2023年9月30日土曜日

客家【ハッカ】とアルケナージユダヤとはどっちが優秀(知能が高いか... - Yahoo!知恵袋

客家【ハッカ】とアルケナージユダヤとはどっちが優秀(知能が高いか... - Yahoo!知恵袋

客家は、本物のユダヤの末裔です。商売を得意とし、富を築き上げました。 客家の知恵に「18の金言」があり、それは現代でも生きる知恵でもあります。 「アルケナージ」ではなく「アシュケナージ」です。 アシュケナージユダヤ人は、カザール人であり、本物のユダヤではありせん。アシュケナージユダヤ人=カザール人ユダヤ教徒です。 アシュケナージユダヤ人の得意技は「破壊する」ことです。他の文化や政治のシステムをいかに破壊させ、弱体化させていくか、ということに関しては他の民族より優っています。アシュケナージユダヤ人といえばアメリカの政治の中枢にいますが、本物のユダヤの末裔が息づく日本人が焼け野原から立ち上がってどんどん成長し、日本の経済はアメリカの経済を抜いてしまいました。そこでアシュケナージユダヤ人は驚愕的な手法で日本の経済を失墜させました(1985年の御巣鷹山JAL撃墜事件)。 余談ですが、高杉晋作も破壊するのが得意ですね。 どっちが優秀かは一概に言えません。それぞれの得意分野が違うからです。問屋と解体屋はどっちの方が優れてるかと聞いてるようなものです。

千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社: 神になった老人、翁の謎。

千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社: 神になった老人、翁の謎。

神になった老人、翁の謎。

 新年に必ず、日本中の能舞台で演じられる能「翁」。能では、翁とはただの老人ではなく、霊的な力を授けられた"神の使い"である、と考えられている。そしてその舞は、国家安静、五穀豊穣を祝う寿ぎの神事とされています。なぜ、老人は翁となり、神となったのか。能の中でとりわけ神事として重んじられる「翁」の概要から見ながら、民俗学・人類学の視点から、老人→翁→神への変遷をたどっていきたいと思います。

■翁とは?
 「能にして、能にあらず」とされる、神能ジャンルの特殊な演目。別名、「式三番」と呼び、歌舞伎舞踊や日本舞踊にも取入れられているほか、各地の郷土芸能・神事としても保存されており、極めて大きな広がりを持つ神事・儀礼芸能である。現在、能では「翁」「神歌」(素謡の場合)と呼んでおり、式三番と呼ぶことはほとんどない。
 本来の「神能」とは「翁」一番をさし、他の「高砂」「養老」「難波」などの曲は、翁に付随して演じたので「脇能」ものと呼ばれる。五穀豊穣を祈る農村行事より発生し、翁は集落の長の象徴、千歳は若者の象徴、三番叟は農民の象徴とする説がある。

■翁の構成
 古来「翁」は、父尉(ちちのじょう)・翁(おきな)・三番叟(さんばそう)の各曲が連続して上演されたために式三番と呼ばれてきたが、現在父尉は省略し、翁を能楽師が、三番叟を狂言師が担当する。演劇的なストーリー展開はなく、老体の神があらわれて天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祝祷する神事的な内容である。五番立ての能では、脇能に先だって演ぜられ、全体の祝言として位置づけられている。

参照:式三番構成の時代変遷
 鎌倉初期 冠者・父尉→翁→三番叟
 同 中期 稚児→翁→三番叟→冠者・父尉
 南北朝  露払→翁→三番叟→冠者・父尉
 現代   露払(千歳)→翁→三番叟

■翁の配役
 翁に登場する役者・囃子方は、翁役の大夫(シテ方)、千歳役(上掛りではシテ方、下掛りでは狂言方)、三番叟役(狂言方)、面箱持役、笛方、小鼓方3名、大鼓方の計8ないし9名のほかに、地謡、後見などである。
小鼓は三丁で連調し(シテになる小鼓方を頭取、残りの2名を脇鼓という)、大鼓は三番叟にのみ加わる。太鼓方も舞台には出るが、翁に続いて上演される。脇能から参加し、翁そのものには加わらず、端座して控える。

■翁は最も神聖な曲
 能楽において翁は極めて神聖かつ重い曲として扱われており、翁、千歳、三番叟、囃子はそれぞれ習いとされている。流儀によってそれぞれに異なるが、素人・玄人ともに、女性による上演には一定の制限が加えられている(女性には許しを出さない、年齢制限を設ける等)。

■別火
 翁は神事。ゆえに現代でも上演に際しては厳重な決まりごとがある。シテは翁興行前の一定期間(1-3週間) 厳しい精進潔斎をしなければならない。獣肉を断つ、女人を遠ざける、冷水を浴び身を清める(水垢離)…。中でも最も特徴的なのが「別火(べっか)」という禁忌の習慣。神事に際し、火は最も神聖で、穢されてはならないもの。シテ役者が用いる火は、世俗の者の用いる火と厳しく隔てられる。楽屋でもシテが当日用いる火を隔離して、その部屋や火鉢などに「別火」と墨書した紙を貼っておく。他の者はその火に近づいてはならないし、楽屋に女性が出入りすることも禁じられる。

■翁飾り
 翁演能にあたって最も重要な祭式は、「翁飾り」である。 当日、鏡の間に粗薦を敷いた祭壇が設けられる。白式尉・黒式尉の二面と鈴ノ段で用いる鈴が入った面箱が中央に祀られ、灯明・神酒・洗米・塩が供えられる。翁面は御神体として祭壇に祀られるのだ。出演前、シテを筆頭に出演者一同、鏡の間から楽屋に居流れる。お調べの前後に、シテが祭壇を礼拝。後見が火打石を打つ。シテから順に役者は、祭壇の神酒をいただき、洗米を含み、塩で身を清める。
この儀式が済むと一同おもむろに整列し、露払いを先導に威儀を正して粛々と舞台に入るのだ。

■舞台次第
 現行の能約200番の中で、翁の一番のみ、シテが素顔のまま舞台に入り、観客が見ている舞台の上で、面を押し頂いてかける。舞台までは面箱持という役が、面箱に入った御神体(翁の面)を恭しく戴いて運ぶこととなっている。

■上演の次第
 現在、もっとも一般的な上演の形式・順は以下のとおり。

・序段
座着き:笛の前奏によって役者が舞台に登場する。
総序の呪歌:一座の大夫が、式三番全体に対する祝言の呪歌を謡う。
・翁の段
千歳之舞:翁の露払役として若者が舞う。
翁の呪歌:翁が祝言の呪歌を謡う。
翁之舞:翁が祝言の舞を舞う。
・三番叟の段
揉之段:露払役の舞を三番叟自身が舞う。
三番叟の呪歌:三番叟が千歳との問答形式で祝言の呪歌を謡う。
鈴之舞:三番叟が祝言の舞を舞う。

■小書(特殊演出)
1.式能 ―五番立
(初日之式、二日之式、三日之式、(四日之式)、法会之式)
江戸時代の式能において、数日間にわたって五番立の演能が行われる場合、初番の翁は毎日同じもので飽きがくるために、各種の小書がつくられた。各々その小書名にある日の演能に用いる(法会之式は法会用)。いずれも詞章に多少の違いがあるだけで、内容が大きく異るわけではない。現在、小書のつかない常の型は四日目の式を演じる。江戸時代、勧進能や将軍宣下能などの大規模な番組では、演能が十数日間続くことがあった。この場合、四日目以降は四日の式を繰り返し演ずることとなっている。すなわち、演者にとって、もっとも演じる機会の多い「四日の式」が、やがて標準となっていった、とする説がある。

2.立合もの
(弓矢立合、船立合、十二月往来)
翁の数が三人(弓矢立合・船立合)に増え、祝言の謡を謡いながら相舞(翔)をする。この小書にかぎって異流の太夫どうしで演じる特殊な演目である(地謡は混成)。すでに室町時代の多武峰猿楽に四座立合の翁が奉納され、その由緒は古い。なお、弓矢立合は江戸時代に幕府の謡初式でかならず演じられた由緒ある曲である。

3.翁付き
翁上演後、連続して「高砂」や「養老」「鶴亀」「老松」などの神能が同じ演者によって演じられることがある。これを「翁付き」と呼ぶ。「翁付き」となるのは目出度い内容の演目であり、またこの形式を採る演能は最も高い格式を持つ。各流儀の年初の舞台拓きや、寺社での奉納能などで見られる。翁開演後は、見所への入場扉に紙の封がかけられ、観客は途中入退場ができなくなる。また、囃子方は脇能が終わるまで、3時間前後、舞台に上がり続けとなる為、体力的には相当過酷な演目といえよう。

■翁は、なぜめでたいのか
 なぜ、翁すなわち老人が舞う能が、祝福芸となるのであろうか? 現在「老い」はマイナス要素で考えられることが多いが、古来伝統的には、「年老いる」ことはプラス評価でもあった。ちなみに今の中国語で「老」とは良い評価に用いる文字でもある。平均寿命が短かった昔は、長生きすることはそれだけで驚くべきこと、賞賛に値することで、長寿を保った老人には不思議な霊力が籠もっている、と考えられたのだ。
 たとえば、『続日本後紀』仁明天皇承和12年(845)には、当時百三十歳の舞の名人・尾張浜主が帝の御前で舞楽〈和風長寿楽〉を舞い、賞賛を集めたという記録がある。その時、浜主は「翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる御代に出でて舞ひてむ」と詠ったという。「老人の歌舞が天下を祝福する」という古来の文化意識が垣間見えるエピソードといえよう。伝統芸の中で、翁はこのように、祝祷の担い手、ひいてはシンボルとなっていったのである。

■折口信夫の『翁の発生』
 田楽や猿楽について、折口信夫(1887〜1953)は『翁の発生』で次のように書いている。
 まず「日本人の国家以前から常世神(トコヨガミ)といふ神の信仰は、常世人として海の彼方の他界から来る」とある。これが折口信夫の「マレビト」であろう。このマレビトは「初めは、初春に来るものと信じられてゐた」が、四季折々の節目に訪れるようになり、やがて山中にすみつき山人となり、山人から山の神となる。

「常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したから」ということだが、この山の神が里に下りてくるのが、翁の原型である、と『翁の発生』ではいう。山から現れ、通っていたこの山の神は、やがて里の神社にすみつき神となった。  
 ここには日本人の狩猟時代から農耕時代へと移った時間の幅があるのだろう。こうして神事は「翁舞」となる。「翁面」は御神体として扱われ、「翁舞」は鎮魂や五穀豊穣の祭りの儀式として行われた。この神事芸能が呪師猿楽の呪術性を得て、翁猿楽となっていく。

■能『翁』の詞章
翁  とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。
地  ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
翁  所千代までおハしませ
地  我等も千秋さむらハふ
翁  鶴と亀との齢(よわい)にて
地  幸(さいわい)心に任(まか)せたり
翁  とうどうたらりたらりら
地  ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
千歳 鳴るハ瀧の水。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地  絶えずとうたり。ありうどうどうどう
千歳 絶えずとうたり。常にたうたり(千歳の舞)
千歳 君の千年を經ん事も。
   天津をとめの羽衣よ。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地  絶えずとうたり。ありうどうどうどう
翁  総角(あげまき)やとんどや
地  ひろばかりやとんどや
翁  座して居たれども
地  まゐらふれんげりやとんどや
翁  千早振(ちはやふる)。神のひこさの昔より。久しかれとぞ祝ひ

■とうとうたらり…は何語か?
 能でもっとも神聖な曲とされる翁。特にその詞章は難解で、今日にいたるも完全に読解されておらず、学者により様々な暗号解析が試みられている"謎の言語"である。
「申楽の舞とは、いづれと取立てて申すべきならば、この道の根本なるが故に、翁の舞と申すべきか。又謡の根本を申さば、翁の神楽歌と申すべきか」(申楽談儀)。
翁が世阿弥の時代、すでに申楽の神聖曲として扱われていたことがわかる。
また、同書には、
「都良香(とろうきょう)の立合い、昔よりの立合い也。翁の言葉の様にて伝わり来たるものなれば、たやすく書き改むるべきにあらず」
と、翁の詞章の難解を示唆する指摘があり、当時すでにその意味が解読できなかったのではないか。
 「とうとうたらり」の語解については、昔からさまざまな説が唱えられてきた。古くは僧宣竹が翰林胡蘆集で、陀羅尼から取られた歌詞ではないかと推測し、さまざまな神聖説が出た。江戸期になると荻生徂徠や賀茂真淵等がそれらを排斥し、笛や鼓の擬声であるとする説を唱え、一般化。後に謡の合いの手であるとする説も出た。以下に、いくつかの説の主張を拾う。

・笛の譜説
 高野辰之博士が日本歌謡史に挙げた、舞楽の最初に演じられる「振舞」の笛の譜であるとする説。
「ト(引)ト(引)、タアハアラロ、トヲリイラア。トラアリイラリ、チイラリイリイラ、タアリアリヤリ(引)。トラアロリチラアハ、チイヤリイヤラタアハハハルラルラアルラ、トヲヒタロヒ、トヲヒ(引)」

・サンスクリット語説
 昭和初期に河口慧海師が唱えた、サンスクリット語(梵語)による祝言の陀羅尼歌「サンバ・ソウ」(瑞祥、あるいは作成の意)の歌詞であるとする説。宣竹説の直訳版。

「トプトウ(収穫は)タラリ(輝き)タラリ・ラ(輝いて)、タラリ(輝きは)ア(ああ)ガララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)、ツエ・リン・ヤッ(寿命は長く健やかに)タラリ(輝き)タラリラ(輝いて)、タラリ(輝きは)ア(ああ)ガレララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)」

・縄文語(原ポリネシア語)説
 翁の解読不能の詞章が縄文語、すなわちその起源となったと推定される原ポリネシア語から変化したマオリ語(すでに失われた語彙でハワイ語に残るものについてはハワイ語とし、その旨を注記)であるとする説。

「オキ・ナ」、OKI-NA((Hawaii)oki=to stop,finish,to cut,separate;na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「(人生の)終わりに・近い(者。翁 )」(なお、「翁」に対する「媼(おうな)」は、「オウ・ナ」
OU-NA((Hawaii)ou=hump up:na=satisfied,indicate position near,belonging
to)、「(老いて)背が曲がっ・た(者。媼)」と解する) 。
「トウトウ・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TOUTOU-TA-RARI-TA-RARI-RA(toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「(清めるために)水を撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」
「タウ・コロ」、TAU-KORO(tau=come to rest,settle down,be suitable;koro=old man)、「着座の・ご老人(主君)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)。 「テネ・チウ・タプラ(ン)ギ・ホウ」、TENE-TIU-TAPURANGI-HOU(tene=be importunate;tiu=soar,wander,swing,swift;tapurangi=a raised platform in the front of a house or courtyard or village common used as a reclining place for a chief;hou=bind,enter,
persist)、「いつまでも・侍(はべ)っておりましょう・主君の御座・のそばに」(「テネ」が「テン」から「セン」と、「チウ」が「シュウ」と、「タプラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「タプラ」から「サブラ」となった)。

本稿は、東急セミナーBE2009年4月期講座「能の神男女狂鬼」第二回をもとに再構成しました。以下、2010年新春に予定されている、各流・各能楽堂の「翁」公演情報をお知らせしましょう。

