2020年6月4日木曜日

東京駅にある原敬と濱口雄幸の襲撃現場

東京駅にある原敬と濱口雄幸の襲撃現場|HH News & Reports|ハミングヘッズ

https://www.hummingheads.co.jp/reports/tokyo_walk/140710.html

http://www.tokai-mg.co.jp/harakeitohamaguchiosachi.html

原敬と浜口雄幸 東京駅の暗殺現場
 

東京駅で暗殺された総理大臣2人
浜口雄幸、原敬暗殺現場
東京駅に行った際に一度は訪れてみたい

浜口雄幸の暗殺現場はインフォメーションセンター中央通路案内所のすぐ近く、8番乗り場のすぐ裏側にある。





原敬の暗殺現場は丸の内南改札口すぐ近くにある。



 東京駅。

 世界屈指の大都市・東京のコアターミナルのひとつとなる駅。皇居に向かう丸の内口、新規開発された八重洲口と東西に大きくわけて2つの出口を持ち、毎日20万人弱の乗降客がいる巨大駅。その駅の床にポツリとつけられたマークを知っている方はいるだろうか? これは戦前の東京駅で起きた事件の跡なのだ。



駅の床に記されたマーク

 1921年。立憲政友会所属の首相・原敬が、現在の丸の内南口の改札付近で、暗殺された。1930年には同じく東京駅の現在でいう中央通路付近で濱口雄幸首相が銃撃され、その翌年に怪我がもとで亡くなっている。人が無数に行きかう東京駅には、こうした戦前の激動もひっそりと刻まれている。


原敬首相。相当な政治的手腕を持ったやり手だったと伝えられる
原敬首相。相当な政治的手腕を持ったやり手だったと伝えられる

平民宰相・暗殺


 原敬は1856年盛岡藩で生まれた。首相になった際には「平民宰相」と呼ばれるが両親は武士の家柄。成人後に分家して平民籍になっている。新聞社や外務省への勤務を経て、1900年に立憲政友会に入党。1918年には、米騒動で辞任に追い込まれた寺内内閣が総辞職。立憲政友会の党首として首相に任命されるという、日本で初の本格的な政党内閣を組閣する。


 1921年11月4日。原敬は、立憲政友会の大会に向かうため、東京駅の改札口へと向かう途中、右翼の青年・中岡艮一(なかおかこんいち)に暗殺される。中岡は、原が首相になってから行った財閥などに利益を誘導するような政策、普通選挙法への反対、ロシアによる日本人約700人を含む住民虐殺事件「尼港(にこう)事件」への対応などに不満があったと伝えられる。


 中岡が暗殺に使った短刀は、原の胸部に深く突き刺さった。この一撃は致命傷となり、原はほぼ即死。中岡は、殺人罪で無期懲役の判決を受けるが恩赦により1934年には出獄している。


濱口首相。銃撃者は軍縮政策に不満を持っていた
濱口首相。銃撃者は軍縮政策に不満を持っていた

ライオン宰相・銃撃


 現在の高知市で1870年に生まれた濱口雄幸は、帝国大学(現・東京大学)の法学部を卒業したあと、大蔵省、大蔵次官を務め、1915年、衆議院議員選挙に当選。1929年に立憲民政党の総裁として首相に就任する。


 ひげを生やした容貌と、政治において根回しを使わずに正面突破をする豪胆な性格から「ライオン宰相」とあだ名されるようになる。国民からはどちらかというと慕われた首相だが、経済政策では失策が続き、また強く軍縮を押し進めたため、軍部からは評判がよくなかった。


 1930年11月14日。神戸で行われる陸軍演習の視察に行くため東京駅に向かった濱口は、ホームを移動中、右翼活動家の佐郷屋留雄に銃撃される。濱口は大手術を受け一命を取り留めるが、その後、鳩山一郎ら野党からの度重なる登壇要求に応えるうちに、再び体調を悪化。翌1931年4月に退陣し、8月には帰らぬ人となった。

原首相の暗殺現場 濱口首相が銃撃を受けた現場
原首相の暗殺現場 濱口首相が銃撃を受けた現場

事件の跡…


 原首相の暗殺現場は、丸の内南口の切符売り場付近。改札の外にあるため、簡単に立ち寄ることもできる。濱口首相の銃撃現場は、駅構内中央通りから新幹線への改札へ登る階段手前。どちらも近くに事件の経緯を説明するプレートが設置されている。現場に足を運んでみると、平和で雑多とした現代から、激動を生き政治に命を懸けた熱い男たちの生き様が見えてくる。

