/31(水) 01:24:26.12 ID:0
>>332
一応その一部は”ネイションと美学”で書いてるけどね
ただヘーゲルの美学講義ほど体系になってないね
ヘーゲルの体系で宗教哲学講義が完了したら残りでが体系化してないのは美学講義だけだもんな
ネイションと美学があるとはいえそれの21世紀版を80代に書いて欲しいな
文芸批評にケリつける意味でも
<芸術>はもう用済みなのか? ─ ヘーゲル『美学講義』、理念の自己発展、「芸術終焉論」
返信削除http://salsa.sakura.ne.jp/data/html/bunko/bunkensyoukai/20040309212901.html
<芸術>はもう用済みなのか? ─ ヘーゲル『美学講義』、理念の自己発展、「芸術終焉論」
■ヘーゲル『美学講義』(岩波版全集18a-19c、竹内訳『美学』9分冊。作品社、長谷川訳『美学講義』上中下)
■フリードリヒ、ガダマー他『芸術の終焉・芸術の未来』(勁草書房、神林他訳)
ヘーゲルの哲学は「理念(Idee)の自己発展」という図式を根本に持つ。これこそが、初期ロマン主義思想のなかで彼の独自性を主張するものであり、またヘーゲルの「芸術形式の史的発展」という主張の基礎にもなっている。まず、当時の思想との違いを説明しよう。シェリングらの初期ロマン主義においては、理念(内容)とその現象(形式)は終始対立するものとして考えられている。芸術は、理念を現象のうちに啓示するものとして考えられるが、その断絶は根深い。美的直観のうちにその統一がはかられる(シェリング)としても、それは奇跡的な瞬間としてとらえられている。つまりここには、感覚的には決してアクセスできない超時間的・普遍的理念と、感覚に与えられながらも常に不十分な現象という、プラトン的な二元的な秩序が前提されていた。これに対して、ヘーゲルは次のように考えた。──理念は感覚的に現象されることを自らのうちに含んでいる。理念は、みずからの現象を否定していくことで、次なる段階へと発展していくのである。卑近な例で恐縮だが、たとえるなら、理念はわれわれの顔である。われわれは自分の顔を、鏡に映った現象としてしか見る。その中に否定的な契機を見出すや、われわれは眉を抜いたりして、新たな顔=理念の段階に到達するのである。しかし、理念の発展はとどまらない。やがて新しい理念の新しい現象=鏡像に否定の契機を見出し、レーザーを当てるなどして更に、われわれの顔=理念は弁証法的に発展を続けるのである。──このように、ヘーゲルの理念は、進んで感覚的に現象することを自らの規定のなかに含んでいるのである。
この理念の動的な発展は、『美学講義』が論じる芸術史展開の把握の基礎にもなっている。ヘーゲルは、内容(理念)と形式(現象)のバランスから次の三段階を芸術の発展にみている。まず、古代東方(インド、エジプトなど)の諸芸術が示す「象徴的芸術形式」である。そこでは内容(スローガン「ファラオは偉い」)は未だ抽象的なものにとどまり、素材に対して暴力的で臨むとどまる(切りだされた石組によるピラミッド)。形式と内容の統一は未だ達成されない。しかし、理念は発展していく。やがて内容は具体的に充実していき、素材の形式に直接に姿を現す。これを「古典的芸術形式」といい、古代ギリシア・ローマで頂点を迎えるという。ギリシアの神々はそれぞれ独自の内容を豊かに持つようになり、美なる形式のうちに理想的な統一を示すというわけである。だが、理念の発展は止まらない。キリスト教近代を迎えると理念は形式との統一に満足せず、精神としての内面の深化を目指すようになる。これを「ロマン的芸術形式」といい、形式をうち破って進む理念の発展のまえで、芸術は下降線を辿ることになる。こうして理念の受け皿としては、芸術は、すでに終焉したもの・過去のものとなる。理念の発展が芸術の成立を難しくしてしまったのである。こうして精神が理念を芸術において把握していた時代は終わり、宗教の時代、哲学の時代が到来することになる。ヘーゲルはこのように史的展開の三段階を語り、芸術の終焉・過去性を論じるのである。
もちろん、この区分には異論のある人も多いだろう。しかし、それはヘーゲルの体系のなかでの把握として受けとめるより他ないだろう。いや、むしろ親しくヘーゲルの『美学講義』に向かうならば、この図式から芸術史の様々なシーンが活写され、また建築・彫刻・絵画・音楽・詩が実証的に論じられる鮮やかさに目を奪われることだろう。むしろ問題は、「芸術の終焉」という判定をいかに受けとめるかである。たとえば、『芸術の終焉・芸術の未来』所収のガダマー論文「芸術の終焉? 芸術の過去的性格についてのヘーゲルの理論から今日の反芸術まで」は、芸術の過去性からの転換の契機、すなわち“芸術としての芸術”の現代性を認める契機がヘーゲルのなかに潜んでいると論じている。ガダマーによれば、芸術があてにできた自明性は既に失われたという。いまや芸術はその受容との対話的関係にあり、その関係を解釈学的に明らかにすることを、ガダマーはヘーゲルから引きうけたのである。
ヘーゲルの邦訳は、読みやすい文体の長谷川訳でも、注が充実している竹内訳でも、いずれでもお好みの方を。ただ芸術形式の史的展開のくだり(第二部)、ジャンル論(第三部)については、豊富な注の竹内訳が役に立つのではないだろうか。