■2009年1月~ 能「翁」全国公演情報

【観世能楽堂】東京渋谷

・観世会定期能
平成22年1月3日(日曜日)
開場:10時 開演:11時 終演:17時20分頃

能「翁」
   翁:観世清和 三番叟:石田 幸雄 千歳:武田文志
能「高砂」
   シテ:関根知孝 ツレ:清水 義也 ワキ:宝生欣哉
狂言「昆布柿」 野村万作
仕舞 「経 正」観世三郎太 「草子洗小町」観世喜之 
「網之段」片山幽雪(片山九郎右衛門改め) 「鞍馬天狗」梅若吉之丞
独吟「弓之段」 藤波重和
能「東 北」
   シテ:角 寛次朗 ワキ:森常好
仕舞 「難 波」梅若万三郎 「田 村」観世銕之丞 「西行桜」関根祥六 「国 栖」 山階 彌右衛門
能「岩 船」
       シテ:坂井音雅 ワキ:則久英志
入場料 正面区画自由席:13,650円 一般自由席:9,450円
入場券お取り扱い 観世能楽堂  03-3469-5241

【宝生能楽堂】東京水道橋

・宝生会月並能
1月10 日 13:00 開演
能 翁 シテ 高橋亘 千歳 佐野弘宜
能 胡蝶 シテ 三川泉
能 鞍馬天狗 シテ 當山孝道
料金:
A席(正面) \8,000
B席(脇正面) \6,000
C席(中正面) \5,000
学生(脇正後方)席 \3,000
問い合わせ 宝生会 Tel.03-3811-4843

・銕仙会定期公演
1月11日(祝)1時30分
能 翁  翁 観世銕之丞  千歳  安藤貴康  三番三  山本則重
能 淡路 シテ 長山桂三
狂言 宝の槌 太郎冠者  山本 則俊
能 猩々乱 シテ 鵜澤光
定期公演入場料:
正面   6000円
脇正面  4000円
中正面  3500円
問い合わせ:銕仙会 03-3401-2285 

【矢来能楽堂】東京神楽坂

・観世九皐会百周年記念特別公演

平成22年2月28日(日)午後1時開演

 S席(正面の一部) ¥9,000
 A席(正面の一部・座敷正面)¥8,000
 B席(脇・中正面) ¥6,000
 学生席(B席) ¥3,000
正面S席、脇正面B席のお取扱はございません。

能 翁 長沼範夫
狂言 鍋八撥 野村万作
能 玄象 鈴木啓吾

問い合わせ:観世九皐会事務局 TEL 03-3268-7311 FAX 03-5261-2980

【十四世喜多六平太記念能楽堂】東京目黒

・喜多流職分会 1月自主公演能
平成22年1月10日(日)正午始
整理券配布10時30分 見所入場11時

能 翁
翁 高林呻二
三番叟 野村萬斎
千歳 高野和憲
狂言 筑紫奥 シテ/奏者 野村万作
能 羽衣霞留 シテ/天女 内田安信
能 シテ 塩津哲生
一般席/6,000円、学生席/2,500円   
指定席料2,500円(上に別途)

【名古屋能楽堂】

・名古屋能楽堂定例公演 ~能・狂言でたどる天下統一の道(前編)~
日時:平成22年1月3日(日)14:00開演

演目:能「翁」(おきな)シテ 梅田邦久(観世流)
「三番叟」(さんばそう)野村小三郎(和泉流)
能「養老」(ようろう)水波之伝 シテ 清沢一政(観世流)
狂言「筒竹筒」(つつささえ) シテ 松田髙義(和泉流)

料金: 指定席5,000円
     自由席 一般 4,000円  学生 3,000円
     ※自由席のみ当日500円増
     ※友の会会員は前売のみ1割引
問合せ:名古屋能楽堂 ℡052-231-0088

【京都観世会館】

・京都観世会一月例会
1月10日(日) 10:30開演

(能) 翁  大江又三郎
(能) 絵馬  井上  裕久
(狂言) 昆布売  茂山七五三
(能) 鉢木  観世  清和
(能) 岩船  武田  大志
前売 6,000円
当日 6,500円
学生 3,000円

問い合わせ 京都観世会館 TEL.075-771-6114

2009年12月15日 18:57

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日々お世話様です。いつもHP拝見しております。昨年、念願叶って自費出版の運びとなりました。10月中旬より各書店にて販売してます。若き日の神楽師の物語でタイトルは「お神楽初恋巡演記」です。いち早く岩手県立美術館&図書館&博物館のライブラリー・書庫で配架になりました。また情報誌悠悠そしてFM岩手「岩手の本棚」でも紹介されました。昨年は新聞掲載はデーリー東北&盛岡タイムス&毎日新聞が取り上げくれました。今年は岩手日報&日本農業新聞&朝日新聞&観光経済新聞で掲載されました。詳しくはブログ神楽童子「お神楽初恋巡演記」(http://blog.goo.ne.jp/juriyo_1955)参照願います。神楽を愛する多くの皆様に読んで欲しいと思ってます。

投稿者 神楽童子 : 2010年03月17日 21:33

神楽童子さま
コメントありがとうございます。
なかなか興味深い作品ですね。
言の葉庵読者のみなさまにもオススメします。

投稿者 庵主 : 2010年03月18日 12:08

国語篇(その十三) この篇は、謡曲の曲名および詞章、用語等の中に残る意味不詳の縄文語の意味を解明しようとするものです。

国語篇(その十三)

 この「とうどうたらりたらりら」以下のの語句は、笛や鼓の拍子の擬声から出たとする説、舞楽「振舞」の笛譜の訛ったものとする説、チベットの祝言の陀羅尼歌とする説など諸説がありますが、未詳です。

 この「おきな(翁)」、「とうどうたらりたらりら」、「たらりあがりららりどう」、「ちりやたらりたらりら」、「ところ(所)」、「せんしう(千秋)さぶらはう」は、

  「オキ・ナ」、OKI-NA((Hawaii)oki=to stop,finish,to cut,separate;na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「(人生の)終わりに・近い(者。翁 )」(なお、「翁」に対する「媼(おうな)」は、「オウ・ナ」、OU-NA((Hawaii)ou=hump up:na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「(老いて)背が曲がっ・た(者。媼)」と解します。)

  「トウトウ・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TOUTOU-TA-RARI-TA-RARI-RA(toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「(清めるために)水を撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」

  「タ・ラリ・ア(ン)ガ・リラ・ラリ・トウ」、TA-RARI-ANGA-RIRA-RARI-TOU(ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;anga=driving force,face or move in a certain direction,doing anything;rira=strong;tou=dip into a liquid,wet)、「(清めるために水を)打つて・濡らせ・力をいれて・強く・濡らせ・湿らせよ」(「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」となった)

  「チリ・イア・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TIRI-IA-TA-RARI-TA-RARI-RA(tiri=throw or place one by one,scatter,stack;ia=indeed;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「実に・(清めるために水を)撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」


http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/kokugo13.htm

国語篇(その十三)

 


国語篇(その十三)

<謡曲>

(平成20-8-1書込み)(テキスト約25頁)



[おことわり]

 この篇は、謡曲の曲名および詞章、用語等の中に残る意味不詳の縄文語の意味を解明しようとするものです。

 (1)最初に意味不詳で有名な「翁」の詞章を取り上げましたが、この詞章のテキストおよび参照した文献は、次の通りです。
 (a) 小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『謡曲集①』新編日本古典文学全集、小学館、1997年
 (b) 佐成謙太郎著『謡曲大観第一巻』明治書院、1982年(影印版)

 (2)現存する謡曲は二百数十番に上りますが、そのうち通常演じられるものは約百番といわれます。上記の「翁」以外の曲の曲名および詞章、用語等については、次の文献によりました。
 (a)伊藤正義校注『謡曲集上中下』新潮日本古典集成、新潮社、1983~88年(全100番収録)
 (b)岩波講座『能・狂言』全7巻、岩波書店、1989~1990年

 縄文語のポリネシア語による解釈は、他の諸篇と同様、原則として、その起源となったと推定される原ポリネシア語から変化したマオリ語(すでに失われた語彙でハワイ語に残るものについてはハワイ語とし、その旨を注記しました)とその意味を英語および日本語によって表記しました。主として使用したマオリ語・ハワイ語の辞典は次の通りです。
 (1)H.W.Williams M.A,Dictionary of the Maori Language,seventh edition,1997,GP Publications.
 (2)P.M.Ryan,The Reed Dictionary of Modern Maori,1995,TVNZ.
 (3)Mary Kawena Pukui and Samuel H.Elbert,Hawaiian Dictionary, revised and enlarged edition,1986,University of Hawaii Press.  

目 次

第一 謡曲

001翁(おきな)・とうどうたらりたらりら・たらりあがりららりどう・ちりやたらりたらりら・ところ(所)・せんしう(千秋)さぶらはう/せんざい(千歳)・(絶えず。常に)とうたり・ありうどうどうどう/あげまき(総角)や・どんどうや・ひろばかりや・れんげりや・ひこさ・そよやりちやどんどや・ありはらや・なじょ・そや・とうとう・そよや/さんばそう(三番三)・おさへおさへおう・もみ(揉)・あど・じょう(尉)・あらようがましや

002葵上(あおいのうえ)・てるひ(照日)・あずさ(梓)・あずさゆみ(梓弓)・うわなり(後妻)・いらたか(刺高)

003朝顔(あさがほ)・かごと(託言)

004安宅(あたか)・とうたり

005海士(あま)・にわたづみ(庭潦)・かうはくにょ(紅白女)

006井筒(ゐづつ)・うなゐこ(放髪子)・まめおとこ(まめ男)・つつゐづつ(筒井筒)

007鵜飼(うかい)・ふしづけ(柴漬)

008右近(うこん)・ひをり(引折。騎射)

009善知鳥(うとう)・やすかた

010鵜羽(うのは)・げんだ(けんた)

011江口(えぐち)・しゆんせうひめ

012鸚鵡小町(おうむこまち)・ももか(百家)・せんとう(仙洞)・よでう・ししゅん(紫箏)

013杜若(かきつばた)・かほよはな(貌吉花)

014景清(かげきよ)・かんたん・げうこつ

015葛城(かづらき)・しもと・うたてやな

016清経(きよつね)・ただ・はたて

017自然居士(じねんこじ)・ささら(簓)・とどろとどろ・はらはらはら・とうとう・ていとう

018殺生石(せっしょうせき)・いしほの宮・きさらきの宮・大やまき(祭)・まくつつ・さくりに

019東岸居士(とうがんこじ)・ささら・やっばち

020道成寺(どうじょうじ)・すはすは・ただ・かっぱ

021道明寺(どうみょうじ)・ほどぎ(缶)・とうとう・さうじやう

022檜垣(ひがき)・みつはぐむ

023百万(ひゃくまん)・えいさらえいさ・とことは

024放生川(ほうじょうがわ)・やうこく

025松虫(まつむし)・けいせき

026三輪(みわ)・そほづ(僧都。案山子)・ちわや(?(衣偏に畢))・ほおりこ(祝子)

027矢卓鴨(やたてかも)・とぼそ・ほろほろ・とどろとどろ

028楊貴妃(ようきひ)・ささめごと(私言)・そよや・しゆしやう・ささのひとよ(笹の一夜)

第二 用語

101シテ・ワキ・ツレ・アイ・ヲカシ・アド

102イロエ・カケリ・ロンギ

103めん(面)・ひためん(直面)・おもて(面)・じょう(尉)・さんこう(三光尉)・あさくら(朝倉尉)・わらひ(笑尉)・あこぶ(阿瘤)・こおもて(小面)・ぞう(増)・なきぞう(泣増)・ふかゐ(深井)・しゃくみ(曲見)・ひがき(檜垣)・へいだ(平太)・あやかし(怪士)・かわず(蛙)・よろぼし(弱法師)・べしみ(?(ヤマイダレに悪)見)・しかみ(顰)・はんにゃ(般若)

<修正経緯>

<謡 曲>

第一 謡曲

001翁(おきな)・とうどうたらりたらりら・たらりあがりららりどう・ちりやたらりたらりら・ところ(所)・せんしう(千秋)さぶらはう/せんざい(千歳)・(絶えず。常に)とうたり・ありうどうどうどう/あげまき(総角)や・どんどうや・ひろばかりや・れんげりや・ひこさ・そよやりちやどんどや・ありはらや・なじょ・そや・とうとう・そよや/さんばそう(三番三)・おさへおさへおう・もみ(揉)・あど・じょう(尉)・あらようがましや

 「翁(おきな)」は、神事で、能役者によって神聖視され、現在正月の初会や舞台開きなどで上演される特別な能とされています。

 その成立は一般の能・狂言よりも古く、猿楽の本芸であった翁猿楽を現在に伝えるもので、一般の能以前の古態をとどめるとされ、その詞章には一般の能に見られない意味不詳の語句(縄文語)をふんだんに含みます。

 その内容は、千歳(せんざい)、翁、三番三(さんばそう)の三役が順次祝言を述べて、祝いの舞いを舞う、儀式です。

 第一段の詞章には、
 翁 ♪とうどうたらりたらりら、たらりあがりららりどう。
 地謡♪ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう。
 翁 ♪所(ところ)千代までおはしませ。
 地謡♪われらも千秋(せんしう)さぶらはう。
 翁 ♪鶴と亀との齢にて、
 地謡♪幸ひ心に任せたり。
 翁 ♪とうどうたらりたらりら。
 地謡♪ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう。
とあります。

 この「とうどうたらりたらりら」以下のの語句は、笛や鼓の拍子の擬声から出たとする説、舞楽「振舞」の笛譜の訛ったものとする説、チベットの祝言の陀羅尼歌とする説など諸説がありますが、未詳です。

 この「おきな(翁)」、「とうどうたらりたらりら」、「たらりあがりららりどう」、「ちりやたらりたらりら」、「ところ(所)」、「せんしう(千秋)さぶらはう」は、

  「オキ・ナ」、OKI-NA((Hawaii)oki=to stop,finish,to cut,separate;na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「(人生の)終わりに・近い(者。翁 )」(なお、「翁」に対する「媼(おうな)」は、「オウ・ナ」、OU-NA((Hawaii)ou=hump up:na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「(老いて)背が曲がっ・た(者。媼)」と解します。)

  「トウトウ・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TOUTOU-TA-RARI-TA-RARI-RA(toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「(清めるために)水を撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」

  「タ・ラリ・ア(ン)ガ・リラ・ラリ・トウ」、TA-RARI-ANGA-RIRA-RARI-TOU(ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;anga=driving force,face or move in a certain direction,doing anything;rira=strong;tou=dip into a liquid,wet)、「(清めるために水を)打つて・濡らせ・力をいれて・強く・濡らせ・湿らせよ」(「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」となった)

  「チリ・イア・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TIRI-IA-TA-RARI-TA-RARI-RA(tiri=throw or place one by one,scatter,stack;ia=indeed;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「実に・(清めるために水を)撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」

  「タウ・コロ」、TAU-KORO(tau=come to rest,settle down,be suitable;koro=old man)、「着座の・ご老人(主君)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「テネ・チウ・タプラ(ン)ギ・ホウ」、TENE-TIU-TAPURANGI-HOU(tene=be importunate;tiu=soar,wander,swing,swift;tapurangi=a raised platform in the front of a house or courtyard or village common used as a reclining place for a chief;hou=bind,enter,persist)、「いつまでも・侍(はべ)っておりましょう・主君の御座・のそばに」(「テネ」が「テン」から「セン」と、「チウ」が「シュウ」と、「タプラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「タプラ」から「サブラ」となった)