(井上宇紀)
原敬、浜口雄幸 遭難現場(クリックすると拡大します)

原敬の生涯に思う。 | 歴史秘話ヒストリア | 関西ブログ

https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/292349.html

原敬の生涯に思う。

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 私が来ているのは、国会議事堂。今回のヒストリアのテーマは “平民宰相”とよばれた 第19代内閣総理大臣 原敬(はら・たかし)です。今からちょうど100年前、原敬は、異称のとおり「平民」として初めて「総理大臣」に就任しました。原が実現させたのが、今ではあたりまえの“「政党」が政権をになう”政治です。ひとにぎりの人たちで動かされていた政治のしくみを変えて、国民の意志、つまり「民意」を政治に反映させようとした人なのです。

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 明治政府が始まってより日本の政治を実質的に決めていたのは「藩閥」という明治維新に功績のあった藩出身者で占められた派閥でした。原はその構造をあらため、民意にもとづく政党政治を目指します…が、その原が、当時の国民から広く求められていた「普通選挙」には断固反対。やがて、一人の「平民」青年によって東京駅構内で暗殺されてしまうのです。

 政治に民意を根づかせたいはずの原が、なぜ「普通選挙」には反対したのでしょうか。番組では、その疑問にも迫っていますが、このことで私は「原が生きた時代」と「現在」が地続きであるとあらためて感じました。

 今回のヒストリアは、波乱に満ちた原敬の生涯と暗殺にいたるまでの道筋、「日本の政党政治」の原点をドキュメンタリータッチで見つめていきます。ご期待ください。

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歴史秘話ヒストリア

http://www4.nhk.or.jp/historia/

 https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/336.html

平民宰相はなぜ殺されたのか 原敬の挑戦と挫折

    
●本放送平成30年 3月16日(金)20:00~20:43総合全国
●再放送平成30年 3月18日(日)
※土曜深夜 00:05~00:48
総合
全国
以下の地域は、上記の本放送はなし、再放送はあり。別途 下記日時で放送があります。
広島県・岡山県:平成30年3月21日(水)10:05~10:48 総合
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞・最寄りの放送局のHPなどでご確認下さい。

エピソード1 東北初の大臣!原敬 負け組からの逆転劇

原敬、逓信相に就任。東北初の大臣に
原敬は戊辰戦争で敗れた東北・南部藩(岩手県 盛岡)出身。明治では士族の身分を捨て「平民」となります。政府を牛耳る薩摩・長州藩出身者らの「藩閥」に対抗し「民意」の政治を実現するために原が選んだ道―それはなんと、藩閥有力者の懐に飛び込むことでした。
 

エピソード2 原総理誕生と「我田引鉄」大批判

1918(大正7)年、原内閣成立。初めての「平民」からの内閣総理大臣でした。組閣では藩閥勢力は除かれ、原が総裁の政党「立憲政友会」議員を閣僚の多くに据えました。原内閣の政策の柱は、地方への鉄道網の拡張。それは我田引水、ではなく「我田引鉄」という批判を巻き起こすことに!?
“我田引鉄”批判のやり玉に挙げられた岩手・大船渡線
 

エピソード3 平民宰相は なぜ平民に殺されたのか

原がたおれた東京駅丸の内南口
国民が望む「普通選挙」導入に応じなかったため、原への支持は急落します。さらに政友会関係者による汚職疑惑も噴出。一連の原総理をめぐる動きに、とある鉄道員の青年が怒りを燃やしていました。青年は原が東京駅に来ると知ると…現職の総理大臣暗殺という驚がくの事件と原の信念に迫ります。
 

参考文献

『原敬 日本政党政治の原点』(日本史リブレット094)(季武嘉也 山川出版社)
『原敬 外交と政治の理想』(上・下)(伊藤之雄 講談社) 
『原敬と山県有朋』(川田 稔 中公新書)
『さかのぼり日本史③ 挫折した政党政治』(御厨 貴 NHK出版)
『原首相暗殺』(長 文連 図書出版社)



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