の転訛と解します。

 第二段の詞章には、
 千歳♪鳴るは滝の水。鳴るは滝の水、日は照るとも、
 地謡♪絶えずとうたり、ありうどうどうどう。
 千歳♪絶えずとうたり、常にとうたり。
 千歳♪君の千歳を経んことは、天つ乙女の羽衣よ。鳴るは滝の水、日は照るとも、
 地謡♪絶えずとうたり、ありうどうどうどう。
とあります。

 この「千歳(せんざい)」は、本来翁の長寿をいう言葉(『梁塵秘抄』)であったのが、神楽歌や『新猿楽記』を経て祝言を芸とする万歳や千歳となったとする説(『謡曲集①』新編日本古典文学全集。以下「小学館全集本」と略称します。)があります。また、「鳴るは滝の水、日は照るとも、(絶えず。常に)とうたり」の出典は、『梁塵秘抄』とされます。
 「ありうどうどうどう」は、未詳です。

 この「せんざい(千歳)」、「(絶えず。常に)とうたり」、「ありうどうどうどう」は、

  「テナ・タイ」、TENA-TAI(tena=encourage,urge forward;tai=tide,anger,violence,a term of address to males or females)、「(人を)激励する(祝言を述べる)・人間」(「テナ」が「テン」から「セン」となつた)

  「トウ・タリ」、TOU-TARI(tou=dip into a liquid,wet;tari=carry,bring,urge,incite)、「湿ら・されている(清められている)」

  「ア・リウ・トウトウ・トウ」、A-RIU-TOUTOU-TOU(a=the...of,drive,urge,collect,and,then,well;riu=pass by,disappear;toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprin kle with water;tou=dip into a liquid,wet)、「滝の水は・流れて(落ちて)・しぶきとなつて・(あたりを)濡らす(清めている)」)

の転訛と解します。

 第三段の詞章には、
 翁 ♪総角(あげまき)やどんどうや。
 地謡♪尋(ひろ)ばかりやどんどうや。
 翁 ♪坐して居たれども、
 地謡♪参らうれんげりや、どんどうや。
 翁 ♪ちはやふる、神のひこさの昔より、久しかれとぞ祝ひ、
 地謡♪そよやりちやどんどや。
 翁 ♪およそ千年の鶴は、万歳楽と謡うたり。‥‥。天下国土安穏の、今日の、御祈祷なり。
 翁 ♪在原(ありはら)や、なじょの翁ども。
 地謡♪あれはなじょの翁ども、そやいづくの翁とうとう。
 翁 ♪そよや。
 翁 ♪千秋万歳、喜びの舞なれば、一舞舞はう万歳楽。
 地謡♪万歳楽。
 翁 ♪万歳楽。
 地謡♪万歳楽。
とあります。

 この総角は、通常古代の子供の髪の結い方である髪を左右に分けて角状に巻き上げる髪形またはその髪形をした子供をいい、ここでは「総角姿の若者」と解されています(小学館全集本)。しかし、この語が指すものは謡曲の流れからみて明らかに三番三であり、三番三はのちに黒色尉面を付けて老翁を指す「尉」と呼ばれることから、この解釈は不審です。なお、この「総角やどんどうや‥‥」の出典は「催馬楽」とされます。
 「ちはやふる」は、神の枕詞です(国語篇(その四)の083ちはやぶる(千早振)の項を参照してください)。「ひこさ」は、「彦さ」で男性の美称かとする説(小学館全集本)があります。
 「在原や」は、未詳です。「あれはそや」が「ありはそや」「ありはらや」と訛ったものかとする説(謡曲大観)があります。「なじょ」は、「なんでふ」「なでふ」の転とされます(小学館全集本)。
 「そや」は、「それや」「それはまあ」の意とする説(謡曲大観)があります。
 「そよや」は、「まあそれはそれとして、そうだ」の意とする説(謡曲大観)があります。

 この「あげまき(総角)や」、「どんどうや」、「ひろばかりや」、「れんげりや」、「ひこさ」、「そよやりちやどんどや」、「ありはらや」、「なじょ」、「そや」、「とうとう」、「そよや」は、

  「ア・(ン)ガエ・マキハ」、A-NGAE-MAKIHA(a=drive,urge,compel;ngae=wheeze(whakangae=make to call out);makiha=insipid)、「退屈している者(三番三)を・呼び・出そうぞ」(「(ン)ガエ」のAE音がE音に変化して「ゲ」と、「マキハ」のH音が脱落して「マキア」から「マキヤ」となった)

  「ト(ン)ガ・トフ・イア」、TONGA-TOHU-IA(tonga=restrained,suppressed;tohu=mark,show,preserve,lay by;ia=indeed)、「実に・脇に・控えていた者(三番三)を」(「ト(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「トナ」から「ドン」と、「トフ」のH音が脱落して「トウ」から「ドウ」となった)

  「ヒラウ・パカリ・イア」、HIRAU-PAKARI-IA(hirau=entangle,place the hand upon,be caught;pakari=matured,strong;ia=indeed)、「(何もすることが無くて)実に・大層・困り果てていた者(三番三)」(「ヒラウ」のAU音がO音に変化して「ヒロ」となった)

  「レナ・(ン)ゲリ・イア」、RENA-NGERI-IA(rena=stretch out;ngeri=rhythmic chant with actions;ia=indeed)、「実に・伸び伸びと・舞おうぞ」(「レナ」が「レン」と、「(ン)ゲリのNG音がG音に変化して「ゲリ」となった)

  「ヒコ・タ」、HIKO-TA(hiko=move at random or irregularly,flash,shine;ta=dash,beat,lay)、「(神がこの世に)輝き出でて・鎮座まします」

  「トイ・オイア・レイ・チア・ト(ン)ガ・トフ・イア」、TOI-OIA-REI-TIA-TONGA-TOHU-IA(toi=move quickly,encourage;(Hawaii)oia=truth,true,this,that's right,go ahead,begin;ia=indeed;rei=leap,rush,run;tia=stick in,adorn by sticking in feathers;tonga=restrained,suppressed;tohu=mark,show,preserve,lay by)、「すぐに・(動け)舞え・(走れ)俊敏に舞え・(頭を羽毛で飾った)烏帽子を付けた者よ・実に・脇に・控えていた者よ」(「ト(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「トナ」から「ドン」と、「トフ」のH音が脱落して「トウ」から「ド」となった)(注:小学館全集本の底本となつた観世流『寛永卯月本』は「そよやりちや」ですが、この発音では詞章の流れに沿った筋の通った解釈ができませんので、喜多流の「そよやれいちや」が原典に近いものと判断して修正しました。なお、三番三は、翁が万歳楽を舞う間に、後見座で侍烏帽子(折烏帽子)を剣先烏帽子(三番叟烏帽子)に替えます。)

  「アリ・パラ・イア」、ARI-PARA-IA(ari=clear,white,appearance,fence;para,paraparta=filth,a place where certain rites were performed;ia=indeed)、「実に・祝儀の祈祷を行う(神事の)・清浄な(場所)」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

  「ナ・チオフ」、NA-TIOHU(na=by,belonging to,by reason of;tiohu=stoop)、「うずくまっている・(部類に属する)ような(翁ども)」(「チオフ」のH音が脱落して「チオウ」から「ジョ」となった)

  「トイ・ア」、TOI-A(toi=move quickly,encourage;a=drive,urge,comprl)、「すぐに・追い出そう」

  「トウトウ」、TOUTOU(put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water)、「(何処のうずくまる翁どもには)言って退場させよう」

  「トイ・オイア」、TOI-OIA(toi=move quickly,encourage;(Hawaii)oia=truth,true,this,that's right,go ahead,begin)、「すぐに・引っ込ませよ」

の転訛と解します。

 第四段の詞章には、
 三番三♪おさへおさへおう。喜びありや。わがこの所より外へはやらじと思う。
 三番三♪物に心得たる、あどの大夫殿に見参(げんざう)申さう。
 面箱持♪ちゃうど参って候。
 三番三♪誰が御立ち候ふぞ。
 面箱持♪年比の傍輩達連友だち、御みあどのためにまかり立って候。今日の三番猿楽きりきり尋常に舞うておりそへ色の黒い尉殿。
 三番三♪この色の黒い尉が、今日の御祈祷を千秋万歳、所繁昌と舞ひ納めうずる事は、何よりもって易う候。まづあどの大夫殿は、もとの座敷におもおもと御直り候へ。
 面箱持♪某(それがし)がもとの座敷へ直らうずる事は、尉殿の舞よりいと易う候。御舞ひなうては直り候ふまじ。
 三番三♪あら様(よう)がましや。
 面箱持♪さらば鈴を参らせう。
 三番三♪そなたこそ。
とあります。
 なお、三番三が「おさへおさへおう‥‥」と謡いながら直面で舞う舞を「揉(もみ)ノ段」と称し、その後黒色尉の面を付けて最後に舞う舞を「鈴(すず)ノ段」と称します。

 この「おさへおさへおう」は、未詳です。
 「あど」は、相手に調子を合わせて受け答えをすること、また、そのようにする者(小学館全集本)とされます(後出101アイ・アドの項を参照してください。)。また、狂言でシテの相手役をアドといいます。
 「あらようがましや」は、たいした事ではないのに、様子ありそうにもったいぶっていることよの意と解する説(小学館全集本)があります。
 「すず(鈴)」は、その音色に神仏の霊が宿ると考えられ(『日本民俗大辞典』吉川弘文館)、巫女等による神道儀式、仏事、能楽・歌舞伎、馬の道中など種々の場面で、降神、祈祷、魔よけや厄よけの目的で鳴らされるものです。ここでは、鈴を振り鳴らすことで神仏の力をもって「千秋万歳、所繁昌」の祈祷を成就させようとするものと考えられます。

 この「さんばそう(三番三)」、「おさへおさへおう」、「もみ(揉)」、「あど」、「じょう(尉)」、「あらようがましや」は、

  「タネ・パトウ」、TANE-PATOU(tane=man,showing manly qualities;patou=entice,provoke)、「(翁・面箱持の)誘いに応じて・男らしさを見せた(舞った者。三番三)」(「タネ」が「タン」から「サン」と、「パトウ」が「バソウ」となった)

  「オ・タエ・オ・タエ・アウ」、O-TAE-O-TAE-AU(o=the...of,of,belonging to,from;tae=arrive,reach,extend to,;au=firm,intense,certainly)、「しっかりと・(万歳楽が)舞い終わった・舞い終わった」(「タエ」が「サエ」となった)

  「モミ」、MOMI(suck,suck up,swallow up)、「(翁舞の万歳楽による千秋万歳の喜びを外に逃がさないために)呑み込む(舞)」または「マウミナ」、MAUMINA(=mauminamina=accepting eagerly,with alacrity)、「(翁舞の万歳楽による千秋万歳の喜びを)しっかりと活発に受け止める(かみしめる。舞)」(AU音がO音に変化し、語尾のNA音が名詞形語尾のNGA音と類似するために脱落して「モミ」となった)

  「アト」、ATO(=atoato=regulate the formation of a corps on the march.recite names etc.)、「(名を)読み上げる(披露する・役)」または「(儀式の)進行を統御する(役)」(101アイの項を参照してください。)

    「チヒ・イホ」、TIHI-IHO(tihi=summit,top;iho=heart,kernel,object of reliance,principal person or skilled person in the crew of a canoe)、「最高の・(能に)練達した者(役者)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となり、その語尾のI音と「イホ」の語頭のI音が連結し、H音が脱落して「シオ」から「ジョウ」となった)

  「アラ・イ・アウ(ン)ガ・マチ・イア」、ARA-I-AUNGA-MATI-IA(ara=and then,rise,expressing surprise etc.;i=past tense;aunga=not including;mati=surfeited(matimati=deep affection);ia=indeed)、「なんと・実に・(私の)魂が・力を失って・しまってござる」(「アウ(ン)ガ」のAU音がO音に、NG音がG音に変化して「オガ」となり、前の「イ」と連結して「ヨガ」から「ヨウガ」となつた)

の転訛と解します。

002葵上(あおいのうえ)・てるひ(照日)・あずさ(梓)・あずさゆみ(梓弓)・うわなり(後妻)・いらたか(刺高)

 この曲は、源氏物語葵巻等に典拠したもので、朱雀院の臣下(ワキ連)が左大臣の息女葵の上に憑いた物の怪の正体を突き止めるため、梓の巫女を呼び、招魂が行われると、六条の御息所の生霊が現れ、葵の上への恨みを述べ、葵の上の魂を取って行こうとするので、横川の小聖を招き、加持祈祷の結果、悪鬼が調伏され、成仏して終わるというものです。

 詞章には、
 〔名ノリ〕ワキ連「‥‥さても左大臣のおん息女 葵の上のおん物の怪(もののけ) もっての外にござ候ふほどに 貴僧高僧を請じ申され 大法秘法医療さまざまのおん事にて候へども さらにその験(しるし)なし ここに照日(てるひ)の巫女と申して隠れなき梓(あずさ)の上手の候ふを召して 生霊死霊の間を梓に掛け申せとのおん事にて候‥‥」
とあり、また、
 ツレ♪あらあさましや六条の御息所ほどのおん身にて 後妻(うわなり)打ちのおん振舞い
とあり、また、
 ワキ♪行者は加持に参らんと‥‥赤木の数珠のいらたかを さらりさらりと押し揉んで‥‥
とあります。

 この「梓」は、梓弓を鳴らして口寄せ(死者の招魂)をする巫女をいいます。(「梓」ついては、雑楽篇(その一)の110あずさ(巫女)の項を参照してください。)
 「後妻打ち」とは、中世に離婚されたこなみ(前妻)が離婚後日を経ずに娶ったうわなり(後妻)を嫉妬して、その親しい女どもをたのみ、使者を立てて予告して、うわなり(後妻)の家を襲い、家財などを打ち壊すことをいいました。この場合後妻側もある程度の抵抗は許されていましたが、前妻側の活動を完全に抑圧したり、追い返すことは許されない慣行があったようです。
 「赤木の数珠」とは紫檀や梅などの木で作った山伏が用いる数珠で、揉むと高い音を出します。「いらたか」は、数珠の球が角が立っていることをいい、「刺高」、「最多角」などの字を宛て、梵語「アリタカ」の転とされます。

 この「てるひ」、「あずさ」、「あずさゆみ」、「うわなり」、「いらたか」は、

  「テ・ルヒ」、TE-RUHI(te=the;ruhi=weak,languid,exhausted(ruruhi=old woman))、「(死霊を制御する霊力が)弱い(巫女)」

  「アツア・タ」、ATUA-TA(atua=god,demon,supernatural being,ghost;ta=dash,beat,lay)、「神霊が・憑依した(者。巫女)」(「アツア」の語尾の「ア」が脱落して「アツ」から「アズ」となった)

  「アツア・タ・イフ・ミイ」、ATUA-TA-IHU-MII(atua=god,demon,supernatural being;ta=dash,beat,lay;ihu=nose,bow of a canoe etc.;(Hawaii)mii=clasp,attractive,good-looking)、「神が・宿る(木。その木で作った)・(カヌーの船首のように)反った(木に)・(弦を引き締めて)張ったもの(弓。梓の木で作った弓(神霊が憑依している弓。梓弓を引いた巫女から聞いた神意またはその巫女に憑依した故人の声))」(「アツア」の語尾のA音が脱落して「アツ」と、「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユ」となった)

  「ウワ・(ン)ガリ」、UWHA-NGARI(uwha=female,calm,gentle;ngari=annoyance,disturbance, greatness,power)、「(前妻軍がうっぷんを晴らすのを)邪魔しては・ならない(女性達。後妻軍)」(「(ン)ガリ」のNG音がN音に変化して「ナリ」となった)

  「イ・ラタ・カハ」、I-RATA-KAHA(i=beside,by,with;rata=divination,seer;kaha=rope,strong,strength)、「祈祷に・用いる・縄(数珠)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となつた)

の転訛と解します。

003朝顔(あさがほ)・かごと(託言)

 この曲は、源氏物語の朝顔の齋院の物語を核とし、連歌寄り合いの世界を構築したもので、僧(ワキ)が都の一条大宮仏心寺に到り、朝顔の花を賞で、秋萩の歌を口ずさんだところ、所の女(シテ)が現れ、朝顔の歌でないことを恨み、自分は朝顔の精であると明し、別の男(アイ)が光る源氏と朝顔のことを語り、僧は寺の謂われや朝顔の妄執について尋ね、後ジテの舞いがあって、無常の悟りが得られて終わるというものです。

 詞章には、
 地♪朝顔の齋院と申ししなり 光源氏は折々に 露の情けをかけまくも かたじけなしと神職に託言(かごと)をなして靡かず‥‥
とあります。

 この「託言」は、かこつけて言う言葉、口実、言い訳です。

 この「かごと」、「あさがほ」は、

  「カカウ・ト」、KAKAU-TO(kakau=swim,wade;to=drag,be pregnant)、「(遊弋するように言を)左右にして・(結論を)遷延する(言葉。行為)」(「カカウ」のAU音がO音に変化して「カコ」から「カゴ」となった)

  「アタ・(ン)ガハウ」、ATA-NGAHAU(ata=early morning;ngahau=brisk,hearty)、「朝(のうちは)・元気な(花。朝顔)」(「(ン)ガハウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ガホ」から「ガオ」となった)

の転訛と解します。

004安宅(あたか)・とうたり

 この曲は、『義経記』を素材として構成したもので、富樫の何某(ワキ)が守る安宅の関に山伏姿の義経(子方)、弁慶(シテ)、郎等たちの一行がさしかかり、弁慶が勧進帳を即席で読み上げて関の通行を許されるが、強力に扮した義経が見とがめられ、弁慶がとっさに義経を打擲してその場を切り抜け、山陰で弁慶がこれも主君の御運の尽きかと嘆き、義経がさっきの機転は八幡大菩薩の神慮のお陰と慰めるところに、富樫が失礼のお詫びと酒を持って現れ、弁慶が男舞(延年の舞)を舞って富樫に暇を告げて陸奥の国へと下って行くというものです。

 詞章の最後の弁慶の延年の舞の段には、
 〔(ワカ)〕シテ♪鳴るは滝の水
 〔ノリ地〕地♪日は照るとも 絶えずとうたり 絶えずとうたり 疾く疾く立てや ‥‥
とあります。

 この「とうたり」は、

  「トウ・タリ」、TOU-TARI(tou=dip into a liquid,wet;tari=carry,bring,urge,incite)、「湿ら・されている(清められている)」(001翁の第二段の「とうたり」と同じです。)

の転訛と解します。

005海士(あま)・にわたづみ(庭潦)・かうはくにょ(紅白女)

 この曲は、藤原房前出生譚で『讃岐国志度道場縁起』を題材とし、藤原房前(子方)とその従者(ワキ・ワキ連)が母の追善のために讃州志度寺に到り、海士(前シテ)が志度寺の縁起を語り、玉取りの模様を再現し、母と名乗り、筆跡を残し、供養を頼んで消え、子方が亡母の手跡を披見し、追善を行い、亡母、実は竜女(後シテ)が法華経を読誦し、讃仏の舞を舞い、竜女が成仏して終わるというものです。

 詞章には、
 〔(クセ)〕地♪かかる貴人の 賤しき海士の胎内に 宿り給うも一世ならず たとへぱ日月の 庭潦(にわたずみ)に映りて 光陰を増すがごとくなり ‥‥
とあり、また、
 〔語リ〕アイ「さても淡海公のおん妹に かうはく女と申して 三国一の美人にてござ候が ‥‥
とあります。

 この「庭潦」は、「雨が降って地上にたまり流れる水」(広辞苑)とされます。

 この「あま」、「にわたづみ」、「かうはくにょ」は、

  「ア・マ」、A-MA(a=the...of;ma=white,pale,faded,perished)、「(海に潜ると冷たさに)蒼白となる・種類の(人々)」

  「ニハ・タツ・ミ」、NIHA-TATU-MI((Hawaii)niha=cross,uncivil;tatu=reach the bottom,be content,strike one foot against the other,stumble;mi=urine,stream,river)、「(降雨の後にできる)重なり合って・次から次にできる・水(溜まり)」

  「カウ・パク」、KAU-PAKU(kau=alone,only,as soon as(whakakau=appear,rise of heavenly bodies);paku=make a sudden sound or report,resound)、「すぐに・答えが返ってくる(英敏な。姫)」(「カウ」のAU音がOU音に変化して「コウ」と、「パク」のP音がF音を経てH音に変化して「ハク」となった)

の転訛と解します。

006井筒(ゐづつ)・うなゐこ(放髪子)・まめおとこ(まめ男)・つつゐづつ(筒井筒)

 この曲は、『伊勢物語』の在原業平と紀有常の娘の物語(23段・17段・24段)を題材としたもので、諸国一見の僧(ワキ)が在原寺に立ち寄り、業平夫婦を偲んで弔い、里の女(シテ)が現れて仏法帰依の心を述べ、僧は女の素性を問い、女は『伊勢物語』の歌をめぐる業平と紀有常の娘の純愛について語り、自分がその井筒の女であると名乗って井筒に消え、里の男(アイ)が僧の尋ねで業平と紀有常の娘について語り、弔いを勧め、僧は夢に見ることを期待して眠り、業平の形見の衣を着た紀有常の娘(後シテ)が現れて業平への一途の純愛を示して舞い、夜明けと共に僧の夢は覚めるというものです。

 詞章には、
 〔クセ〕♪昔この国に 住む人のありけるが 宿を並べて門の前 井筒(ゐづつ)によりてうなゐ子の 友達語らひて 互いに影をみづかがみ ‥‥ その後かのまめ男 言葉の露の玉章の 心の花も色添ひて
 シテ♪筒井筒(つついづつ) 井筒にかけしまろが丈
とあります。

 この「うなゐこ(放髪子)」は、通常髪の毛をうなじで束ねた幼児を指します。
 「まめおとこ(まめ男)」は、『伊勢物語』2段の「かのまめ男」の記述による業平の異名で、「実意のある男」、「まめやかな男」の意と解されています(広辞苑ほか)が、業平ほどの恋の遍歴を重ねた男に対し「実意のある男」との理解はいささか不審です。
 「つつゐづつ(筒井筒)」は、『伊勢物語』23段の歌(筒井筒井筒にかけしまろが丈 生ひにけらしな妹見ざるまに)同返歌(くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき)によるものです。

 この「うなゐこ」、「まめおとこ」、「つついづつ」は、

  「ウ(ン)ガ・アヰ・コ」、UNGA-AWHI-KO(unga=act or circumstance of becoming firm;awhi=embrace,foster;ko=used in addressing girl or males)、「(親が)可愛がる・大人になりかかった・童」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」となり、その語尾のA音と「アヰ」の語頭のA音が連結して「ウナヰ」となった)

  「ママエ」、MAMAE(pain,feel pain or distress of body or mind)、「(恋の遍歴によって)心に傷手を負っている(複雑な心境にある男。業平)」(AE音がE音に変化して「マメ」となつた)

  「ツツ・イ・ツツ」、TUTU-I-TUTU(tutu=move with vigour,set on fire,be raised,vigour;i=past tense,beside,by,with;tutu=stand errect,be prominent)、「(かつて)傍らに居て・成人した(関係=井筒)に・(恋愛感情の)火がついた(状況)」

の転訛と解します。

007鵜飼(うかい)・ふしづけ(柴漬)

 この曲は、典拠は不詳ですが、日蓮宗総本山がある甲斐国を舞台に、殺生禁断を破つた鵜飼の罪障懺悔と法華経による救済を主題とし、安房国清澄の僧(ワキ)と同行の僧(ワキ連)が甲斐国石和に到り、所の者(アイ)に一夜の宿を頼むが禁令のため拒まれ、光り物が出るというお堂に泊まり、昔僧に一夜の宿を提供した鵜使いの老人(シテ)が現れ、殺生禁断を犯して処刑されたことを告げ、ワキが一石一字の供養を行い、地獄の鬼(後シテ)によつて一僧一宿の功力・法華経の功徳によつて老人が極楽往生したことが告げられるというものです。

 詞章には、
 〔下ゲ歌〕♪ふしづけにし給へば 叫べど声の出でばこそ
とあり、また、
 〔語リ〕「‥‥ ただ殺さずして荒簀に巻き沈め候へとて この川に沈められ候 ‥‥
とあります。

 この「ふしづけ(罧。柴漬)」は、人を簀巻きにして沈めて殺すことをいい、柴を水中に積んで魚を捕る仕掛けが原義とされます。

 この「ふしづけ」は、

  「フチ・ツ・カイア」、HUTI-TU-KAIA(hutihuti=rope;tu=fight with,energetic;kaia=steal,thief)、「(見せしめのために)縄で・ぐるぐる巻にされた・泥棒(犯罪者)」(「カイア」の語尾のA音が脱落し、AI音がE音に変化して「ケ」となつた)

の転訛と解します。

008右近(うこん)・ひをり(引折。騎射)

 この曲は、桜の名所としての右近の馬場に、北野社の末社の桜葉宮の女神が御代を寿ぐ主題に、『伊勢物語』99段が複合したもので、鹿島の神職何某(ワキ)が従者(ワキ連)とともに右近の馬場へ来たり、車に乗った女(前シテ。桜葉の神)が北野社の名所を教え、末社の神(アイ)が桜葉の宮、業平の歌を説き、舞を舞い、桜葉の神が現れて神威を示し、遊舞して消えるというものです。

 詞章には、
 〔上ゲ歌〕♪ひをりせし 右近の馬場の木の間より ‥‥
とあり、また、
 ワキ「向かひを見れば女車の ‥‥ 思いぞ出づる右近の馬場の ひをりの日にはあらねども
とあります。

 この「ひをり(引折。騎射)」は、平安時代、近衛の馬場で競馬騎射の真手番(まてつがい)を行ったことをいい、左近衛は5月5日、右近衛は5月6日を引折(ひをり)の日としたといいます。なお、右近衛の馬場(右近の馬場)は北野神社の南にあり、桜の名所として著名でした。

 この「ひをり」は、

  「ヒワ・オリ」、HIWA-ORI(hiwa=light-heartedness,shown in singing laughter and jesting,watchful;ori=cause to wave to and fro,sway,move about)、「華麗な見物(みもの)である・(あちこち動き回る)騎射を行う(行事。その日)」(「ヒワ」の語尾のA音と「オリ」の語頭のO音が連結してO音に変化して「ヒヲリ」となった)

の転訛と解します。

009善知鳥(うとう)・やすかた

 この曲は、『今昔物語』等の立山地獄説話と『新撰歌枕名寄』等の善知鳥説話を典拠としたもので、諸国一見の僧(ワキ)が立山禅定し、老人(前シテ)が外の浜の猟師の亡霊と名乗つて形見の簑笠を故郷の妻子に届けて供養を頼み、外の浜に到着したワキに里人(アイ)が善知鳥について語り、猟師の妻(ツレ)に形見を届けて供養し、猟師の亡霊(後シテ)が殺生により地獄で責め苦に遭う身の救済を願って終わるというものです。

 詞章には、
 〔語リ〕アイ「‥‥またこの外の浜のうとうやすかたの鳥と申すは 同じ鳥にて候へども 子と親にて名変わり候 そのゆゑは ‥‥ 親鳥餌を運びて 子のある所を知らで上をうとううとうと鳴きて通り候へば 子は親の声を聞きてやすかたやすかたと鳴く ‥‥ しかるによってうとうとは親鳥をいい やすかたとは子を申し候 ‥‥
とあります。

 この「善知鳥(うとう)」は、「黒褐色の大型のチドリ目ウミスズメ科の鳥で、日本では北海道と本州北部で繁殖し、‥‥海に面した断崖の緩く傾斜した草地に1から2mの深さの穴を掘って中に1腹1卵を産む‥‥。(平凡社『世界大百科事典』)」鳥です。この語源は、(1)繁殖期にオレンジ色の嘴の付け根に灰色の突起ができることからアイヌ語「ウトウ(突起)」の意、(2)鳥の鳴き声から、(3)ウツ(空)の転、(4)穴を掘って巣を作ることから「ウツボ」の意などの説があります。(雑楽篇(その二)の648うとう(善知鳥)の項を参照してください。)

 この「うとう」、「やすかた」は、

  「ウ・トウ」、U-TOU(u=be fixed,reach its limit,bite;tou=annus,posteriors)、「肛門(のような穴の中)に・定着する(営巣する。鳥)」

  「イア・ツ・カタ」、IA-TU-KATA(ia=indeed;tu=fight with,emergetic;kata=laugh,of cry a bird)、「ほんとに・躍気になって・鳴く(鳥の鳴き声)」または「ほんとに・躍気になつて・(卵の殻を)破って出る(孵化)」

の転訛と解します。

010鵜羽(うのは)・げんだ(けんた)

 この曲は、「中世日本紀」(神代紀を原拠とし、これに神仏習合説を加えたもので、中世日本に広く流布したもの)系統のウノハフキアワセズノミコト(鵜羽葺不合尊)説話によったもので、廷臣(ワキ)が神代の古跡を尋ねて日向の鵜戸の岩屋に到り、海女(シテ)が鵜戸の岩屋の由来、鵜羽葺不合尊の話を語り、舞い、所の男が(アイ)が神代の故事を語り、竜女豊玉姫(後シテ)が満干の球を賛美し、妙法を渇仰して海中に入るというものです。

 詞章には、
 〔語リ〕アイ「‥‥ 玉姫‥‥ まづ釣針を尋ね出だして参らせんとて すなはち尋ねらるるところに げんだと申す魚の腹中より探し出だし かの釣針に満干の玉を添へて奉る ‥‥
とあります。

 この「げんだ」は、底本には「?(元の下にべんあし。漢音はゲン、呉音はゴン。おほかめの意。古訓はエカメ・ハラカ)?(口二つに田に一の下にべんあし。漢音はタ、呉音はダ。わにの意。古訓はオホカメ)」の漢字に「けんた」の訓が附され、「クェンタ、オオカメ」(『色葉字類抄』)および「ゲンダ、保深淵之底」(文明本『節用集』)との解釈があります。

 この「げんだ(けんた)」は、

  「カイ(ン)ガ・タ」、KAINGA-TA(kainga=refuse of a meal;ta=dash,beat,lay)、「(その魚が食べた)食べかす(の中)に・(探していた釣り針が)あった(魚)」(「カイ(ン)ガ」のAI音がE音に、NG音がN音に変化して「ケナ」から「ケン」、「ゲン」となった)

  または「(ン)ゲ(ン)ゲ・タ」、NGENGE-TA(ngenge=weary,weariness,exhaustion;ta=dash,beat,lay)、「(呑み込んだ釣り針のために)元気がなくなった(魚の中に)・(探していた釣り針が)あった(魚)」(「(ン)ゲ(ン)ゲ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ゲネ」から「ゲン」となった)

の転訛と解します。

011江口(えぐち)・しゆんせうひめ

 この曲は、西行と遊女の歌の贈答(『新古今集』、『山家集』など)、遊女が普賢菩薩となって現れた話(『古事談』など)を典拠とし、諸国一見の僧(ワキ)が同行の僧(ワキ連)とともに都から江口に到り、江口の旧跡で西行法師の古歌を口ずさんで懐旧にふけり、里の女(シテ)が西行と遊女の贈答歌の真意を語り、里の男(アイ)が遊女が普賢菩薩となって現れる奇瑞を語り、供養を勧め、江口の遊女の亡霊(後シテ)が二人の遊女(ツレ)と舟に乗って現れ、遊女の身を嘆き、隋縁真如の舞を舞い、遊女は普賢菩薩、舟は白象となつて西の空に消えるというものです。

 詞章には、
 〔語リ〕アイ「江口の君と申し候ふは 流され人のおん息女にてござ候 名おばしゆんせう姫と申し候 ‥‥
とあります。

 この「しゆんせう」は、

  「チウ・(ン)ガ・チオ」、TIU-NGA-TIO(tiu=soar,wander,swing,unsettled;nga=satisfied,breathe;tio=cry,call)、「(諸国を)放浪して・満足して・歌った(姫)」(「(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ナ」から「ン」となった)

の転訛と解します。

012鸚鵡小町(おうむこまち)・ももか(百家)・せんとう(仙洞)・よでう・ししゅん(紫箏)

 この曲は、『十訓抄』、『阿仏鈔』を典拠とし、新大納言行家(ワキ)が勅命により関寺辺の小野小町を訪ね、老残の小町(シテ)が現在の境涯を嘆き、帝の御歌を賜り、小町は鸚鵡返しで返歌し、鸚鵡返しの歌体、懐旧、悲嘆があり、玉津島で業平の法楽の舞を学び、行家と別れるというものです。

 詞章には、
 〔問答〕シテ「われいにしへ百家(ももか)仙洞(せんとう)の交はりたりし時こそ 事によそへて歌をも詠みしが ‥‥
とあり、また、
 〔問答〕シテ「のう鸚鵡返しといふことは
とあり、また、
 地♪‥‥ 美人のかたちも世にすぐれ よでうの花と作られ 桃花雨を帯び 柳髪風に嫋(たおや)かなり 紫笋(ししゅん)なほ動き回り 梨花は名のみなりしかど 今憔悴と落ちぶれて 身体疲瘁する 小町ぞあはれなりける
とあります。

 この「おうむ」は、「鸚(漢音はオウ(アウ)、呉音はヨウ(ヤウ)、唐音はイン)・鵡(漢音はブ、呉音はム)、鸚鵡(漢音はオウブ、呉音はヨウム。物まねのうまい鳥の名)」で、「オウム」の発音は縄文語ではなかったかと思われます。また、「鸚鵡能言、不離飛鳥」と『礼記』にあります。なお、鸚哥(いんこ)は、13世紀の唐宋音「インコ」によるとされます。
 「百家仙洞」は、難解で、「百日千度」と解し、「仙洞(院の御所)」における毎日毎度の社交」の意とする説があります。
 「よでう」は、「余条」、「余情」をあてる説、「窈窕」の訛伝とする説があります。
 「ししゅん」は、『白氏文集』から「紫笋」をあてる説がありますが、疑問とされます(新潮集成本)。

 この「おうむ」、「ももか」、「せんとう」、「よでう」、「ししゅん」は、

  「アウ・ム」、AU-MU(au,auau=frequently repeated,again and again;mu=a wingless bird)、「(言葉の物まねを)何回も繰り返す・飛ぶのが不得手な鳥」
  ちなみに「いんこ」は、「ヒ(ン)ガ・コ」、HINGA-KO(hinga=fall from an errect position,be outdone in a contest;ko=girl and males in addressing,sing as birds,resound,shout(koko=parson bird))、「(言葉の物まねの)競争に負けた(鸚鵡よりも下手な)・しゃべる鳥」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」から「イン」となった)(parson birdは、ニュージーランドに生息する物まねが巧みな黒い羽毛の鳥です)の転訛と解します。

  「モモ・カハ」、MOMO-KAHA(momo=descendant,race,breed;kaha=strong,persistency,rope,lineage)、「強い(絆で結ばれた)・血族(のような関係)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「テネ・トフ」、TENE-TOHU(tene=be importunate;tohu=mark,show,preserve)、「(しつこいような)密接な(関係を)・維持していた」(「テネ」が「テン」から「セン」と、「トフ」のH音が脱落して「トウ」となった)

  「イオ・チ・アウ」、IO-TI-AU(io=lock of hair;ti=throw,cast;au=firm,intense)、「豊かな・黒髪を・靡かした(花のような。女性)」(「アウ」のAU音がOU音に変化して「オウ」となり、前の「チ」と連結して「チョウ」から「ジョウ」となった)

  「チチ・ウ(ン)ガ」、TITI-UNGA(titi=go astray;unga=send,cause to come forth,expel,seek)、「追い立てられるように・放浪する(習性を持つ。女性)」(「チチ」が「シシ」と、「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」から「ウン」となつた)

の転訛と解します。

013杜若(かきつばた)・かほよはな(貌吉花)

 この曲は、『伊勢物語』7・8・9段(東下りの段)を典拠としたもので、諸国一見の僧(ワキ)が東国行脚の途中三河の国に到り、花盛りの杜若に見入り、女(シテ)が『伊勢物語』に名高い杜若の名所と業平の歌・行状について語り、業平の冠・二条の后の唐衣を着て杜若の精と名乗り、業平は歌舞の菩薩として化現したこと、業平の行状は陰陽の神としての衆生済度のわざであったことを語り、花前の舞を舞い、草木成仏・女人成仏を達成して終わるというものです。

 詞章には、
 〔サシ〕ワキ♪‥‥草木心なしとは申すせども 時を忘れぬ花の色 貌吉花(かほよばな)とも申すやらん あら美しの杜若やな
とあります。

 この「かほよはな」、「かきつばた」は、

  「カホ・イオ・ハナ」、KAHO-IO-HANA(kaho=anything light-coloured or perhaps reddish or yellowish;io=muscle,spur,lock of hair;hana=shine,glow)、「鮮やかな色をした・(草の)頭頂の・輝くような(花。貌吉花。杜若)」

  「カキ・ツ・パタ」、KAKI-TU-PATA(kaki=neck,throat;tu=stand,settle;pata=drop of water etc.,drip,cause)、「首(にあたる花弁)に・(水が流れた跡のような)一本の白線が・ある(花。その植物。かきつばた)(かきつばたのほか、あやめ(菖蒲)・しょうぶ(菖蒲)については、雑楽篇(その二)の599-6あやめ(菖蒲)・かきつばた(杜若)・しょうぶ(菖蒲)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

014景清(かげきよ)・かんたん・げうこつ

 景清の日向での落魄した生活、遺児人丸の話など『平家物語』とは異なる景清譚(不詳)を典拠としたもので、景清の娘人丸(ツレ)と従者(トモ)が景清を尋ねて鎌倉から日向に到り、藁屋の中の景清(シテ)が現在の境遇を嘆き、娘の来訪を知るが父とは名乗らず、里人(ワキ)がその心情を察して対面を図り、娘・父がそれぞれの感情を吐露し、父は八島合戦(錣引)を語り、娘の帰国への計らいと臨終の後の供養を頼んで終わるというものです。

 詞章には、
 シテ(♪)松門独り閉じて 年月を送り ‥‥衣かんたんに与へざれば 膚(はだえ)は げうこつと 衰えたり
とあります。

 この「かんたん」は、底本は「寒単」とし、「寒暖」をあてる説があります。
 「げうこつ」は、「?(骨偏に堯)骨(白骨)」をあてる説がありますが、疑問とされます(新潮集成本)。なお、『日葡辞書』に「ギョッコッ、寒さのためにこごえてかじかむこと。文書語」とあります。

 この「かんたん」、「げうこつ」は、

  「カヌ・タ(ン)ガ」、KANU-TANGA(kanu=ragged,torn,distracted;tanga=be assembled)、「襤褸(ぼろ)を・綴り合わせた(着物)」(「カヌ」が「カン」と、「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「タン」となった)

  「(ン)ギオ・コツア」、NGIO-KOTUA(ngio=extinguished,faded;kotua=token of respect,regard)、「(肌の色が)青白く・際だって見える(状態)」(「(ン)ギオ」のNG音がG音に変化して「ギオ」から「ギョウ」と、「コツア」の語尾のA音が脱落して「コツ」となった)

の転訛と解します。

015葛城(かづらき)・しもと・うたてやな

 この曲は、『俊頼随脳』、『日本霊異記』などに記される一言主の岩橋説話および高天原や天岩戸が葛城山にあるとする中世の理解(『三流抄』など)を典拠としたもので、羽黒山の山伏(ワキ)が同行(ワキ連)とともに葛城山に到り、山の女(前シテ)がしもとの名が由来する古き大和舞の歌について語り、しもとを焚いてもてなし、三熱の苦しみの救済を乞い、実は葛城の神と名乗って消え、所の男(アイ)が葛城の神の岩橋伝説などを語り、供養を勧め、葛城の女神(後シテ)が現れて呪縛の身と三熱の苦しみを示し、いっそうの勤行を乞い、葛城の高天原に天岩戸の大和舞を舞つて岩戸に隠れるというものです。

 詞章には、
 〔問答〕ワキ「あら面白やしもととは此の木の名にて候ふか
 シテ「うたてやなこの葛城山の雪の中に 結い集めたる木木の梢を しもとと知ろしめされぬは おん心なきようにこそ候へ
とあります。

 この「しもと」は、古い大和舞の歌の「しもと結ふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな」(古今集)の枕詞の語句で、木の細枝をいい、葛で結うところから葛城山の枕詞となったと通常解されています。しかし、なぜ葛城山についてだけ、「しもと」が出てくるのか、不審です。「しもとゆふ」の解釈については、国語篇(その四)の053しもとゆふの項を参照してください。
 「うたてやな」は、「あらいやだ」の軽い詠嘆と解されています(新潮集成本)。

 この「しもと」、「うたてやな」は、

  「チモ・ト」、TIMO-TO(timo=peck,prick,strike with a pointed instrument;to=stem)、「(人を)打つのに用いる・細い棒(小枝。笞)」

  「ウタ・テ・イアナ」、UTA-TE-IANA(uta=put persons or goods on board a canoe etc.;te=not;iana=intensive,then)、「(舟に乗って進む)成り行きのままに物事が進むのは・とても・いやだ((貴方の考えを)そのまま受け入れることはできない)」

の転訛と解します。

016清経(きよつね)・ただ・はたて

 この曲は、『平家物語』(巻八・太宰府落)を典拠としたもので、淡津の三郎(ワキ)が清経の形見を持って九州から都に上り、主人の自殺を清経の妻(ツレ)に報告し、妻は悲嘆して夢待ちに寝、清経(シテ)が夢中に現れ、妻は夫をなじり、夫は妻が形見の髪を受け入れぬことを恨み、なだめ、自殺に至った状況を語り、弥陀による救済で終わるというものです。

 詞章には、
 〔上ゲ歌〕地♪‥‥ 今は誰をか憚りの ありあけづきの夜ただとも なにか忍ばん時鳥 名をも隠さで泣く音かな ‥‥
とあり、また、
 〔中ノリ地〕地♪‥‥ 立つ木は敵雨は箭先 月は精剣山は鉄城 雲のはたてを突いて 驕慢の剣を備へ ‥‥
とあります。

 この「(夜)ただ」は、夜通しの意。中世では「ヨタタ」と清音で「夜響ト書ケリ。ヨルヲトノスル心也」(毘沙門堂本『古今集註』)と解されていました。
 {(雲の)はたて」は、「夕の雲の事也」(『連珠合壁集』)とする説があります。

 この「ただ」、「はたて」は、

  「タタ」、TATA(bail water out of a canoe)、「(舟底のあか水を休まずに汲み出すように。夜を)通して(徹して)」

  「パタタイ」、PATATAI((poetical)shore)、「(雲の)岸辺(詩的用語)」(P音がF音を経てH音に、AI音がE音に変化して「ハタテ」となった)

の転訛と解します。

017自然居士(じねんこじ)・ささら(簓)・とどろとどろ・はらはらはら・とうとう・ていとう

 この曲は、実在の説教芸能者としての自然居士の伝承、中世の雑芸者としての自然居士の伝承を基に構成されたもので、京東山雲居寺辺の男(アイ)が自然居士の説法結願日を告げ、自然居士(シテ)が表白を読み上げ、子方の諷誦文を読み、身代衣による二親供養のけなげさに感動し、人商人(ワキ)とその同輩(ワキ連)が子方を連れ去り、居士は説法を打ち切つて子方を救うために跡を追い、人商人達の舟に乗り込み、身代衣と子方の交換を懇請し、人商人達は居士に芸尽くしをさせ、ささら舞、羯鼓(かっこ)舞をさせた後、子方を解放し、居士は子方と帰還するというものです。

 詞章には、
 〔語リ〕シテ「‥‥それ簓(ささら)の起りを尋ぬるに 東山にあるおん僧の 扇の上に木の葉のかかりしを 持ちたる数珠にてさらりさらりと払ひしより 簓ということ始まりたり ‥‥
とあり、また、
 〔問答〕地♪もとより鼓は 波の音 ‥‥ 雨雲迷ふ 鳴る神の とどろとどろと 鳴る時は 降り来る雨は はらはらはらと 小笹の竹の 簓を擦り 池の凍(こほり)の とうとうと 鼓をまた打ち 簓をなほ擦り ‥‥
 〔歌〕地♪舟の中より ていとうとうち連れて ともに都に上りけり ‥‥
とあります。

 この「簓」は、田楽等に用いる楽器の一で、竹を細かく割って束ね、簓の子(刻み目のついた棒)を擦り合わせて音を出すものです。
 「池の凍」は、「池凍東頭風度解」(『和漢朗詠集』立春)をふまえて「とうとう」(鼓の音)の序としたものと解されています(新潮集成本)。

 この「じねん」、「ささら」、「とどろとどろ」、「はらはらはら」、「とうとう」、「ていとう」は、

  「チ・ネネ」、TI-NENE(ti=throw,cast,overcome;nene=fat,jest,be saucy(whakanene=cause a pleasant sensation,jest,quarrel))、「(周囲の人々を)楽しく・させた(居士)」または「(孝女を救うために)口論を・した(居士)」(「ネネ」が「ネン」となった)

  「タタラ」、TATARA(rattling,buzing,making an indistinct sound)、「サラサラという音を出す(こと。その楽器)」

  「トトロ・トトロ」、TOTORO-TOTORO(totoro=stretch forth,creep,crawl(whakatorotoro=press on,attack))、「押し広がる(爆発する)ような音を・続ける(響かせる)」

  「ハラハラ・ハラ」、HARAHARA-HARA(hara=miss,make a false stroke,come short of;harahara=be diminished,become less)、「ぽつぽつと小さい音が・僅かに(音が)する」

  「トウトウ」、TOUTOU(dip frequenly into liquid,sprinkle with water)、「バリバリと(氷が)融ける音がする」

  「テ・イト」、TE-ITO(te=the;ito=object of revenge,trophy of an enemy)、「あの・(戦利品である)女児(子方)」

の転訛と解します。

018殺生石(せっしょうせき)・いしほの宮・きさらきの宮・大やまき(祭)・まくつつ・さくりに

 この曲は、『神明鏡』、『玉藻前物語』の玉藻前説話を典拠としたもので、玄翁(ワキ)が都へ上る途中那須野に到り、従者(アイ)が大石の上に鳥が落ちるのを目撃し立ち寄ろうとするが、女(シテ)が現れて制止し、玉藻の前の化した殺生石の恐ろしさを説き、玉藻の前の行状・安倍泰成の調伏を語り、玄翁が石に引導を渡し、石が二つに割れて野干(後シテ)が現れ、泰成に調伏されて那須野の狐となったこと、三浦の介と上総の介の犬追物の始まり、那須野の狩りによる退治、執心の殺生石について語り、回心を誓って消えるというものです。

 詞章には、
 〔語リ〕アイ「さても玉藻の前と申したるおん方の正体は七つほどござ候 ‥‥ 天上にてはいしほの宮 唐土にてはきさらきの宮 ‥‥ ここに安倍の泰成と申して 大原の里に住む人ござ候ふを勅宣にて召し出だし 大やまきと申すおん祭を企て ‥‥
とあり、また、
 〔中ノリ地〕地♪‥‥ 現れ出でしを狩り人の 追ふつまくつつさくりにつけて 矢の下に射伏せられて ‥‥
とあります。

 この「おおやまき(祭)」は、『玉藻前物語』の「泰(大)山府君の祭」の誤りとする説があります(新潮集成本)。
 「(追ふつ)まくつつ」は、「(追ひつ)まくりつ」の音便で、「まくるというは、犬と馬と間遠き時、犬に近くあはんとて、手綱をつかひて馬を寄する事を云也」(『犬追物付紙日記』)とする説があります(新潮集成本)。
 「さくり」は、掘り穿った所の意で、ここは狐の走った足跡のことで、それを追跡しての意(さくりに乗と云て、犬の走跡を追事、此興の事也」(『犬追物付紙日記』))とする説があります(新潮集成本)。

 この「いしほ」、「きさらき」、「おおやまき」、「まくつつ」、「さくりに」は、

  「イ・チパオ」、I-TIPAO(i=past tense;tipao=come and go irregularly,wander)、「漂泊(者)・の(宮)」(「チパオ」のP音がF音を経てH音に、AO音がO音に変化して「チホ」から「シホ」となった)

  「キ・タラキヒ」、KI-TARAKIHI(ki=full,very;tarakihi=nautilus shell,cicada)、「蝉(中国では美人の異称)が・たくさんいる(宮)」(「タラキヒ」のH音が脱落して「タラキ」から「サラキ」となった)

  「オホ・イア・マキ」、OHO-IA-MAKI(oho=start from fear or surprise etc.,wake up;ia=indeed;maki=invalid,sick person(makimaki=afflict of an illness))、「突如起こった・大変な・(天皇の)病気の苦悩(を祓う祭儀)」

  「マクツ・ツ」、MAKUTU-TU(makutu=bewitch,spell,incantation;tu=fight with,energetic)、「(化狐を退治する)呪文を・必死に唱えて」

  「タク・リ(ン)ギ」、TAKU-RINGI(taku=threaten behind one's back;ringi=pour out,throw in great numbers,shower)、「(化け狐の)背中へ向かって・(退治する呪文を)何回となく投げつけた」(「リ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「リニ」となった)

の転訛と解します。

019東岸居士(とうがんこじ)・ささら・やっばち

 この曲は、『謡曲拾葉抄』などに「自然居士の弟子で、名を玄寿、字を東岸といい、東山雲居寺の僧なり。‥‥」とありますが、典拠は未詳です。曲の概要は、東国方の男(ワキ)が都へ上り清水に到り、所の者(アイ)が東岸居士の説法と曲舞の面白さを教え、東岸居士(シテ)が無情の世と橋建立の多忙を詠嘆し、居士の狂言綺語・仏道説法の舞、遊狂の羯鼓の舞によって悟りへと導いて終わるというものです。

 詞章には、
 〔掛ケ合〕シテ♪袖を連ねて玉衣の さゐさゐしづみ浮き波の ささら八撥(やっぱち)うち連れて
とあります。

 この「玉衣のさゐさゐしづみ」は、『万葉集』(4-503。柿本人麻呂。玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも)から出たもので、次の「浮き波」を引き出すための慣用句です。国語篇(その四)<枕詞>の071 たまきぬの(玉衣の)の項を参照してください。
 「ささら」は、「簓」です(017自然居士の項を参照してください)。
 「やっばち(八撥)」は、、羯鼓(かっこ)の別称です。

 この「ささら」、「やっばち」は、

  「タタラ」、TATARA(rattling,buzing,making an indistinct sound)、「サラサラという音を出す(こと。その楽器)」

  「イア・パチ」、IA-PATI(ia=indeed,rushing stream;pati=ooze,spurt,splash,try to obtain by coaxing or flattery)、「水が勢いよく・落ちて音を出す(ような音を立てること。その楽器)」

の転訛と解します。

020道成寺(どうじょうじ)・すはすは・ただ・かっぱ

 この曲は、『大日本国法華験記』、『今昔物語集』などに記される「道成寺説話」を典拠としたもので、紀州道成寺の住僧(ワキ)が再興の鐘の供養の旨を告げ、住僧は寺の能力(オモアイ)に女人禁制を申し渡し、能力はその旨を触れ、白拍子の女(シテ)が供養を聞いて訪れ、いったんは制止されるが、供養の舞を理由に能力が一存で入場を許し、女は白拍子姿で舞歌を始め、人々は眠りを誘われ、女は鐘を落としてその中に入り、報告を受けた住僧は、恋慕のあまり大蛇と化した女が道成寺の鐘に隠れた山伏を焼き殺した因縁を語り、住僧は他の僧とともに祈祷し、大蛇(後シテ)が現れ、調伏祈祷と抗争の末、大蛇は日高川に敗退するというものです。

 詞章には、
 〔ノリ地〕地♪すはすは動くぞ 祈れただ ‥‥
とあり、また、
 〔中ノリ地〕地♪‥‥いづくに大蛇のあるべきぞと 祈り祈られかっぱと転(まろ)ぶが ‥‥
とあります。

 この「すはすは」は、「警告の声。さあさあ。そらそら」(広辞苑)、「大勢で鐘を吊り上げるさま」とされます(新潮集成本)。
 「かっぱと」は、「勢い良く、はげしく、にわかに」の意(広辞苑)とされます。

 この「すはすは」、「ただ」、「かっぱ」は、

  「ツワツワ」、TUWHATUWHA(spit out,run with spittle to effect a cure,an incantation being recited at the time)、「呪文を唱えている間に(動く)」

  「タタ」、TATA(bail water out of a canoe)、「(舟底のあか水を休まずに汲み出すように)ずっと休まずに」

  「カハ・パ」、KAHA-PA(kaha=strong,strength,persistency;pa=touch,reach,strike)、「力強く・打ち付ける」(「カハ」のH音が脱落して「カア」となり「カアパ」が「カッパ」となった)

の転訛と解します。

021道明寺(どうみょうじ)・ほどぎ(缶)・とうとう・さうじやう

 この曲は、菅原氏の氏寺である道明寺の縁起(『河州志紀郡土師村道明尼律寺記』)などを典拠としたもので、相模国田代の僧尊性(ワキ)が善光寺の霊夢により、従僧とともに河内国道明寺に到り、天満宮の宮守の老翁(シテ)が同輩とともに登場して神徳を讃え、尊性が天神霊跡のむくろじの実を数珠として念仏すべきとの霊夢を語り、老翁がその樹に案内して天神の縁起を語り、末社の神(アイ)が当社の由来を語り舞い、天女(後ツレ)が天岩戸の神遊びを再現し、白大夫の神(後シテ)が登場して缶(ほどぎ)・笏拍子(さくびょうし)を打つて囃し、楽を舞い、壽福延年等の舞歌を奏で、むくろじの実を授与するというものです。

 詞章には、
 〔上ゲ歌〕地♪‥‥白大夫が小忌(おみ)の袖より 取るや笏拍子(さくびょうし)とうとうと 打つも寄るも老の波の 雪の白大夫が 缶(ほどぎ)の笏拍子は面白や
とあり、また、
 〔中ノリ〕地♪ただいま奏ずる舞歌の曲 七徳さうじやう七拍子 ‥‥
とあります。

 この「ほどぎ(缶)」は、湯水などを入れる瓦器の称で、それを叩いて拍子を取るものです。なお、笏拍子は、笏の形の二つのを打ち合わせて拍子を取る雅楽器です。
 「さうじやう」は、底本は仮名書きですが、現行上掛かりに「双調」(調子の名目)を宛てるが存擬(新潮集成本)とされます。なお、「七徳」は、「七徳舞」を指します。

 この「ほどぎ」、「とうとう」、「さうじやう」は、

  「ハウ・ト(ン)ギ」、HAU-TONGI(hau=eager,brisk,strike,chop,act energetically;tongi=point,peck as a bitd,nibble at bait)、「熱心に・(鳥がつつくように)叩く(楽器)」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」と、「ト(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「トギ」から「ドギ」となった)

  「タウタウ」、TAUTAU(howl)、「(高く低く)尾を引くように(拍子を取る)」(AU音がOU音に変化して「トウトウ」となった)

  「タウ・チオ」、TAU-TIO(tau=sing,bark,song;tio=cry,call)、「(七徳舞の)舞歌を・(力強く)奏する」(「タウ」のAU音がOU音に変化して「トウ」から「ソウ」と、「チオ」が「チョ」から「ジョウ」となった)

の転訛と解します。

022檜垣(ひがき)・みつはぐむ

 この曲は、『後撰集』雑五にみえる「ひがきの媼筑前国人」の詠んだ歌をもととしたもので、肥後岩戸山の住僧(ワキ)が霊地の致景わ述懐し、日参の老女の来訪を待ち、老女(シテ)が現れ、名を尋ねる住僧に自詠の「みつはぐむ」の歌の由来を語り、弔いを乞うて消え、所の男(アイ)が参詣して檜垣の女のことを語り、住僧が白川のほとりの庵を尋ね、檜垣の女(後シテ)が現れて弔いに感謝し、驕慢の舞女の老醜の懺悔と釣瓶に執心の水をくみ続ける業苦を嘆き、懺悔の舞を舞い、業苦からの救済を懇請して終わるというものです。

 詞章には、
 〔問答〕シテ「‥‥かの後撰集の歌に♪年経ればわが黒髪もしらかはの みつはぐむまで老いにけるかなと 詠みしもわらはが歌なり ‥‥
とあり、また、
 〔上ゲ歌〕地♪そもみつはぐむと申すは そもみつはぐむと申すは ただ白川の水にはなし 老いて屈める姿をば みつはぐむと申すなり ‥‥
とあります。

 この「みつはぐむ」は、年老いてから歯が生えることまたは老いて腰が曲がることを指すとされます。

 この「みつはぐむ」、「ひがき」は、

  「ミ・ツ・ハ(ン)グ・ム」、MI-TU-HANGU-MU(mi=urine,stream;tu=stand,settle;hangu=scrape strips of flax with a shell to make it softer;mu=murmur at,show discontent with,silent)、「汲み上げた・水で・丁寧に・髪の毛を撫で付ける(ような年齢・境遇の状況)」(「ハ(ン)グ」のNG音がG音に変化して「ハグ」となった)(この語句には、「瑞歯(みづは)が生える」の意も、「腰が曲がる」の意もありません。ちなみに、「瑞歯(みづは)」については、古典篇(その八)の218A瑞歯別(ミツハワケ)尊の項を参照してください。)

  「ヒ(ン)ガ・キ」、HINGA-KI(hinga=fall from an errect position,be overcome with astonishment;ki=full,very)、「落魄し・きった(媼)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ヒガ」となった)

の転訛と解します。

023百万(ひゃくまん)・えいさらえいさ・とことは

 この曲は、『融通念仏縁起』に記される嵯峨清涼寺(釈迦堂)の融通大念仏会、『嵯峨清涼寺地蔵院縁起』に記される捨て子であった円覚上人が生き別れの母への再会を祈念して大念仏を広めたとする由来をもととする「嵯峨物狂」を改作したもので、男(ワキ)が西大寺辺で拾い養育する子(子方)を伴い嵯峨の大念仏に赴き、見物はなにかと尋ねられた門前の者(アイ)が女物狂(シテ)を呼び出し、シテは狂乱の踊り念仏、子を求める法楽の舞を舞い、再会を祈念し、ワキが子を母に逢わせ、本尊へ感謝し、母子が帰洛するというものです。

 詞章には、
 〔ノリ地〕シテ♪力車に 七車‥‥重くとも引けや えいさらえいさ
とあり、また、
 〔上げ歌〕地♪僅かにすめる世に なほ三界の首枷かや 牛の車のとことはに いづくをさして引かるらん えいさらえいさ
とあり、また、
 〔問答〕ワキ「しかにこれなる狂女 おことの国里はいづくの者ぞ
 シテ「これは奈良の都に 百万と申す者にて候
とあります。

 この「とことは」は、とことわ〔常とは〕(平安時代までトコトバ)①永久にかわらぬこと。とこしえ。②いつも。つね。(広辞苑)と解されています。

 この「ひゃくまん」は、

  「エヒ・タ・ラ・エヒ・タ」、EHI-TA-RA-EHI-TA(ehi=well!;ta=dash,beat,lay;ra=then,but)、「それ・曳け・もひとつ・それ・曳け」(「エヒ」のH音が脱落して「エイ」となった)

  「トコ・トパ」、TOKO-TOPA(toko=prefix used in place of the particle e(e=before verbs or adjectives to denote action in progress or temporary condition),pole,propel with a pole;topa=fly,soar,swoop)、「(何かに)せき立てられるように・動き回る」(「トパ」のP音がF音を経てH音に変化して「トハ」となった)(この語句には、「永久に」の意はありません。ちなみに「とこしえ(永続する)」は、「トコ・チエ」、TOKO-TIE(toko=prefix used in place of the particle e(e=before verbs or adjectives to denote action in progress or temporary condition),pole,propel with a pole;tie=abundance,plenty)、「(たくさん)いつまでも・動き続ける(永続する)」で、この語から「とこ」に「永久」の意があるという誤解が生まれたものかと考えられます。)

  「ヒア・クマヌ」、HIA-KUMANU(hia=to express surprise and admiration;kumanu=tend carefully,foster)、「なんとまあ・(別れた子を)思い焦がれる(母であることよ)」(「クマヌ」が「クマン」となった)

の転訛と解します。

024放生川(ほうじょうがわ)・やうこく

 この曲は、夢窓国師の『夢中問答』、『八幡愚童訓』等をもととしたもので、鹿島の神職何某(ワキ)が石清水八幡の南祭のために随行者(ワキ連)とともに都から八幡に到り、老翁(シテ)が同伴の男(ツレ)とともに登場して八幡放生会の由来と神徳を賛美し、八幡の縁起と神徳を語り、老翁は武内の神と名乗って消え、所の男(アイ)が八幡の謂われを語り、霊異が発現し、武内宿禰(後シテ)が現れ、舞を舞い、和歌の賛嘆と祝福を与えるというものです。

 詞章には、
 〔ロンギ〕地♪さて百敷の舞には
 シテ♪大宮人のかざすなる
 地 ♪桜
 シテ♪橘
 地 ♪もろともに 花の冠を傾けて やうこくよりも立ち廻り 北庭楽を舞ふとかや ‥‥
とあります。

 この「やうこく」は、「現行上掛りは「暘谷」(太陽が昇る東の果ての場所)と宛て、金剛は「陽剋」とするが存疑、未詳」(新潮集成本)とされます。

 この「やうこく」は、

  「イオウ・コクア」、IOU-KOKUA((Hawaii)iou=to you,to me;(Hawaii)kokua=help,assistance)、「舞手(シテ)の・助手」(「イオウ」が「ヨウ」と、「コクア」の語尾のA音が脱落して「コク」となった)

の転訛と解します。

025松虫(まつむし)・けいせき

 この曲は、『古今和歌集序聞書(三流抄)』、『古今序抄』などに典拠したもので、酒を商う阿倍野の市人(ワキ)がいつもの不思議な客を待ち、男(シテ)とその友人(ツレ)が連れ立つて松虫が鳴く阿倍野の風物を賛美し、酒宴に興じ、松虫の声に友を偲ぶ謂われの故事を語り、男はその亡霊と名乗って去り、所の男(アイ)が松虫の声に友を偲ぶ故事を語り、市人が弔問し、男の亡霊(後シテ)が現れて弔問を感謝し、心友の交遊と酒興を賛美して舞を舞い、松虫の声とともに夜が開けるというものです。

 詞章には、
 〔クセ〕地♪‥‥ されば廬山の古 虎渓を去らぬ室の戸の その戒めを破りしも 心ざしを浅からぬ 思ひの露の玉水に けいせきを出でし道とかや
とあります。

 この「けいせき」は、「警石(戒石)」、「渓杓(けいしゃく。谷川の丸木橋)」等の諸説があるが存疑。「瓊席」で「瓊筵」に対置するか」(新潮集成本)との説があります。

 この「けいせき」は、

  「ケイ・テキ」、KEI-TEKI(kei=that not,do not,at,on,in,with;teki=outer fence of a stockade)、「住居の(外界との)境界の・場所(廬山の虎渓に喩えた称)」(「テキ」が「セキ」となった)

の転訛と解します。

026三輪(みわ)・そほづ(僧都。案山子)・ちわや(?(衣偏に畢))・ほおりこ(祝子)

 この曲は、『古事記』、『俊頼随脳』などに記される三輪神婚説話を典拠としたもので、三輪の山陰に庵をかまえる玄賓僧都(ワキ)がいつも参詣の女(シテ)を待ち、女が訪れて済度を懇請し、住居を教えて去り、所の男(アイ)が三輪明神に参詣し神木に袖がかかっているのを発見して僧都に語り、僧都は三輪明神に出掛け杉木に掛かった衣に金字を発見して詠唱し、杉木の中から返歌の詠唱があり、女姿の三輪明神が現れ、衆生済度のための懺悔の昔物語として三輪の神婚譚を語り、天岩戸の神楽が舞われ、天照大神の天岩戸隠れの物語が語られ、伊勢と三輪の神が一体分身であることが語られて、夜明けの夢となるというものです。

 詞章には、
 〔掛ケ合〕ワキ♪‥‥ 山田守るそほづの身こそ悲しけれ ‥‥
とあり、また、
 〔上ゲ歌〕地♪女姿とみわの神 ?(衣偏に畢。ちわや)掛け帯ひき替えて ただ祝子(ほおりこ)が著すなる 烏帽子肩衣 裳裾の上に掛け ‥‥
とあります。

 この「ちわや」は、小忌衣の類で、神事に巫女、また采女や女官などの女性が着用するものです。

 この「そほづ」、「ちわや」、「ほおりこ」は、

  「ト・ハウ・ツ」、TO-HAU-TU(to=the...of;hau=famous,be heard;tu=stand,settle)、「かの・有名な・(田の中に)立つている(案山子)」(「ト」が「ソ」と、「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」となつた)
 なお、『古事記』等は「(山田の)そほど(曽富騰)」とし、「ト・ハウ・タウ」、TO-HAU-TAUA(to=the...of;hau=famous,be heard;tau=come to rest,come to anchor)、「かの・有名な・(山の田で)休息している(神。案山子)」(「ハウ」と「タウ」のAU音がO音に変化してそれぞれ「ホ」、「ト」となつた)と解します。

  「チワイ・イア」、TIWHAI-IA(tiwhai=tiwai=permanent,main body of a tree or a canoe,canoe without attached sides;ia=indeed)、「実に・胴に着る飾りのない(衣)」(「チワイ」の語尾のI音と「イア」の語頭のI音が連結して「チワヤ」となり、WH音がH音に変化して「チハヤ」ともなった)
  または「チ・ワイア」、TI-WHAIA(ti=throw,cast;whaia=bewitch,injure by spells)、「(呪文を祈り籠めた)呪力を・発揮する(衣)」(「ワイア」が「ワヤ」となり、WH音がH音に変化して「ハヤ」ともなった)

  「ホウ・リ・コ」、HOU-RI-KO(hou=dedicate or initiate a person etc.,establish by rited;ri=screen,protect,bind;ko=addressing to girls and males)、「(神に)身を・捧げた・子」
 なお、神職は「はふり(祝)」とも称し、「ハ・プリ」、HA-PURI(ha=breath,sound,breathe;puri=sacred,one instructed in esoteric lore)、「聖なる呪文を・唱える(神職)」と解します。

の転訛と解します。

027矢卓鴨(やたてかも)・とぼそ・ほろほろ・とどろとどろ

 この曲は、『山城国風土記逸文』、『袖中抄』、『秦氏本系帳』等に記される賀茂神社の縁起を典拠としたもので、播州室の明神の神職(ワキ)が随行者(ワキ連)とともに賀茂社に参詣し、水汲みの女(シテ)が連れの女(ツレ)とともに現れ、御手洗川の夏の景色を詠嘆し、神職は川辺の祭壇の白羽の矢の謂われを尋ね、女達は賀茂社の縁起を語り、賀茂の神と名乗って隠れ、末社の神(アイ)が賀茂明神の謂われを語って舞い、御祖の神(後シテ)が現れて神徳と御代わ賛美し、ツレが天女の舞を舞い、別雷の神(後シテ)が現れて神威を示し、御祖野上は糺の森へ、別雷の神は虚空へ昇天するというものです。

 詞章には、
 〔上ゲ歌〕ワキ・ワキ連♪播磨潟 室のとぼそのあけぼのに 室のとぼその曙に 立つ旅衣色染むる ‥‥
とあり、また、
 〔ノリ地〕地♪雨を起こして 降り来る足音は
 シテ♪ほろほろ
 地 ♪ほろほろ とどろとどろと 踏み轟かす 鳴る神の鼓の 時も到れば ‥‥
とあります。

 この「とぼそ」は、「(戸臍の意)①開き戸のかまちの上下に突き出して回転軸となる部分。②転じて扉または戸の称」(広辞苑)と解されています。
 「ほろほろ」は「小さい足音、「とどろとどろ」は踏み鳴らす大きい足音の擬声語。それを雨足の音に擬す」(新潮集成本)とされます。

 この「とぼそ」、「ほろほろ」、「とどろとどろ」は、

  「ト・ホト」、TO-HOTO(to=drag,open or shut a door or window;hoto=join)、「扉を・(かまちと)連結するもの(回転軸)」または「扉が・(二枚またはそれ以上)連結したもの(大きな扉・戸)」(「ホト」が「ホソ」から「ボソ」となつた)

  「ホロ・ホロ」、HORO-HORO(horo=run,escape,quick)、「(走るように)せわしく続く(小さな音)」

  「トトロ・トトロ」、TOTORO-TOTORO(totoro=stretch forth,creep,crawl(whakatorotoro=press on,attack))、「押し広がる(爆発する)ような大きな音を・続ける(響かせる)」

の転訛と解します。

028楊貴妃(ようきひ)・ささめごと(私言)・そよや・しゆしやう・ささのひとよ(笹の一夜)

 この曲は、白楽天の『長恨歌』、『源氏物語』等を典拠としたもので、玄宗皇帝の命を奉じた方士(ワキ)が蓬莱宮に到り、蓬莱国の男(アイ)が太真殿に玉妃がいることを教え、楊貴妃(シテ)が宮の中で懐旧の詠嘆をし、方士の訪問に貴妃が姿を現し、方士は玄宗の勅旨を伝え、貴妃は恋慕の情を示して方士に形見の釵(かんざし)を渡し、方士は証拠の私語を尋ね、比翼連理の誓いを詠嘆し、貴妃は帰りかけた方士を留めて釵を取り返し、霓裳羽衣の曲を奏し、玄宗との契りを語り舞い、釵を方士に与えて別れるというものです。

 詞章には、
 〔歌〕地♪‥‥比翼の鳥‥‥連理の枝と鳴らんと 誓ひし事を ひそかに伝えよや 私語(ささめごと)なれども 今洩れ初める涙かな
とあり、また、
 〔次第〕地♪そよや霓裳羽衣(げいしょううい)の曲 ‥‥
とあり、また、
 〔クリ〕シテ♪それ過去遠々の昔を思えば いつをしゅしやうの始めと知らず
とあり、また、
 〔クセ〕地♪そのふみづきの七日の夜 君と交せし睦言の 比翼連理の言の葉も かれがれになる私語の 笹(ささ)の一夜の契りだに 名残は思ふ慣らひなるに ‥‥
とあります。

 この「しゆしやう」は、『謡抄』に「受生」、底本に「衆生」、現行観世流本に「出生」とあります。
 「笹の一夜」は、『醒睡抄』六「篠の一夜とて、もろこしの帝に三千の后あり。夕になれば羊の車にめされ、かれが行き止まる局の前に下りさせ給ひ、比翼連理のかたらひあり。されば羊は篠をこのみて食す。わがもとにや止まらんと、おのおの局の前に篠を植ゑぬはなし。‥‥」とあります。

 この「ささめごと」、「そよや」、「しゆしやう」、「ささ」は、

  「タタ・マエ・(ン)ガウ・タウ」、TATA-MAE-NGAU-TAU(tata=near of place or time,suddenly;mae=languid,withered;ngau=bite,act upon,affect,raise a cry,indistinct of speech;tau=come to rest,be suitable,befit)、「(男女の間の)近く親しい・(弱い)ごく低い・心を開いた・ひそひそ声の語らい(私言。睦言)」(「タタ」が「ササ」と、「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」と、「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音にへんかして「ゴ」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「トイ・オイア」、TOI-OIA(toi=move quickly,encourage;(Hawaii)oia=truth,true,this,that's right,go ahead,begin)、「すぐに・舞を舞いはじめよう」

  「チウ・チアホ」、TIU-TIAHO(tiu=soar,wander,swing;tiaho=emit rays of light,shine(whakatiaho=translucent))、「うごめくものが・(光を放つ)見え始めた(天地の始原のとき)」(「チウ」が「シュ」と、「チアホ」のH音が脱落して「チアオ」から「ショウ」となった)または「チウ・チオホ」、TIU-TIOHO(tiu=soar,wander,swing;tioho=apprehensive)、「うごめくものが・認識できるようになった(天地の始原のとき)」(「チウ」が「シュ」と、「チオホ」のH音が脱落して「チオオ」から「ショウ」となった)

  「タタ」、TATA(near of place or time,suddenly)、「ほんとうに短い(一夜)」

の転訛と解します。

第二 用語

101シテ・ワキ・ツレ・アイ・ヲカシ・アド

 「シテ」は、能のシテ方(詩的・歌舞的・曲線的な演技技法を専門とする役者)の扮する人物の中で、最も重要な主役をいいます。

 「ワキ」は、能のワキ方(散文的・現実的・直線的な演技技法を専門とする役者)の扮する人物の中で、もっとも重要な役をいいます。

 「ツレ」は、シテ方またはワキ方の扮する人物の中で、シテまたはワキ以外のすべての役をいいます。

 「アイ」は、狂言方(狂言を専門とするが、能の中でも写実性を必要とする役を務める役者)の扮する人物をいいます。場面の説明、進行の筋道の説明を行い、シテの中入りの間をつなぐ役割をするところから「間(アイ)」と呼ばれるようになつたとする説があります。

 「ヲカシ」は、「アイ」の古名です。

 「アド」は、「アイ」の中で重要な役を「オモアイ」と呼ぶ場合の「オモアイ」以外の役をいいます。

 この「シテ」、「ワキ」、「ツレ」、「アイ」、「ヲカシ」、「アド」は、

  「チヒ・タイ」、TIHI-TAI(tihi=summit,top,lie in a heap;tai=a term of address to males or females)、「最高の地位(役割)の・人間」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」と、「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」となった)

  「ワ・アキ」、WA-AKI(wa=definite space,area;aki=dash,beat,abut on)、「(シテに)隣接した・場所(脇座)を占める(者)」(「ワ」のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「ワキ」となった)

  「ツ・レヘ」、TU-REHE(tu=stand,fight with;rehe=wrinkle,expert,neat-handed deft person)、「器用に(種々の役を)・懸命に果たす(者)」(「レヘ」のH音が脱落して「レ」となつた)

  「アイ」、AI(expressing the reason for which anything is done or the object in view in doing it)、「何故その事柄が行われるかの理由を説明し、または何が行われるのかの概要を示す(者)」

  「ワウ・カチ」、WAU-KATI(wau=quarrel,make a noise,discuss;kati=block up,shut,barrier,boundary)、「場面の区切り(境界)で・解説をする(者)」(「ワウ」のAU音がO音に変化して「ヲ」となった)

  「アト」、ATO(=atoato=regulate the formation of a corps on the march.recite names etc.)、「(名を)読み上げる(披露する・役)」または「(儀式の)進行を統御する(役)」

の転訛と解します。

102イロエ・カケリ・ロンギ

 「イロエ」は、舞の中で、女体の役が、〔クセ〕を舞うのに先立ち、静かに舞台を一巡する働事です。

 「カケリ」は、武士の霊や狂女などが、興奮状態を示すところに用いる速度変化が大きい働事です。

 「ロンギ」は、仏教の声明における論議から出たといわれ、掛合いで謡われる問答体の部分をいいます。なお、問答は最初の部分のみで、すぐに一句一句の掛合いとなり、地謡へと移ります

 この「イロエ」、「カケリ」、「ロンギ」は、

  「イ・ロヘ」、I-ROHE(i=past tense,beside,at,by.with;rohe=boundary.set bounds to,enclose,console,cease)、「(舞う場所を)囲い込むように一巡・した(動作)」(「ロヘ」のH音が脱落して「ロエ」となった)

  「カ・ケリ」、KA-KERI(ka=to denote the commencement of a new action or condition;keri=dig up,rush along violently as the wind)、「(強風のように)荒々しく走り回る・行動の開始を告げる(動作)」

  「ラウ・(ン)ギア」、RAU-NGIA(rau=leaf(whakarau=cause to germinate);ngia=seem appear to be)、「(植物が双葉から次第に成長するように、問答を通じて)考えが発展する・ような(掛合い)」(「ラウ」のAU音がO音に変化して「ロ」と、「(ン)ギア」の語尾のA音が脱落して「ンギ」となった)

の転訛と解します。

103めん(面)・ひためん(直面)・おもて(面)・じょう(尉)・さんこう(三光尉)・あさくら(朝倉尉)・わらひ(笑尉)・あこぶ(阿瘤)・こおもて(小面)・ぞう(増)・なきぞう(泣増)・ふかゐ(深井)・しゃくみ(曲見)・ひがき(檜垣)・へいだ(平太)・あやかし(怪士)・かわず(蛙)・よろぼし(弱法師)・べしみ(?(ヤマイダレに悪)見)・しかみ(顰)・はんにゃ(般若)

 「めん(面)」は、能で用いられる仮面をいいます。世阿弥の時代には、すべて「めん」で「おもて」と呼ばれた例はありません。また、「面箱(めんばこ)」、「面紐(めんひも)」、「面当(めんあて)」などの熟語は、すべて「めん」です。

 「ひためん(直面)」は、面をつけないことをいいます。

 「おもて(面)」も、「めん(面)」と同じく、能で用いられる仮面をいいます。

 「じょう(尉)」は、老体面をいいます。「じょう(判官)」は、本来は令制の四等官の一で、「すけ(次官)」の下、「さかん(主典)」の上に位し、衛門府・兵衛府・検非違使などで「尉」と記します。

 「さんこう(三光尉)」は、老体面の一種をいいます。双髭(もろひげ)・双歯(もろは)・下がり目の庶民の老人の顔で、波皺、口が箱型、勤労者の感じが強いといわれます。

 「あさくら(朝倉尉)」は、老体面の一種をいいます。双髭(もろひげ)・双歯(もろは)・下がり目の庶民の老人の顔で、山皺、口が木の葉型、やや上品な感じといわれます。

 「わらひ(笑尉)」は、老体面の一種をいいます。双髭(もろひげ)・双歯(もろは)・下がり目の庶民の老人の顔で、いろいろな顔立ちがあり、必ずしも笑い顔ではありません。

 「あこぶ(阿瘤尉)」は、老体面の一種をいいます。現在体・化身体用の片髭(かたひげ)・片歯(かたは)・平ラ目・平ラ眉の老人の顔で、「こじょう(小尉)」のように痩せておらず、唐人や物思いに沈む老人に用いるといわれます。

 「こおもて(小面)」は、女体面の一種をいいます。常相の色入りの若女の面、一段毛書キでもっとも少女らしい面ざしをしています。

 「ぞう(増)」」は、女体面の一種をいいます。常相の色入りの若女の面、三段毛書キで深みのある顔をしています。

 「なきぞう(泣増)」」は、女体面の一種をいいます。常相の色入りの若女の面、三段毛書キで、上リ目・下リ口、気品が高く強い顔立ちをしています。

 「ふかゐ(深井)」」は、女体面の一種をいいます。常相の色無しの更女(ふけおんな)の面、若女より肉付きが落ち、頬にかすかなやつれくぼがあります。三段毛書キで流れ毛(ほつれ毛)が額の中央から出ています。

 「しゃくみ(曲見)」」は、女体面の一種をいいます。常相の色無しの更女(ふけおんな)の面、若女より肉付きが落ち、頬にかすかなやつれくぼがあります。三段毛書キで流れ毛(ほつれ毛)が額の中央を外れたところから出ています。

 「ひがき(檜垣)」」は、女体面の一種をいいます。衰弱した顔立ちの奇相面で、目がくぼみ、頬が落ち、平ラ目・下リ口です。(檜垣(ひがき)の項を参照してください。)

 「へいだ(平太)」は、男体面の一種をいいます。荒男面で、ハネ眉・八字髭・開キ目に近いが虹彩がないといわれます。

 「あやかし(怪士)」は、男体面の一種をいいます。力強い顔立ちの奇相面で、開キ目・八字髭・目がややくぼみ、頬がでているものが多いとされます。

 「かわず(蛙)」は、男体面の一種をいいます。衰弱した顔立ちの奇相面で、目のふちも頬も落ちくぼみ、顎がそげ落ちています。

 「よろぼし(弱法師)」は、男体面の一種をいいます。カブロ毛書キの童顔の童子面で、盲目です。

 「べしみ(?(ヤマイダレに悪)見)」は、男体面の一種をいいます。口を大きく引き結び、顎が張ったベシミ口の異相面で、「大べしみ」は火炎髭、天狗に用い、「小べしみ」は八字髭、神や鬼に用います。

 「しかみ(顰)」は、男体面の一種をいいます。眉根に皺のある開キ口の異相面で、牙があり、ザンバラ髭、凶悪で人に危害を与える面相、悪鬼に用います。

 「はんにゃ(般若)」は、女体面の一種をいいます。金色の角のある異相面、開キ口・双歯・オクレ毛の毛書キ、複雑な感情を込めているとされます。

 この「めん」、「ひためん」、「おもて」、「じょう」、「さんこう」、「あさくら」、「わらひ」、「あこぶ」、「こおもて」、「ぞう」、「なきぞう」、「ふかゐ」、「しゃくみ」、「ひがき」、「へいだ」、「あやかし」、「かわず」、「よろぼし」、「べしみ」、「しかみ」、「はんにゃ」は、

  「メネ」、MENE(be assembled)、「(顔に)くっつけた(もの。面)」(「メネ」が「メン」となつた)

  「ピ・タ・メネ」、PI-TA-MENE(pi=eye;ta=dash,beat,lay;mene=be assembled)、「眼が・ついている・(顔に)くっつけた(もの。面)(面をつけないこと)」(「ピ」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒ」と、「メネ」が「メン」となつた)

  「オ・モテ」、O-MOTE(o=the...of;mote=suck)、「(顔に)吸い付く・もの(面)」

  「チヒ・イホ」、TIHI-IHO(tihi=summit,top;iho=heart,kernel,object of reliance,principal person or skilled person in the crew of a canoe)、「最高の・(仕事に)練達した(老練な男)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となり、その語尾のI音と「イホ」の語頭のI音が連結し、H音が脱落して「シオ」から「ジョウ」となった)

  「タ(ン)ガ・カウ」、TANGA-KAU(tanga=be assembled;kau=alone,bare,empty)、「何の変哲もない・(特徴を)集めた(顔の面)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サン」と、「カウ」のAU音がOU音に変化して「コウ」となった)

  「アタ・クラ」、ATA-KURA(ata=gently,clearly,deliverately;kura=chief)、「清らかな(上品な)・首長の(顔の面)」

  「ワラヒ」、WHARAHI(broad,wide)、「幅の広い(顔の面)」(H音が脱落して「ワライ」となった)

  「ア・コプ」、A-KOPU(a=the...of,of,belonging to;kopu=full,filled up,blistered)、「やや・水膨れした(顔の面)」

  「コ・オ・モテ」、KO-O-MOTE(ko=addressing to girl or males;o=the...of;mote=suck)、「少女の(顔を写した)・(顔に)吸い付く・もの(小面)」

  「トフ」、TOHU(mark,point out,look towards)、「前方を注視する(顔の面)」(H音が脱落して「トウ」から「ゾウ」となった)

  「ナ・アキ・トフ」、NA-AKI-TOHU(na=by,belonging to;aki=dash,beat,abut on;tohu=mark,point out,look towards)、「どちらかと言えば・強く・前方を注視する(顔の面)」(「ナ」のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「ナキ」と、「トフ」のH音が脱落して「トウ」から「ゾウ」となった)

  「フカ・ウイ」、HUKA-UI(huka=foam,frost,trouble(hukahuka=lock of hair);ui=disentangle,relax or loosen a noose)、「髪に・(乱れ)ほつれがある(顔の面)」(「ウイ」が「ヰ」となつた)

  「チ・アク・ミイ」、TI-AKU-MII(ti=throw,cast;aku=delay,scrape out;(Hawaii)mii=clasp,attractive,good-looking)、「(髪の)ほつれに・遅れがあって(深井の髪の流れが額の中央から出ているのに対し曲見は中央を外れたところから出ている)・魅力的な(顔の面)」

  「ヒ(ン)ガ・キ」、HINGA-KI(hinga=fall from an erect position,be killed,lean;ki=full,very)、「たいへん・痩せている(顔の面)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ヒガ」となった)

  「ヘイ・タハ」、HEI-TAHA(hei=go towards,be required;taha=side,margin,edge:often used merely to indicate proximity)、「最後まで・奮闘する(将軍の顔の面)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」から「ダ」となった)

  「ア・イア・カチ」、A-IA-KATI(a=the...of,of,belonging to;ia=indeed;kati=block up,prevent,shut of a passage)、「あの・実に・行く手を妨害する(怪士の顔の面)」

  「カウア・ツ」、KAUA-TU(kaua=do not;tu=fight with,energetic)、「生気が・ない(顔の面)」(「カウア」が「カワ」となった)

  「イ・ホロ・ポチ」、I-HORO-POTI(i=past tense;horo=run,escape,quick;poti=be the subject of gossip or disparagement)、「(讒言によって家を追われた)走り・出た・非難された主人公(の顔の面)」(「ホロ」のH音が脱落して「オロ」となり、その語頭のO音が前のI音と連結して「ヨロ」と、「ポチ」が「ボシ」となった)

  「パエ・チ・ミヒ」、PAE-TI-MIHI(pae=horizen,transverse beam;ti=throw,cast;mihi=sigh for,greet,express discomfort)、「(口唇を)横一文字に結んで・不快さを・表した(顔の面)」(「パエ」のAE音がE音に変化して「ペ」から「ベ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「チカ・ミヒ」、TIKA-MIHI(tika=straight,direct,just;mihi=sigh for,greet,express discomfort)、「直截に・不快を表した(顔の面)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「ハネ・ニア」、HANE-NIA(hane=be confounded,be silenced,be put to shame;nia=mania=slippery,feeling a jarring sensation,set on edge)、「(面を見ると)衝撃的な感動を受けて・黙り込んでしまう(ような面)」(「ハネ」が「ハン」と、「ニア」が「ニャ」となった)

の転訛と解します。

<修正経緯>

国語篇(その十三)終り

U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
 このHPの内容をそのまま、または編集してファイル、電子出版または出版物として
許可なく販売することを禁じます。
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「おどるポンポコリン♪」と能の「翁」、そのルーツは古代語にあり?! | 親愛なる映画日記

「おどるポンポコリン♪」と能の「翁」、そのルーツは古代語にあり?! | 親愛なる映画日記

「おどるポンポコリン♪」と能の「翁」、そのルーツは古代語にあり?!

ちびまる子ちゃんの主題歌「おどるポンポコリン♪」のサビ部分の歌詞が、お能の、ある謡に似ているという話。

タッタタラリラ

ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ

ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ

ピーヒャラ ピーヒャラ おへそがちらり

タッタタラリラ

ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ

ピーヒャラ ピーヒャラ おどるポンポコリン

ピーヒャラ ピ お腹がへったよ

(「おどるポンポコリン♪」歌詞:さくらももこ)

能に「翁」という演目がある。

http://www.harusan1925.net/1205.html

「翁」はいつから歌われているかその起源すらわからないほど古いもので、お能のなかでは「神歌」として特別に神聖な演目として位置づけられている。

「翁」はいきなり下記の謡で始まる

翁  とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。

地  ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう

これは一体何を言っているのか、諸説あるが、いまだに解明されていない。

観世流能楽本では

トト、タアハアラロ トヲリイラア、トラアリイラリ チイラリイリイラ タアリアリヤリ トラアロリテラアハ、チイヤリイヤラタアハハハハルラルラアルラ、トヲヒタロヒ、トヲヒ

とカタカナなので、まるで暗号のようだ。

私が読んでいた謡本(「謡曲全集 中央公論社」に、驚きの説が書かれていた。

チベットの古代語であるという説だ。

昭和初期、日本人で初めてチベットに渡航した僧侶の河口慧海(かわぐちえかい)師が、これはチベットの古代語で、祝言の陀羅尼(だらに)歌、サンバ・ソウの詞ではないか、と説いた。(陀羅尼(だらに)という響きもそもそも日本語っぽくない)。

チベットの詞で訳すと、下記のような意味になるという。

トウトウ(得物(収穫物のこと)は)タラリタラリラ(輝き、輝いて)、タラリ(輝き)ア(は)、ガリイララ(何れも様に)リドウ(導きあれや)、

ツエ・リン・ヤツ(寿命は長く善く)、タラリ(輝き)、タラリラ(輝いて)、タラリ(輝きは)、あ(ああ)、ガレララ(何れも様に)、リトウ(導きあれや)

収穫を祝っているように解釈できるが、輝きと何度も出てくることで、太陽賛歌の歌ではないか、ともいわれる。

なんともロマンあふれる説だが、

http://www.academyhills.com/note/opinion/15102809artcollege_itoyasuda.html

上記URLを参照すると、あくまでロマンあふれる、というところで止まっており、学術的には否定されている。

そのほか、ポリネシア語に起源をもつとされる縄文語で読み解く説などもある。

(参考:http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/kokugo13.htm より抜粋)

「オキ・ナ」

OKI-NA((Hawaii)oki=to stop,finish,to cut,separate;na=satisfied,indicate position near,belonging to)、

「オキナ」は古いハワイ語で 「(人生の)終わりに・近い(者。翁 )」を意味するという。

「トウトウ・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」

TOUTOU-TA-RARI-TA-RARI-RA(toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、

直訳すると、「(清めるために)水を撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」

なんだか、壮大な話になってきたが、

ここまでかいておいて、いまのところ一番有力なのが太鼓の音を擬音化したという味気ない説。(個人的には古代語で解読しようとする試みに惹かれております)

翁  とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。

地  ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう

ここで再び、ちびまる子ちゃんの登場!

タッタタラリラ

ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ

ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ

タッタタラリラをうけて、ピーヒャラが繰り返されるので、フツーに太鼓と笛のお囃子なんでしょうけど、うーん、「タッタタリラ」は、なにやら不思議な響きのように感じられてきた。

そういえば、おどるポンポコリン♪は、メロディーもよくて、みんなが楽しくなるような、祝祭的な曲ですよね。

「おどるポンポコリン♪」の起源はお能にあり、そのお能「翁」の起源をたどるとさらにもっと古い時代の祝いの歌かも…

というわけで、「おどるポンポコリン♪」は現代によみがえった祝い歌だ!?なんてトンデモ話を思わず書きたくなってしまったわけです。

「翁」は新年の祝いとしてお正月に上演されるので、気になった方は2017年のお正月のお能の舞台を探してみて、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。

【参考】

「言の葉庵」 http://nobunsha.jp/blog/post_94.html

謡曲全集 中央公論社 

歌詞たいむ 「おどるポンポコリン」http://www.kasi-time.com/item-32666.html